第3話 記憶操作

 朝起きたらリオンの態度が変わっていた。僕の前で片膝をついて頭を下げてきた。昨日の事はすまなかった。許してくれ。私は貴方の下僕になるからと言って、彼女の暖かい手はやさしく僕のアレを撫でまわし潤んだ瞳で裂け目から流れる純白の粘液に彼女の小さい舌で唾液を絡ませた。僕は一瞬怯んだが彼女は僕のアレを離してくれず、昨日まで生意気だったあの小さなお口を精一杯大きく開けて滑り込ませて来た。暖かい唾液がアレに絡みつく。駄目だよ。リオン。外にアライザ達がいるから‥何てことが起こる訳もなく。最悪の朝が始まった。

 ヴェルは、気を失ったリオンにベットを譲って、自身は居間の暖炉の前で寝る事にした。我ながら紳士だなと鼻高々に己惚れた。きっと、朝起きたら顔を赤らめたリオンが「すまない、一応礼を言う。ありがとう」なんてお礼の一言でもくれるとスケベ心は下心で期待してた。しかし、結果は無視だった。

 ヴェルも竜人は嫌いだが、それでも妥協してヴェルの方から、おはようと挨拶したが返事が返って来なかった。アライザが用意してくれた、何だかわからないが味は美味しいスープを朝食に頂いて、ヴェル、アライザ、ジャムで会話する。たまにリオンに会話を振ると一言二言返ってくるが、ヴェルとの会話だけは無視される。目も合わせようとしない。今、この空間ではヴェルという人間は空気だった。この中に人間は存在していない。空気に話しかける人はいない。空気に怒る人はいない。空気に笑いかける人はいない。リオンにとってヴェルは人間から空気へと降格していた。

 ヴェルも段々苛立ってきたが、窓から見える太陽が森から頭を出して来た。そろそろ仕事の時間が近づいて来たので席を立った。

 しかし、リオンは動かなかった。何度も言うがヴェルとリオンは1つの心臓を共有している。その為、お互い30m離れると心臓は止まってしまう。なので、リオンが動かないとヴェルも動けないのである。その逆も然りである。


「リオン、悪いけど仕事があるから動いてくれ。お前が動かないと俺も動けないの知ってるだろ?」


‥無視。


「おい。聞こえてるだろ?」


‥無視。


「いい加減にしろ!」


‥無視。リオンは静かに立ってヴェルの部屋に帰ってしまった。


「おい!リオン!」


 リオンは布団をかぶって貝のように殻の中に閉じこもってしまった。

 今のリオンの感情がヴェルに伝わって来た。屈辱感に恥辱感。殺意と嫌悪。それに恐れと焦りと驚き。それらを内包した怒りが渦巻き心音がドクドクと高鳴っていた。

 困った。このままでは仕事に行けない。それは困る。明日の飯にありつけない。まあ、最悪、アライザは財宝をため込んでるのでそこから貰う手もあるが、それは最後の手段にしたい。いよいよとなればプライドを捨てて土下座するが、多分、そんな事しなくても、アライザは喜んで財宝をくれるだろう。でも、自分のくいぶちくらい、自分で稼ぎたい。それくらいの甲斐性は持ち合わせたい。

 焦るヴェルが今一度、自分の部屋のドアを激しく叩いてリオンに呼びかけた。


「おい、閉じこもってないで出て来いよ。このままじゃあ遅刻するだろ!」


 部屋の中は静かで物音1つしない。


「おい!聞いてるんだろ!返事しろ!」


「止めなさい。それじゃ、逆効果よ」


「うむ。女心の解らんヤツじゃ。ホホ。今はそっとしておくことじゃ」


 流石に聞き苦しいかったようで、アライザとジャムが止めに入って来た。


「仕事はどうするの?親方にどやされるじゃん!」


「大丈夫よ。そこはジャムが何とかしてくれるわよ。ね?」


「まったく、もとはと言えばおぬしが転心の術を使うからじゃ」ジャムはステッキをアライザに向けてくちばしを朝日で光らせた。その目は鉄板をも射貫く程に鋭くアライザを刺した。周囲の空気はピリッと固くなり冷たくなる。


「仕方ないじゃない。あの時はあれが最善だと思ったのよ。私だって完璧じゃないわ。動転して最適解を導く事が出来ない事だってあるのよ‥だから、そんな目でみないでよ」


「いや、すまぬ。儂も言い過ぎた。では、ちと、親方殿に休みを取って来るかの」


 ジャムは空に向かって飛んで行った。そのままテレポートの術を使って消えた。


「さて、これで邪魔はいなくなったことだし、お休みも取ったことだから、今日は2人でまったり過ごしましょう。フフ‥」


 アライザはヴェルに纏わりついて柔らかな乳房の重みでゆっくり押し倒した。アライザはヴェルの首を舐めて熱い眼差しをヴェルの瞳に絡ませた。ヴェルの体はカッカと熱くなり自分でも聞こえる程に心拍数が上がった。


「アライザ‥ちょっと‥」


 抵抗したいがアライザから甘い香りがして力が抜ける。拒む理由がないヴェルは誘惑に身を任せてしまいたい衝動が理性の壁を越えて溢れてきた。息は荒くなり、滲んだ手汗はアライザの背中に回して強く抱き締めた。こうなったならもう止まらない。アライザとヴェルはお互い見つめ合い、荒い息を近づけた。そして、二人はキスをした。柔らかくて暖かい感触が唇を通して伝わる。


「好きよ。ヴェル」


「俺‥」


「五月蠅いぞ!貴様!」


 リオンは火照った体でヴェルの部屋の扉を文字通り蹴破って外に出て来た。顔は真っ赤で息を荒くしていた。動悸は激しく胸を上下に揺らしていた。少しでも動悸を押さえようと手を胸に添えていた。しかし、ヴェルの心音は激しくなるばかり。リオンにとってはヴェルの感情は雑音以外、何者でもなかった。

 

「ちょっと、邪魔しなでもらえる?野暮ね!」


 リオンが割って入って来た事でヴェルは我に返った。慌ててアライザの両肩を掴んで優しく離した。あ‥とアライザは心底残念そうな顔で渋々離れたが、その原因を作った相手に対して思わずリオンを睨んでしまった。


「五月蠅いのよ。アンタ達朝からホントに!」


「出て来た!リオンが出ていた!」ヴェルは喜ぶ。


「アンタの心音と感情が勝手に流れ込んで来るの!ホントに迷惑。元に戻せ!魔女め!」


「それは無理よ」


「なんだと!」


「だって、戻し方、知らないもの」


「は?なん‥だと!」


「知らないのよ」


「じゃ、じゃ、私は一生このまま?」


「まあ、そうなるわね」


「私、私、竜の祭壇‥探しに‥来たのに。挙句の果てに神竜の心臓も奪われて‥馬鹿みたい」


 一粒の涙がこぼれると、リオンは発作的にキッチンに駆け込む。殺意に満ちた目で刃物を手に取ると己の心臓の位置に向かって両手で持った刃物を振りかぶった。


「ゴメンなさい。お母さん」


 力いっぱい振り下ろすが昨日買った寝間着の衣服の手前で刃物は止まった。リオンの両腕にヴェルがしがみつくように掴んでいた。


「離せ!死なせろ!もう嫌だ!なんで人間の男と、これから一生離れられず、生きなきゃいけない?もう、やだ~!」


「そんな‥僕だって‥誰が好き好んで竜人なんかと‥でも、それでも、あの時は仕方がなかった。時間もなかったし、僕が助かるには他に方法がなかった。こっちも苦肉の策だったんだ!‥だろ?アライザ?」


 ヴェルがアライザを見ると頭痛で頭を抱えていた。


「竜の祭壇?神竜の心臓?‥何?痛い!なんなの?これ?痛いわ!駄目!」


 アライザはヨロヨロと壁を伝って徘徊したが、頭痛は激しくなって力尽きて腰を落とした。

 その瞬間、視界は真っ白になってフラシュバックが起こった。景色はモノクロで顔が見えない男性がこっちを見て泣いていた。次に暗い空間に一点、大樹の中に太陽の様に赤く光る心臓が見える。最後に水に濡れて泣き叫ぶ自分が見えた。アライザは体を反らしてビクビクと体を震わせた。そして、力尽きる様に両手を床に付いて倒れた。何度も肩を震わせて背中で息を吸って吐いてを繰り返した。次第に意識がハッキリし始めると目を見開いてポツポツと言葉にした。


「‥思い出した‥わ。私、竜の祭壇の場所知ってる」


「ホントか!それは何処だ!」


 ヴェルは興奮しているリオンを制止させてアライザの肩を掴んで胸に抱き寄せる。


「大丈夫、アライザ?」


「ええ。ヴェル聞いて!私‥」


「そこまでじゃ!アライザ、それ以上喋る事は許さんぞ!」


 皆、その聞き覚えのある方向に目を向けるとそこにはいつの間にか帰って来ていたジャムが机の上に立っていた。


「‥ジャム?まさか、貴方なの?貴方が私の記憶を?」アライザが怯えた目でジャムを見た。


「如何にも。ただ、記憶をいじったのは何もお前だけじゃないぞ?船上都市ノア、全ての船民の記憶を操作したのだ!」


「何いってるんだ?ジャム?お前さっきから何いってるんだ?」ヴェルは考えがまとまらず錯乱していた。


「まさか、リオン、貴様が神竜の心臓を持っていたとは?その赤い髪まさかと思っていたが悪い予感は当たるものだな。さて、皆の衆、すまぬが今一度記憶を修正させてもらうぞ!」


 ジャムはステッキをトンと机の落とすとヴェル、アライザ、リオンのさっきまでの記憶が消えていった。そして、三人は床に倒れて気を失った。


「やれやれ、面倒な事になった。まさか、アライザめ。転心の術が使えたとは。しかも、よりにもよって神竜の心臓をヴェルに転心させるとは。全くアライザめ。余計な事を‥。このままではヴェルも殺さなくていけないではないか‥。神竜の心臓。この世の理を覆す心呪。この世に有ってはならんのじゃ‥許せ。ヴェル、アライザ‥。そして、神竜の心臓を持って生まれた己の宿命を呪え、リオンとやら。だが、だが、今一度だけ、一度だけじゃ、最後のチャンスを与えようぞ!」


 次の日、いつも通りの今日がやって来た。仲が悪いヴェルとリオン。欠伸をして朝を迎えるアライザ。そして、朝食を黙々と食べるジャム。何時も通りの朝。今日もヴェルは元気に朝を迎えた。








 

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