第6話 雷帝之竜

 ヴェルの上司である親方のダバンはヴェルの生還を船上都市ノアの守り神であるアダムとイブに祈った。その隣でアライザとジャムは氷と水の魔術を降らせて少しでも炎を押さえようとしていた。しかし、炎の勢いは止む気配はなく益々、火の勢いは増すばかりだった。

 そして、ダバンの祈りは歪んだ形で叶った。海面は突如盛り上がり、赤い鱗の竜が翼を広げて飛び出してきた。口には海炎竜バナードを咥えている。ヴェルは眉間にシワを寄せて一気にバナードの首元を噛み砕いた。

 たが、バナードはそれでも死ななかった。バラバラに砕けた骨は直ぐに再生され血が噴き出る前に筋肉繊維はお互いが求め合うように結ばれ繋がって行く。そして、皮膚は秘密を隠すように急いで傷口を塞いだ。

 このままでは、身動きが出来ないと判断したバナードは全長1Kmはある竜体を溶かして人型へと戻った。人型へと小さくなったバナードは素早くヴェルの口から逃げる。そして、港町ラカンの壁の上に降りた。アライザとジャムは身身構えた。

 人型のバナードは青色の髪をオールバックにきめて切れ長の細い目をしていた。その目は黒い太陽が海面から昇って地上を冷たく照らす如く、バナードと目が合った者はその瞳の黒光りに心臓を冷やすだろう。そのハナードの両手には胸に大きな穴があいたリオンが、目を閉じて抱きかかえられていた。


「なんと言う事を‥人間を庇って死ぬとは、リオン姫‥貴方は‥」


 しかし、死んだと思ったリオンは息を吹き返し咳込むと、バナードは驚いた。


 (馬鹿な、竜人は心臓を潰されると死ぬはず、何故生きている?)


 リオンの傷口が塞がっていく。実は竜人の弱点は心臓を潰す事である。強靭な心臓が竜人を超回復させている。故に心臓を刺されたリオンは死んだはずだった。しかし、どういう訳か、リオンは生きていた。これはどういう事だとバナードは考える。そして、ある事に気づく。塞がっていく傷口の奥にあるはずの臓器がない事を。


「リオン姫の心臓が‥ない!心臓がなくて何故、生きている?」


 しかし、いくら考えても答えは出なかった。とにかく、今はリオン姫が無事な事に安堵した。と同時に込み上げる感情があった。バナードはリオンを見下ろしてその滑らかな肌を抱く手に力が入る。血液は沸騰して邪な劣情が下半身から込み上げてきた。あの人間はリオン姫のこの滑らかな柔肌に何度さわったのだろうか。この瑞々しい唇にあの薄汚い人間の唇が重なったのだと思うとそれだけで発狂したくなった。バナードですら喋りかける事さえ許されなかったのにあの人間は、あの男はあまつさえ、リオン姫から熱い口づけをされたのだ。それが例え、延命の為だったとしても許せなかった。そもそも、本当に延命の為だったのか?なら何故、2人は見つめ合う必要があったのか。あの時のリオン姫はまるで少女のように初めて男を意識した反応だった。まさか、しかし、そんな事はあり得ない。竜人が人間と‥。だがしかし、もし、そうなら‥。バナードの嫉妬の炎が目の奥から燃え上がる。


(たがしかし、今はリオン姫を回収して撤退するのか得策か?‥撤退?誰から?人間から?ハッ、奴等に背中を見せろと?有り得ぬ!)


「逃げるのは人間であって、私ではない!」


 ヴェルは、大きく翼を広げて、ハナードを威嚇して来るがバナードの手元にリオンがいるので攻撃はしてこなかった。


「何故、奴は攻撃してこない?‥リオン姫か?リオン姫がいるから!」


リオンは目を覚ました。


「‥ここは?‥これは?どうなっている?」


「気が付きましたか、リオン姫?」


 リオンは現状を理解出来ず周囲を見渡す。そして、自分の胸を見た。確か、バナードの牙が心臓を貫いて、自分は死んだはずだった。たが、どういう訳か生きている。これはどういう事だと考えるとハタと思い出した。


(そうだ。そうだった。今、私の体にに心臓はない。私の心臓は今、あの人間の中にある。だから、死なないのか?)


 それに、さっきまで海の中にいたはずが、何故、上空にいるのか。だが、その答えは直ぐに解った。目の前にいる赤い竜と目と合った瞬間、心臓と体が共鳴し合った。リオンは直感でわかった。


「私‥?私が竜化した姿に似ている。いや、違う‥人間、貴様か?」


 赤き竜から熱い血流を感じる。それに竜化特有の鼓動が目の前の竜から伝わってくる。この感覚は何度も味わっている。男の人間に心臓を奪われてから何度も感じた共感覚である。間違いない。目の前の赤竜は人間の男だ。ヴェルの鼓動がリオンに伝わってくる。


(心臓のせいか?アイツが私の心臓をもってるから?だから、私が竜化できず、ヤツが竜化したのか?)


「リオン姫?お気を確かに」


「‥バナード‥!?」

  

 リオンは思い出したようにバナードの手の感触に体をビクンと震わせて手足をバタつかせバナードから逃げようとする。


「は、離せ!私の体に触るな!」


「姫、何を?」


「ハア‥ハア‥、離せ!離せ!た、助けろ、人間!」


「リオン姫、お気を確かに!」


 リオンはバナードの嫌らしい手の感触に嫌悪感を抱いていた。リオンは竜族で唯一の女性であり龍王の娘である。それ故、力が全てで権力欲の強い数多の竜人から求婚される立場にある。だが問題は竜人に愛などなかった。それ故に、竜人共は強引な手段を使った。夜、寝込みを襲って既成事実を作ろうとする者。食事に睡眠薬や媚薬を入れる者。個室に連れ込んで暴行して来る者。更に過激な連中がいた。リオン姫がいると竜族か割れて争い始めると騒ぐ者達だ、たが、それは事実で、リオン姫が産まれてから、姫を独占しようと竜人同士が争い始めたのだ。そして、隙あらはリオン姫の暗殺を企んだ。リオン姫が寝れば息を荒くした竜人に襲われ、息抜きに外に出れば暗闇から毒矢が飛んできた。食事には毒が盛られる始末。一人になれは血走った目つきをした竜人の男が侵入してきて内側から鍵をかけられ襲われる。

 そんな毎日であった。その内、リオン姫は発狂した。父はリオンを不憫に思い、男から遠ざける為に部屋に鍵をかけて閉じ込めてしまった。リオンはあらゆる懇願の言葉を並べたが、それでも、出してもらえず更に発狂することになる。それから、リオンは思う事があり、協力者によってなんとか竜の国を脱出した。

 そして、気が付けば、リオン姫は竜人に触られると恐怖、嫌悪、殺意を抱くようになっていた。リオンは竜族である事に誇りをもっているが、竜人の男は恐怖の対象であり大っ嫌いだった。

 たが、バナードにはリオンの苦しみが理解出来ず困惑していた。


「人間よ、助けろ!私を助けろ!」


 ヴェルはグルルと唸るだけでリオンの声には薄く反応するだけだった。己の声がヴェルに届いていない。リオンの額に油汗が滲む。息は浅くなり動悸が激しくなる。早くバナードの腕から逃れたい。その為なら、竜人のプライドなんて捨てたっていい。リオンは胸に拳を当てて大声で叫んだ。


「ヴェル!頼む、私を助けてくれ!」


 リオンの必死な声にヴェルは反応示した。赤い目が光り咆哮を上げる。そして、ヴェルの頭にある2本の角と両手から大規模な電撃が見境なく周囲に放電された。アライザとジャムは急いで町を守る為に、それぞれの神に祈り、黒い盾と白い盾を呼び出し港町ラカンに電流が流れないようにした。


「おいおい、大丈夫なのか!丸焼きになって豚共の食卓を彩るのはゴメンだぜ!」ダバンは頭を低くして地面に伏せた。


「軽口叩く暇あったら逃げなさいな!」


「無茶言うな!何処に逃げろっつんだ!俺達に逃げ場なんてはじめっから用意させてねんだ!」


「なら、少しは黙っておれ!」ジャムは苛立ちを隠せず、つい角の立つ口調で怒鳴った。それだけ、ヴェルの電撃は強力だった。少しでも気を抜くとあっという間に押されて港町ラカンに雷撃の雨が降り注ぐ事になる。


「うおおおぉぉぉ〜」


 バナードは逃げ場がなく、感電した。リオンは元々、電撃に耐性があるので効かない。その隙にリオンはバナードの腕から逃れバナードの胸を蹴って、ヴェルに向かって手を差し伸べ、灼熱に燃える海に向かって飛び出した。

 ヴェルは鼻で息を吐いてから、風に乗ってリオンの下に素早く滑り込んで上手く頭上に乗せた。リオンは動悸で身を震わせて腰を抜かした。未だ震える我が身を両手で抱いて唇を冷たくさせた。そして、改めて自覚する。リオンは心底、竜人の男が嫌いだと言う事。そして、我が心臓を持っているヴェルに不覚にも安心を覚えてしまった事に。


「ヴェル、私と共に戦え!そして、竜人を殺せ!」


 ヴェルとリオンは初めて目的が合致した。バラバラだった心臓と体が1つになった。リオンは震える足で立ち上がり、ヴェルの角を両手で持つ。

 丸焦げになった、バナードの皮膚の下からすぐに新しい皮膚が再生されていく。流石に息を荒くするバナードはリオンを睨んだ。


「これは、これは、ハハ‥リオン姫。流石にオイタが過ぎますよ?‥なめやがって!出来れば穏便に竜の国へ連れ戻すつもりだったが‥いいだろう。こうなったら力ずくだ!リオン!貴様に俺の子を孕ませてやる。そして、竜の国は俺の物にしてやる!」


「下衆が!本性が出たな!あんな腐った国など滅んでしまえいいのだ!絶対に竜族の子など産むものか!」


「竜族が滅んでもいいと言うのか!」


「いい!構わん!さっさと滅べ!さあヴェル、やってしまえ!アイツの心臓を狙え!」


「貴様!それでも竜族の姫君か!恥を知れ!」


 自我を失って竜化したヴェルはリオンの命令は絶対だった。今度は口の前で雷を一点集中させて小さい光の玉を作り出すと、1本の光線となってバナードの胸元へと発射された。


「いかん、いかんぞ!アライザ!大きいのが来るぞ!」


「解ってるわ!」


 バナードの背の向こうには港町ラカンがある。今だ、避難に遅れた船民達がごった返している。アライザとジャムは白い盾と黒い盾をバナードの後ろに重ねた。光の線はバナードめがけて飛んできた。光線は速いが竜人バナードに避けられない速さではない。バナードは翼を生やして飛んで逃げようとした。がしかし、何か重しがあって飛び上がれない。バナードが足元を見下ろすとダバンが足にしがみついて飛び上がるのを妨害していた。ダバンはニヤリと笑った。


「よう。これからバーベキューが始まりんだ。帰るにゃあ早いだろ?」


「き、貴様ァァァァァ人間がァァァァァ‼」


 その瞬間、光線はバナードの心臓を正確に捉えて撃ち抜いた。バナードの心臓を貫いた雷の光線はアライザとジャムが用意していた魔術の盾に衝突した事によって軌道がズレて天高く空へと飛んで行った。アライザとジャムは安堵して力が抜けた。ダバンは感電を恐れて直ぐにバナードから離れた。心臓を撃ち抜かれたバナードの全身を強力な高圧電流が駆け巡り痙攣しながら倒れた。


「ハ、ハ、‥リオン」


 バナードは絶命した。二度と起き上がる事はなかった。そのままバナードの体は燃え上がり灰となって潮風に乗って消えて行った。その姿を見下ろす姫がいた。朝日を背に竜化したヴェルの頭上で腕を組んで立つ赤い髪の竜人姫リオン。のちに船民はこの2人をこう呼んだ。


 竜騎姫リオンと雷帝竜ヴェル。 


 と、こうして、二人は港町ラカンの壁の上へと降りた。

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