第4話 師範選抜

 ライガーの師範選抜は佳境を迎えていた。


 師範といえど、その候補は様々。

 炎鷹流剣術師範代として名を馳せる、ヘルグ・ファルア。

 世界に五十人しか居ないとされる王級闘気術皆伝者の一人、ノアール・アレストフ。

 槍術に置いて右に出るもの無しと謳われる、槍使いのエムリーヌ。


 いずれもハルトが世界中からかき集めたトップクラスの精鋭。

 勇者のマスターとして、見劣りしない肩書きの強者ばかりだ。


「ライガー、良さげなやつは見つかったか?」


「ええ、お父様。誰もが屈強で、強大で、何より精力に溢れている。どうにも甲乙つけ難い御仁ばかりです」


 それもそのはず。

 一世一代の勇者の誕生。

 その立役者となれる栄光は、誰もが喉から手が出るほどに眩い称号である。


 特に、それが戦いの道を歩む武人ならば尚更だ。


「お父様、もうすでに満足の行く候補ばかりですが、念の為最後まで見ておきたいです」


「そうだな、ライガー。お前の言う通りだ。次が最後だ、招き入れるとしよう」


 もう残りは消化試合のようなもの。

 ライガーもハルトもそう思っていた。

 

 しかし、最後の一人が部屋へ足を踏み入れた瞬間空気が震えた。


「——っ!」


 ライガーは咄嗟に懐の剣を構えた。

 それは、全身を襲った恐怖によるものだった。


 たった一つ、鳴らされた足音。

 それが殺気となり、全身を苛烈に貫く。


 その男は、ライガーを見てかすかに笑みを浮かべた。


 視線と視線が絡み合う。

 そうして暫く睨み合いをしていると、突然男は跪き、首を垂れた。

 同時に、たちまち殺気が部屋から引いていく。

 

「突然の無礼、失礼しました、勇者候補様」


「お前は……」


「私は王国第一騎士団隊長、ユリウス・ウィンテール。先程は出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ありません」


 ライガーは口を曲げつつも、言葉を飲み込んでソファに座り込んだ。


「構わない。しかし、なぜそのようなことをした」


「それは、あなたが勇者として相応しいか知りたかったからです」


 ユリウスの言葉に、ハルトは咳払いをした。


「コホン。ユリウス殿、こちらが招いた手前多くは言いますまい。しかし、勝手なことをされては困りますな」


「いいや、お父様。この人には試す権利がある。——少なくとも、実力は本物です」


 ライガーには分かった。

 この男が本気を出せば、自分は一瞬で抵抗も出来ずに地面に伏せられる。


「そ、そうか……ならば、何も言うことは無い」


 ハルトは腕を組んで頷いた。

 額から汗が滴り落ちている。

 

「……で、俺の実力は、お前の目に叶ったか?」


 ユリウスはライガーの目を見て、答えた。


「もちろんです。この歳で俺の殺気に耐えるどころか、反撃に出ようとするとは、正直想像以上だ……」


 心なしか、頬が紅潮している。


「しかし、重要な質問を一つ聞かなければならない。俺が弟子を取るかは、その答え次第だ」


 勇者の師範代選抜。

 そんな名目で始められた審議はもはや意味を無くし、立場は逆転した。


 場の空気は全てその男に支配され、有無を言わせぬ雰囲気にライガーは束縛されていた。


「その質問とは、なんだ……」


 唾を飲み込んで、抵抗するように言葉を返す。


「——貴方は、何のために勇者となる」


 重く、ユリウスの問いがライガーにのしかかった。


 しかし、ライガーは視線を上げて、答えた。


「民と、彼らの平和のためだ」


 迷いの無い回答に、ユリウスは一瞬目を見開いた。


「そうか。ならば未来の勇者よ、もし貴方にその気があるのなら、俺は全霊を持って貴方の力となりましょう」


 ユリウスは小さく微笑み、恭しく一礼した。


「——もし、俺の所で強くなりたいのなら、王国騎士団の門を叩いてください。俺たちは、最大のもてなしで迎え入れますよ」


 そう言うと、男は背を向けて部屋から去った。


 嵐の後のような静けさが室内を満たす。


「決まったな……」


 ハルトは大きくため息をついて、肩の力を抜いた。


 たった一つの質問。

 それだけでその男は立ち去った。


 それは選抜の放棄ではなく、圧倒的な自信に基づくものだった。


「さて、今日は疲れた。家事は使用人とレンジのやつに任せるとして、ゆっくり休むとしよう」


 そんなことを呟いて、部屋を後にしようとしたその時。


 コンコンコン。

 扉をノックする音が鳴った。


「誰だ。もう師範代の選抜は終わったぞ」


「はて、少し足を運ぶのが遅かったかの?」


 しゃがれた老人の声が扉の向こうから聞こえる。

 家族でも、使用人のものでもない。


 師範候補はもうすでに全員確認したはず。では、そこに立っているのは誰か?


 ハルトは目を細めた。


 やがて扉が開いて、その老爺は姿を顕にした。


「ごきげんよう、勇者の末裔御一行殿。少し失礼するよ」


「お父様。この老人も、師範候補ですか?」


 白い髭を生やした、黒いコートの老爺。

 その姿を凝視した後、ハルトは頭を振った。


「いや、知らないな。このような奴を招いた覚えは無い」


 立ち上がって、睨みつける。


「招待状は、持っているか?」


「ふむ、招待状なるものがなければ、入れぬ仕組みだったのか」

 

「——不審者なら、捉えておく他ないな」


 =====


「……のう、この縄、解いてはくれんか?」


「無理な話だな。後で衛兵に突き出す。その時まで大人しくしていることだ」


 椅子に縄でぐるぐる巻きにされた老爺は、不満げに口を尖らせた。

 それから、ライガーに視線を向ける。


 暫くじっと見つめ合う時が流れた。


「な、何だよジジイ」


「なかなか骨のありそうな童だ。これはもしかしたら本物になってしまうかもしれん」


 ぶつぶつと呟くのを傍に、ライガーは舌を打った。


「適当なことをのたまうな! お前は何者なんだと聞いているんだ」


 老爺は答えた。

 

「ワシは、はただの魔術使いじゃよ。ちょいと、王国の騎士団に身を置いているだけのな」


 そう言って、外套の襟元についている金色の紋章を見せる。


「王国騎士団の魔術師……ぽっと出の奇術者集団か」


 ハルトは記憶を思い起こすように呟いた。


「よくご存知で、ハルト公」


 老爺はわざとらしく意外そうな仕草をした。


「やはり素性の怪しいものだったか。ライガー、行くぞ」


 ハルトが踵を返すと、老爺は口を開いた。


「まあまあ、そう急ぎなさるな。ここは一つ、師範候補をもう一人募るつもりで情けをかけてはもらえぬか?」


 ——ぽっと出の奇術師集団。

 そう呼ばれているとはいえ、王国に認められていることは事実。


 ハルトは少し間を置いて、足を止めた。

 

「お前たちは、魔術師などとたいそうな名前をかがげているが、果たしてどんな手品で王国に取り入ったのか」


「これは手厳しい。ただ、その様子なら話し合いに応じてくれると見て良いかの」


「お父様、本当にいいのですか?」


「……話だけは聞いてやろう。真面目に取り合う必要は無い」

 

 実際のところ、ライガーの噂は国中に広まっている。

 押し寄せてくる輩がいるのも不思議なことではないし、自身の子がもてはやされるのは悪い気分ではなかった。

 

 老爺はライガーに目を向ける。


「見たところ、お主がベリオス家の長男、ライガー・ベリオスじゃな」


「そうだが、俺はお前のような得体の知れない輩に師事するつもりはない」


 金髪の青年は目を釣り上げて、老爺を突き刺すような視線で見つめる。


「ふむ。しかし、お前だけか?」


「俺だけ、とは何だ?」


「ベリオス家にはもう一人、子息が居ると聞いておったのじゃが」


 老爺が問うように言うと、ライガーは一瞬黙り込んだ。

 代わりにハルトが口を開く。


「奴はろくでなしだ。正真正銘の出来損ない。勇者の名を語ることすら反吐の出る、真の弱者とでも言おうか」


「実の父からそのような言い振りをされれば、子はきっと酷く傷つくのでは?」


「事実を述べているだけだ。責任は奴にある」


 その言葉に続いて、ライガーは小馬鹿にするように鼻で笑った。


「弱いだけならまだマシだよ。あいつには大義が無い」


「大義がない、とは?」


 問い返されると、青年は肩をすくめた。


「あいつは民と平和をまるで想っていない。いつも自分のことばかりだ。でも、俺は違う。俺には平和の為に戦う大義がある」


 老爺は眉を下げた。

 そして再び尋ねる。


「それは、敵に勝てないと確信した時でも同じか」


「は?」


「たとえば圧倒的な格上を相手に挫折した時、お前は民と平和の為に命を投げ出せるのか?」


「んな!?」


 ライガーは面食らった。


「なんて無礼な! お父様、コイツはやはり放って置けない!」


 剣を鞘から抜き出し、切先を老爺に向ける。


 やはり、魔術師は魔術師だった。

 教養のない詐欺師に貸す耳はない、とでも言わんばかりにライガーは激昂した。


「おっと、これはおいとまするほか無さそうじゃの」


 地雷に触れてしまったことを老爺は察した。


「その前に、一つ言い残しておこう」


「黙れ。もうお前のような奇術師に口を開く権利は無い」


 剣の先端を向け脅されるが、老爺は無視して言った。


「ワシはルネ・クロード・クレマン。魔術の開祖にして、人類の新天地を切り開く者。いつか、また会えることを期待しておる」


 その言葉が向けられたのは、ライガーでも、ハルトでもなかった。

 ここにいない、誰かに向けた言葉だった。


 しかし、二人はそれを知る由もない。


 剣が振り上げられる。


 瞬間、ライガーは瞠目した。


「……居ない……」


「ライガー、一体どうした——」


 少し遅れて、ハルトも気づいた。


 縛りつける物を失った縄が、地面に投げ出されている。

 椅子の上には誰も居らず、まるで、初めからそうであったかのように、ポツンと部屋に浮いていた。


 静まり返った空間で、ハルトとライガーは虚空を見つめるばかりだった。

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