第5話 竜人竜化

 第4港町ラカン側の海面は灼熱の炎が燃え上がり激しく揺れる。

 若い警備隊員が櫓に設置されている鐘を鳴らして竜人警報を町全体に響かせる。訓練通り避難する者。家に愛着を抱き避難を避ける者。様々な船民が火の粉が散るように逃げて行く。

 出来るだけ港町から離れてから物陰に隠れる。後は震える手を合わせて神に祈る事しか許されない。これが、船上都市ノアでの日常である。

 炎の海が四方を囲む。漁師達の船に火が燃え移り安全な場所がジリジリとなくなってくる。

 海に生きる彼等にとって船は家族に等しい。たが、その家族を切り離さなければ命を守れない。唇を噛み締め竜人を呪う言葉を吐いてから、息を吸い込む。断腸の思いで、船を捨てて次から次へと海の中へ飛び込んだ。

 たが、海の中とて、安全ではない。海の中は肉食の魚獣が跋扈している。大きさは10mから5mで、真っ黒な鱗に包まれている。雄は頭に角があり、雌は岩のように硬くゴツゴツした頭をしている。魚獣は群れで生活する習性はなく、家族単位で固まって移動する。 

 この癖、食べられる所が少なく身が引き締まりすぎていて硬い。更に独特な苦味もする。シチューに使うと苦味が他の食材にも染み込んで台無しにしてしまうので、どうしても食べる物がない時以外は、好んで食べる代物ではない。漁師泣かせの魚である。

 海に飛び込んだ漁師は海のギャングである魚獣に襲われる覚悟をしていたが、海中は静かだった。いや、静か過ぎた。

 周囲を確認すると魚獣以外の魚もいなかった。それなのに嫌な空気が纏わり付く。下を見ると真っ暗な海底に赤く光る何かがあった。

 海底火山の噴火だろうかと凝視する。赤い光は徐々に大きくなって近づいて来る。そして、漁師達は気付いて逃げた。

 漁師達が見たもの。それは、赤い炎に包まれた竜が大きな口を開けて海中をS字に体をくねらせながら向かって来る姿だった。

 海炎竜バナードは直径5mの太さで全長1kmはある。全身を覆う炎は水の中でも燃え上がる。 

 逃げる漁師達を追いかけ回し、狩りを楽しんでいた。バナードは息が切れるギリギリまで追いかけ回して空気を求めて海面へと向かう所を一気に噛み砕く。

 希望を砕き絶望感を与えるこの瞬間がたまらなく好きなバナードの口から、人間の血が海水に広がり濁って行く。

 口の中にある最後の骨を名残り惜しむように噛み砕いて愉悦の笑みをうかべる。

 まだ、食べ残しがある事に気付いた、美食家のバナードは残りの逃げ回る人間をレアに焼いて食す。

 前菜を終わらせたバナードは本来の目的を思い出す。次は人間の女を攫いに海面へと上昇すると、目の前に、2人の男女が落ちてきた。

 1人は人間の男で、もう1人は現在、竜の国で行方不明となっている、赤い髪の竜人であり、竜人姫のリオンだった。


(リオン姫?こんな所に?何故?)バナードは困惑した。


 ヴェルは目の前に落ちて来た銛を手に取ってバナードに向かった。リオンに気を取られていたバナードだったが、ヴェルに気が付いて噛み砕こうとしたその時、リオンが横からバナードを横っ面を拳で打ち抜いた。


 ――何!何故?リオン姫!


 衝撃がバナードの脳を貫いて目が回った。頭は大きく横に振らて、歯の何本かが折れた。

 バナードは驚いた顔でリオンを見るがリオンは何も答えない。その顔に表情はなく、何を考えているか読み取れなかった。

 バナードが困惑しているその隙に、ヴェルはバナードの後ろに周り込んだ。炎に包まれた長い胴体には熱くて近づけない。

 そもそも、銛1つで炎に包まれた皮膚に届くかどうかもわからない。

 ヴェルは考える。

 

 銛1本で傷を与える場所は何処か?

 

 答えは1つだった。

 ヴェルは銛を握る手に力を込めてバナードの顔の横まで近づくと、一気に銛で目を突き刺した。

 眼球に痛みが走ったバナードは悲鳴を上げて怒りを顕にした。


 ――人間の分際で!


 我を忘れたバナードは、口の奥からグツグツの煮えたがる炎の塊を吐こうとしたが、その前にリオンがバナードの下顎を打ち抜き炎はバナードの口の中で爆発した。


 ――おおおお!何故!人間の味方をする!


 バナードを見下ろすリオンは、拳を強く握り締めて内に秘めた感情を抑えていた。

 リオンに殴られたバナードの傷は直ぐに再生していく。目に刺さった銛を抜くと目も回復した。竜人の超回復。人類が竜人に勝てない要因の一つである。 

 ヴェルの口から気泡が漏れ始めた。

 そろそろ、限界が近づいてきた。当たり前だが、海中では息が出来ない。ヴェルは急いで海面へと昇って行く。

 だが、海面は今、炎の絨毯が赤々と広がっている。

 早く息を吸いたいのに、どうする事も出来ない。海の牢獄に囚われたヴェルは右往左往していた。

 バナードはヴェルを見て不快を募らせた。油断していたとは言え、人間ごときに遅れをとってしまった。

 もし、この事が他の竜人にバレたら、末代まで笑われ続けるところじゃない。一生日陰に隠れてイジメにあうか、搾取され続けるだろう。

 バナードはヴェルを睨み付け、チョロチョロと目障りな人間から始末する事にした。

 バナードの腹の内側が赤く光ると光は喉元まで込み上げて来る。そして、込み上げた炎を一気に口から吐いた。

 何処か炎がない海面はないかヴェルは探した。

 しかし、ないのだ。どこにもないのだ。

 焦るから余計に苦しい。早く息がしたい。

 肺が苦しい。もう限界だった。

 たが、試練はまだやってくる。ヴェルの背中が熱くなってきたので振り向いたら、直径5m程の火の玉がヴェルめがけて飛んでくるので驚いた。

 バナードは愉悦の笑みを浮かべた。人間が必死になって生きようをするところを叩き潰す。これが最高に楽しいのだ。

 この子だけは助けてと愛する我が子を守る親の前で、子共を串刺しにして丸焼きする。そして、手足から食べていく。デザートは半狂乱に悲鳴を上げる親の涙で〆くくる。『子供の丸焼き、親の涙を添えて』がお気に入りのフルコースだ。

 まあ、海中で悲鳴が聞こえないのは残念だか、丸焼きになる人間が見れれば幾分か、気分は晴れると言うものだ。

 バナードは直撃した火の玉を見て目を細め笑った。

 さて、残るはリオン姫だがどうしたものかと、バナードはリオンに目を向けるとそこにはもう、いなかった。

 人間に気を取られている間に逃げたのか。いや、それはない。我々竜人はプライドが高い逃げる事などあり得ない。ならばどこだ?

 バナードは深海を見渡し暗闇を覗き込む。まさかと思い、爆発した人間に目を向けると、リオンが盾となって人間を守っているではないか。


 ――これはどう言う事だ。先程から人間の男を守っている?


竜人が人間を助けるなど信じられないバナードは狼狽した。そして、さらに信じられない光景を目にした。

 リオンがヴェルの顔を待って口付けをしたのだ。二人の唇の間から気泡が漏れて灼熱の海面へと登っていく。ヴェルの顔色は紫色から徐々に赤みを取り戻してきた。二人は見つめ合いなから暫く空気を送りあった。

 リオンは竜族で、唯一の女性であり、リオンを巡って力ある貴族達が奪い合う。彼等、竜族にとってリオンは憧れであり崇拝と性の対象だった。バナードとて例外ではない。

 もしかしたら、リオン姫を無事に送り返せば見返りに、リオン姫を妻に出来るかも知らないと心の片隅に微かな希望を抱いていた。

 ‥なのに。今、目の前に広がる光景はなんだ?ハナードには信じられなかった。いや、信じたくなかった。嘘であってくれと心の底から願わずにはいられなかった。

 

 嫉妬した。‥激しく嫉妬した。

 

 どす黒い炎が全身を焦がし唇を噛み締め人間の男を睨んだ。そこから、頭の中で何かが切れて真っ白になった。

 気がつけば、バナードは涙を流しながらヴェルに襲いかかった。悲鳴に近い雄叫びを海中で叫んだ。

 ヴェルとリオンはバナードに気付くと唇を離し、お互いの顔から手を離した。

 高揚するヴェルとリオン。2人の唇に残る暖かな余韻がお互いの心音を高鳴らせ混ざり合った。

 リオンは激しい鼓動が全身を駆け巡り、繰り返えし繰り返し訪れる甘い痺れが細胞の隅々まで広がる。

 リオンはただ、自分の命を助ける為に、ヴェルを助けただけなのに。何だこの感覚は?


 ――暖かくって、気持ちいい‥。


 バナードの叫びに、ふと我に返った2人は急に恥ずかしくなって、お互い目を逸らしてしまった。

 こんな事は初めての経験でリオンは動揺した。竜の国では数多の竜人から求婚の誘いを受けたがリオンの心は氷の様に冷たく動く事はなかった。

 なのに、たかが人間1人に‥こんなにも‥こんなにも、心が揺さぶられるなんて、困惑の感情に対して怒りが込み上げてきた。

 たが、今は気持ちを切り替えなくてはいけない。リオンの命はヴェルに握られている。このままでは時間の問題でヴェルとリオンは窒息して死んでしまう。

 それは避けたいリオンは時間をかけずにバナードを倒す必要があった。後がないリオンは諦めて竜化する決意をした。

 リオンは竜化は好きではない。人型の方が戦いやすく動きやすいからだ。それに人型の方が美しい。美しさは武器になる事は竜の国で証明済みだ。

 リオンは力を解放して竜化するはずだった。たがおかしい。体か反応しない。腹の底から力が湧いてこないのだ。

 いつもなら、全身に熱い血流が巡って竜になるはずなのに、何度、試しても、一向に竜化する気配がない。


――何故だ?どうして?


 一瞬の動揺が隙になった。嫉妬に狂ったバナードはリオンの横にいるヴェルの心臓に牙を立てた。ヴェルは咄嗟に銛を構えて捨て身の反撃を試みた。

 リオンは海中でなければ逃げろと叫んでいた。リオンは反射的にヴェルを押しのけた。そして、代わりにリオンの胸にバナードの牙が貫いた。

 ヴェルは直ぐには状況が理解できなかった。潮の流れに手足が揺れて動かないリオンが目の前にいる。その光景に心臓がドクンと鳴った。ヴェルの心臓が肥大化していく。


――あああああおおおお!リオン!リオン‼


 熱い血液が全身を駆ける。次第に意識は薄れ、自我は暗い底へと沈んでいく。

 ヴェルの全身は赤い鱗に包まれ尾骶骨から尾が生え、巨大化していく。

 口からは牙が生えて、爪が伸びた。

 心音が高鳴り、全長30m程の竜へと化身した。

 自我を失ったヴェルは全身から雷を放電してバナードを感電させた。痺れたバナードの首に噛みついてヴェルは赤々と光輝く海面へと駆け上がる。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る