第4話 灼熱地獄

 雨雲が太陽を覆い小雨が降る。カタカタと屋根から雨音が聞こえる。湿った空気が肌にベトついて、不快な感覚が纏り付く。湿気が気持ちを沈ませて、今日は一同、沈黙して朝食を食べた。食卓は何時もの何を入れたか解らないけど美味しいスープをすする音だけが聞こえる。皆、何か違和感を感じているのだがそれが何だか分からない。頭の中に霞がかかったようで気持ち悪かった。しかし、それをどう表現していいのか解らず、困惑していた。皆、その不安を誤魔化す為に、黙々とスープを口に運ぶ作業を繰り返した。

 器の中に盛られたスープを眺めながら、ヴェルは昨日の事を思い出そうとしていた。


(昨日、確かリオンと仕事の事で喧嘩して、それから‥アライザとキスをした‥よな?)


  ヴェルはアライザの唇を横目で覗き込むとアライザと目が合ってしまった。アライザも同じ事を考えていたらしく唇をペロリを舌で湿らして熱く情熱的な眼差しで返してきた。ヴェルは恥ずかしくなって慌てて目を逸らす。


(やっぱり、間違いない。アライザにも同じ記憶がある。でもそれから思い出せない。それが問題だ!‥僕はアライザとやったのか?やってないのか?うお~そんな事絶対、聞けない。何で覚えてないんだ!チクショ!)


 リオンも昨日の事を考えていた。


(昨日、アイツと仕事の事で喧嘩してベットに潜ったのは憶えてる。それから、暫くしたら、アイツのいやらしい感情と心音が流れ込んできて‥え~とそれから‥駄目だ思い出せない。なんで?いや‥そうだ、きっと私に心臓がないせいだ。アイツと心臓を共有してるせいで記憶に何らかの異常が働いたんだ。そうに決まってる。なら、早く心臓を取り返してそれで‥それで‥え~と、あれ?それで、どうする?あれ?私、何で船上都市に来たんだ?‥人間狩りの為?そうか?そうなのか?駄目だ。思い出せない。でも、きっとそうだろう!それで何かドジをして人間に捕まったんだ。そうか!記憶がないのも人間が何らかの方法で操作したからだ!クッ…やっぱり人間は弱くて醜い生き物だ。弱いからそんな卑怯なやり方しかできない。クズが!)


 アライザも考えていた。


(さっき、ヴェルが私の唇を見て目を逸らした。フフ、可愛い反応ね。てことはヴェルも昨日の事、覚えてるって事ね。よかったわ。でもそれから記憶がないのよね?不快だわ。一体だれが何のために?これは調べる必要があるみたいね)


 そこで、ジャムが沈黙を破って辻褄あわせの先手を打ってきた。


「いやはや、すまん。皆の衆。実は昨日、うっかり記憶操作の術を発動させてしもうて皆の記憶の一部を焼失させてしまった。本当にすまぬ。儂としたことが新しい術の開発に没頭するあまり取返しのつかぬ事をしてしまった。ホントに申し訳ない」


「そうなの?道理でおかしいと思ったわ。復元は出来るの?」アライザは原因が解った事で落ち着いて聞き返した。


「スマン。無理じゃ‥記憶操作の術は一度発動すると元には戻らん‥」ジャムはシルクハットを取って深々と頭を下げた。


「それって、昨日の部分だけ?」ヴェルは不安な顔で聞き返した。


「うむ。そうだ」


「‥ん?いや、ちょっと待て!私は違うぞ!」リオンが両手で机を叩いて立ち上がった。


「違うとは?」ジャムは神妙な顔つきを作って聞き返した。


「私はここに来た目的も忘れてるっぽい。思い出せないけど‥でも、確かに何かあった!」


「おお、それは大変な事をしてしまった。スマン、竜人よ。しかし、さっきも言った通り復元は出来ん。まあ、竜人がこの船上都市ノアに来る理由など、人間狩り以外にあるまいよ。失って困る記憶ではあるまい」


「私の記憶を消去しておいて、その言いぐさは何だ!焼いて食い殺すぞ!」リオンは牙を光らせ威嚇して見せた。ジャムは恐怖に怯えてヴェルの後ろにさっと隠れた。


「す、スマン。気を悪くしたなら謝る。どうか、食べんでくれ!記憶を再現できるか約束出来んが頑張ってみるから。だから、今は怒りを鎮めてくれ~」


「チッ、早くしろ。記憶がないってなんか、気持ち悪いんだ!」


「ああ、すまん。寛大な心に感謝する」


 ジャムは改めて頭を下げた。しかし、声のトーンは低く、その顔は能面のように感情がなかった。勿論、約束を守る気など毛頭ない。


 「それじゃ、仕事に行こうか。リオン!」


「あ?いやだね。なんで人間の指図を受けなきゃいけない」


「そう、アライザ、お願い!」


「わかったわ。リオン、悪いけど、少し眠ってもらうわ」


「ちょ!汚いぞ!人間め!」


 アライザは闇の神に祈りを捧げるとリオンは意識を失って寝てしまった。まだ、あどけなさが残る少女の寝顔はさっきまでの少女と同一人物とは思えないほど可愛かった。


「黙ってれば可愛いのに」ヴェルの一言にアライザが嫉妬して腕をつねって来た。


「ヴェル‥ラカンまで歩いて行く?テレポート要らないかしら?」アライザはプイッと不機嫌な顔を露骨にしてみせるとヴェルから顔を背けた。


 船上都市ノアの船尾には第1港町ルーンがあり、そこを起点として時計周りに東の第2港町アルがある。北の船頭には第3港町ルラーがある。そして、西には第4港町ラカンがある。それぞれ豊漁神である4柱の名が港町に付いてある。ヴェルはその西の港町ラカンで漁の仕事に就いている。

 現在、ヴェルが住んでいる所はシャーンの外れにある、森の中で住んでいる。そこからラカンへは歩くと半月ほどかかる。とてもじゃないが仕事で通える距離ではない。しかし、大きな稼ぎをしたいなら中央都市シャーンより港町で危険な漁に就いた方が稼げるのだ。その為、腕に自信のある者は港町まで出稼ぎに出る。ヴェルもそうしたい1人である。しかし、利便性を考えるとシャーンから離れたくない。シャーンには色々な物が集まるし、リックを始め、この町で知り合った人達がいるので出来ればここから離れたくない。いつの間にか、ヴェルのとって愛着ある都市になっていた。

 そこでヴェルはアライザに頼んでテレポートで一気にラカンへと移動しているのだ。この事は、一部の仕事仲間には不評で嫌味を言われる事が多々ある。今日は更に竜人付きである。何か問題か起こらない事を祈るしかなかった。

 ヴェルがアライザをなだめたあとは一瞬だった。魔法陣に吸い込まれるとあっという間にテレポートでラカンに着いた。海の香が風と共に去って行く。西側は雨が降っていないのは助かった。雨は床が滑って事故が多発するからだ。それと言うのも、船の最端は波が越えて来ないように100m以上の壁になっている。漁に行くには先ず、梯子を登って壁を越えるか、エレベーターのように滑車で上に運んでもらうかの二つになる。梯子は毎年、一人か二人、足を滑らせて転落する死亡事故が起こっている。その為、毎朝、行列は出来るが滑車を利用する者が多い。

 ヴェルはまず、何時までも背負ってる訳にもいかないのでリオンを降ろした。それから、アライザの黒魔術で寝ているリオンを起こすのは、ジャムの役割だ。ジャムは白魔術で光の神に祈って起床の術を使った。


「ん?ここは‥ああ、そうか?私眠らされたのか」


 リオンは起きると、己の体が無事である事を確認したあと観念したらしく、以外にも大人しかった。リオンは壁の上を見上げて何処か遠くを見ていた。海の向こうに何があるのかヴェルは知らない。だが、リオンは海の向こうからやって来た。出来たらその話が聞きたい。噂では大陸と言う物があって土が雲を突き抜け盛り上っているらしい。何とも不思議な世界だ。一度でいいから見て見たい。でも、リオンは喋ってくれないだろう。


「じゃ、行くか。アライザ先生!お願いします!」ヴェルは笑って頭を下げる。


「はいはい、調子いいわね。まったく」


 アライザは苦笑しながら黒猫に変化してから、闇の神に祈ると魔法陣が現れて一瞬で壁の上まで移動した。毎日、こうして時間短縮しているので一部の漁師からブーイングが飛んで来る。

 何時もの海。何時もの太陽。さあ、これから今日も仕事だとヴェルは背筋を伸ばすがその腕はダランと下がった。何時もと違う海にヴェルは立ち尽くした。それはアライザ達も同じだった。リオンは驚く事なく、その光景を腰に手を当て眺めた。

 ヴェルの目の前は広がる光景は阿鼻叫喚の灼熱地獄であった。何処までも続く海面は灼熱に燃え上がり悲鳴と炎と一緒に舞い上がっていた。一足先に漁に出ていた仲間達は炎に巻かれて骨も残らず灰になっていく。下を覗くと漁師達が必死に助けを求めている。だが、もう助からない。海から引き上げるにしても、滑車は全て燃えて崩れ落ちていた。壁の上ではヴェルの親方であるダバンが燃え上がる海を眺めて立っていた。


「おい‥ヴェル。こりゃ何だ?何時から海はフライパンになった?皆焦げたバターみたいに溶けて蒸発しちまった!」


「親方‥皆は?」


「俺等のチームは無事だ。アイツ等時間通りに集まった試しがねえ。ホント運だけは良い連中だぜ、全く!普段はクソの役にも立たない癖によ。いっそのことアイツ等もこの海に放り込めば少しは改心するだろうよ。ケッ!」


「これは海炎竜バナードの仕業だ。フフ‥いい気味だな。人間の悲鳴はホント心地良い!」


 リオンは赤い髪をたくし上げる。心の底から愉悦の笑みを浮かべて下で叫ぶ人間を笑った。


「おいおい。嬢ちゃん。その口閉じねえとそこのフライパンに投げ込むぞ!まだ、昼飯には早いが小腹が空いてる魚獣どもの餌にしてやるぞ!」


 ダバンはリオン前まで詰め寄った。禿げた頭は真っ赤になってゆで上がる。


「やって見るがいい。人間が!」


 リオンはダバンを掴んで片腕で持ち上げる。ダバンの両足は地面から離れてフラフラと彷徨った。


「クソ!放しやがれ!」


「止めろ!リオン!その手を離せ!今はそんな事してる場合じゃないだろ!」


「なら、何をする場合だ?」


「下の人達を助けるに決まってるだろ!」


「‥は?‥フフ、アハハハハ!お前は馬鹿か!どうやって?助けるにしても、下の人間共は既に丸焦げだぞ。百歩譲って海中に潜って生きていたとしても今頃、海炎竜バナードと魚獣共の餌になってるだろうよ!」


 リオンはあまりにも馬鹿な答えに力が抜けてダバンを降ろした。そして、腹を抱えて笑った。


「ああ、だったら、その海炎竜バナードってヤツを倒してやるんだ!」


「まだ、日は昇ったばかり。夜には早いぞ。夢は寝てる時だけにしろ。人間如きがどうやって竜人を倒す。見ろ!この灼熱の海をこれが竜人の力だ!自然を凌駕し世界を支配する至高の超生物。それが竜人!矮小な人間に何がある?非力な力があるだけだろ!そう、それが人間だ!この美しい光景を見て学ぶが良い!」


「リオン‥お前はわかってない。人間を丸っきり解ってない。まるで、教科書に書いてある文言をそのまま喋ってるみたいだ。実はお前、頭空っぽだろ?」


「‥だと!貴様。心臓を共有している事で、何か勘違いしているようだな。調子にのるなよ!心臓さえ我が身に戻れば貴様なぞ、直ぐに消し炭にしてやる!」


「だったら、教えてやるよ。人間ってヤツを!追い込まれた人間がどれ程恐ろしいか実地で学べ!これが人間の覚悟だ!」


 ヴェルは何を思ったか走り出した。何処へ?決まっている。今、まさに燃え上がる灼熱の海に向かって走り出した。 熱波はヴェルの肌を焼くが止まらない。汗は直ぐに蒸発した。それでも止まらない。心臓は高鳴り血が全身を巡る。


「貴様!何してる?止まれ!」


 リオンはヴェルを追いかけた。ヴェルの激しくも冷たい心音が伝わってきた。‥なんだ?奴は冷静だ。決して自暴自棄になって海に飛び込む訳ではない。奴は人の身で、竜人と戦うつもりなのか?そんなは事させない。アイツが死ねば私も死ぬ。それだけはさせない。リオンの顔が青ざめる。


「どうだ!リオン?怖いか!それが命の重さだ!人間も竜人も同じ命だってわかったか!」


「待て!止まれ!」


 リオンの手は、あともう少しで、ヴェルの背中に届くところだった。だが、遅かった。ヴェルの足は壁から離れ炎の海へとジャンプした。巻き上がる白い煙がまるで背中に生えた天使の翼に見えた。そのまま大空へと飛んで行くのではないかと錯覚するほどだった。リオンからヴェルの背中は遠くへと離れて行く。


「ええい!小癪な人間め!」


 リオンもヴェルを追いかけて飛んだ。ヴェルが死ねばリオンも死ぬ。運命共同体の二人は灼熱地獄へダイブする。リオンはヴェルを捕まえて抱き締めた。そして、アライザとジャムは急いで神に祈った。ヴェルとリオンの周りに水が集まって炎から守られながら海の中へと落ちていった。

 ダバンはヴェルの名を叫んで下を覗き込んだ。そして燃え上がる炎の隙間からそれは見えた。船上都市第4港町ラカンの下で、長くて巨大な赤い影が悠然と泳いでいる姿を‥。

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