第2話 喧嘩上等

 船上都市ノアの中央にある都市シャーンにて竜人の少女リオンの人質事件騒動が収束してからすぐに、警備隊の詰所に連行された。本来なら竜人を捕らえる事は不可能に近い。ましてや、詰所に竜人を連行するなど、死人が出る事は必死である。それ程に竜人は狂暴で人間には抑え難い存在であり、畏怖の象徴なのである。

 だがしかし、今回は例外中の例外。誰もが想像できないやり方で竜人を確保する事が出来た。それは喜ぶべき事なのだが警備隊及び船民達がすべからず緊張していた。何故なら、竜人の心臓をヴェルに移した事で心臓を人質にしたのだが、竜人はその気になればヴェル以外の人間を襲う事だって可能だからである。あくまでヴェル一人の命を守る術に過ぎない事に船民達は不安を抱えていた。

 現在、リオンは詰所の椅子に座って大人しくしている。リオンの向かいには机を挟んでリックがいる。その後ろにヴェルとアライザ、ジャムが睨みをきかしている。笑顔のリックはリオンと対峙して肩を落として溜息を漏らした。


「それで何故一人で船上都市ノアに乗り込んできた?女の竜人は貴様1人か?」リックは改めて質問した。


「対等な口を聞くな。ゴミが!竜人を敬い片膝をついて頭を垂れよ。ならば話くらい聞いてやってもいいぞ?フフ‥」リオンは不敵な笑みを浮かべてリックを見下ろす。


「竜人なら四の五の言わず、船民達を襲い喰らい女は攫っていくだろう。なのに貴様は何故、コッソリ入って来た?目的を言え!」


 リックの顔は笑顔だが能面のように冷たかった。内心、屈辱と怒りで爆発寸前なのだろう。それを必死に抑えているのが背中越しでも解るのが辛かった。その感情はヴェルにも解る。いや、この船上都市ノアの船民なら誰しも経験する感情である。きっと、外にいる彼等は今直ぐに詰所に乗り込んでリオンを八つ裂きして吊るし上げたいのだろう。皆の殺気が建物の外からヒシヒシと伝わってくるのが解る。本当にやりきれないとヴェルは天井を見上げた。


「頭が高いぞ、人間。何故、我々より弱い脆弱な生物の質問に答えねばならん?全く理解出来んな?貴様等は我々竜人の玩具であり繁殖用の家畜なのだ。貴様等の役目はそれだけだ。それは光栄な事だと何故理解出来ない?だからゴミなのだ。全く‥愚かな。いいか、今後一切、私に口を聞くな。けがわらしい。薄汚い下等生物の分際で分を弁えろ‥」


 笑顔のリックの拳を震えている。寒いからではない。怒りで震えているのだ。ヴェルも同じ気持ちだった。どうすればここまで天狗になれるか。きっと、これから先も人間と竜人は相いれる事なく争い続けるのだろう。そして、負けるのは人類だ。勝利の天秤は無慈悲にも、竜人へと傾くだろう。まあ、もう既に傾いているのだが。

 リオンの話にアライザとジャムは特に顔色を変える事はなかった。アライザにいたっては欠伸をしていた。きっと、早くここから出たいのだろう。既に飽き始めていた。


「話にならんな‥。フ~、アライザ。この件をお前に一任する。連れて返れ!」


「あら、いいの?」


「正直、我々の手に余る。今の人類に竜人を押さえつける牢などありはせん。少なくてもこの船上都市ノアにはな。それに二人は離れる事が出来ないのだろう?ならば、ヴェルと貴様等の近くに置いておいた方が安心というものだ」


「わかった。いいよ。うん」


 ヴェルは頷いた。でも、待てよと改めて竜人の少女を見た。いくら竜人と言えども同い年くらいの女の子で、しかも可愛い。胸だってアライザ程大きくはないが小さいわけでもない。平均の女性より若干大きいくらいだ。スタイルだっていい。竜人特有の引き締まった体のラインは芸術品を見ているようで見とれてしまう。なのにこれから一緒に暮らす事になるのだ。否が応でも想像してしまう。彼女の赤い髪に隠れた裸体を。ヴェルも年頃の男である。そう言う事に興味はある。興奮するなと言う方が無理な話だった。

 ヴェルの心音と感情はリオンの体に伝わってくる。みるみる顔が赤くなるリオンは目を見開いてヴェルを睨んだ。反射的に毛皮の衣服の上から胸を隠してしまった。それがリオンのとっては屈辱的だった。何故か人間に負けた気がしたので一言だけ、言い返した。


「変態め!」


 リオンはヴェルを虫けらを見る目で見下した。ヴェルは何も言い返せず顔を真っ赤にして先に部屋を出て行ってしまった。その後ろ姿にリオンは鼻息を荒くして勝ち誇った。


(ざまあみろ。いい気味だ!)


 だが、リオンの屈辱地獄はこれからだった。新しい同居人が増えた事で日用品の買い足しは必要になる。特に衣服は必須だ。女性用の下着や普段着はヴェルの家にはない。アライザは普段から猫になっているので服や下着はどうしているのか解らない。特に関心がなかったので疑問にも思わなかった。なので買い足しの為、呉服店に寄るのだが、ヴェルはそっちの経験がない為、下着のサイズとかサッパリ解らない。

 だから、リオンの下着と衣服はアライザに任せる事にした。ヴェルは日用品を買いそろえることにして二手に分かれた。と思ったら、アライザに止められた。


「ヴェル。貴方、忘れてるみたいだけど、離れるとお互い死ぬわよ。まあ、30mくらいまでは大丈だと思うけど、念のため傍にいなさい。日用品の買い足しはジャムに任せればいいわ。彼、顔が広いからいい買い物するでしょう」


「神獣使いの荒い奴め。まあいい。確かにアライザの言う通りヴェルとリオンが離れるのは得策ではない。極力近くにいた方がいい事は間違いはない。では、日用品は儂が買って来よう。ホホ‥」


 そう言って、ジャムは飛んで行ってしまった。


「ほら入るよ!ヴェル、リオン」


「え?僕も?」


「当り前さ。さっきも言ったろ。極力離れないほうかいいのさ。それに男の意見も聞きたいんだ。さあ、入るよ」


 アライザは人の姿に戻って、さっさと女性用呉服店[キラメキ]に入ってしまった。残されたリオンとヴェルはバツが悪そうに目が合った。


「見たら殺す!」そう言ってリオンは怒りと恥辱に顔を赤くして、小走りで店内に入ってしまった。


「殺すって‥酷い」


 ヴェルにも、リオンの感情が流れ込んでくる。神聖な泉にヘドロが湧き出るみたいな感覚だった。ドス黒い感情が腹の底から溢れ返った。冗談かと思ったが、どうやら、彼女は本気だ。嘘だろ‥と呟いてヴェルは喉で唾を飲んだ。そして、死を覚悟して地獄の入口へと入った。

 ヴェルは入った瞬間、リオンのパンチが飛んでくるかと身構えたが、女性用呉服店に始めた入ったヴェルはそれどころではなくなって、思わず立ち尽くした。店内は別世界で足が震えた。あまりにも場違いで、もう帰りたくなった。ズラッと並ぶ、女性用の普段着からドレス、それに各サイズの上下の下着が売っていた。勿論、店内は女性しかいないのでヴェルは委縮してしまった。だが、それはリオンも同じだった。竜族は好んで動物の毛皮で作った衣服を着る。下着は下半身しか使用した事がなく、上下が有る事を始めて知ったくらいだ。己の文化の低さにさっきまでの傲慢な竜人の姿はなくなっていた。哀れにも店内の端っこで隠れる様にしゃがんでいた。


「何やってるのリオン?早くこっちに来なさい。かくれんぼは後にして頂戴!」


「あ、あ、お、おい!何だこれは!」


 リオンはスケスケの下着を摘まんで指差した。


「こんなの着てどうやって戦うんだ?人間は馬鹿なのか?動きにくいだろ?」


「馬鹿は貴方よ!フフ‥女には引けない夜の戦いがあるのよ」


「な‥んだと?」


 アライザは新しい玩具を手に入れた喜びにニヤリと笑う。アライザは指を鳴らして、竜人リオンを見て恐怖している店員を呼び出した。


「‥店内の服を片っ端から持ってきて!さあ、試着するわよ!」 


「おい、まって!ちょ‥」


「あ、はい!只今お待ちします!」


 店員達は恐怖より、売り上げが上がる喜びの方が勝ったようで、嬉々として衣服を運んで来た。商魂逞しい店員達にリオンは抵抗したが押し切られた。こうなってしまったら、リオンは着せ替え人形のオモチャにされるだけだった。抵抗虚しくなすがままのリオンは次々運ばれてくる衣服を試着させられて「はい」「おう」と答えるだけの魂が抜けた人形になってしまった。

 アライザは七色に輝くドレスを着せてリオンを鏡の前に立たせると後ろに回ってボサボサの赤い髪を整えてあげた。そして、鏡越しにヴェルを見て尋ねてきた。


「どうだいヴェル?」

 

 目を輝かせヴェルに意見を求めてくるアライザだったが、正直、分からなかった。ヴェルの困っている顔に店員が合いの手を入れて来た。


「こちらは、希少な七色蚕からとれた生地になります。職人が丹精込めて編み上げた逸品中の逸品で御座います。一点物ですのでお値段はしますが、他にない当店お勧めのドレスで御座います」


「はあ〜なるほど‥」


(う〜ん、全く分からない。どうでもいいから、早く帰りたい!)


 などと思ったが、素早く言葉を飲み込んだ。この言葉は決して言ってはいけない。言えばきっと、希望が飛び出てこないパンドラの箱が開かれ、世界は瞬く間に終焉を迎えることになるだろう。なので、最適解を導き出す為、ヴェルは頭を何重にも捻り潰した。ふと、リオンを見ると、あっちもあっちで魂が抜けたような顔をして疲れ切っていた。ヴェルは思わず苦笑してしまった。


「‥笑ったな?‥殺す。いや、いっそ殺してくれ‥」


 虚ろな目でリオンが答えると、ヴェルはなんだか肩の力が抜けて自然と嘘偽りない言葉が出て来た。


「凄く似合ってるよ」


 リオンは驚いた。ヴェルから流れてくる感情は穏やかで下心がなかった。つまりは本心からリオンを褒めているのだ。ヴェルは満足した顔でリオンをみている。

 しかし、ヴェルの思いとは裏腹にリオンはふつふつと怒りの感情が濁流のように押し寄せて来た。それはヴェルにも伝わってきた。灼熱のマグマが心臓を焦し心音が高鳴ってきた。たが、何故そうなったのか、理由が分からないヴェルは狼狽した。思わず、後退りしてしまった。

 リオンは力のこもった素足でドカドカとヴェルに近づいてくると、ヴェルの喉元を爪を立てず掴んだ。

 どうやら、触ったり、掴む程度ならば、痛みはないらしい。たが、今は多少の痛みは耐える覚悟をしていた。なぜなら、この人間の勘違いを正さなくてはいけないからだ。


「ちょっと、リオンやめなさい!」


 アライザは突然の事で声をかけるのが遅れてしまった。たが、アライザの必死の呼びかけに対して、リオンは眼中などなかった。ただ一点、ナイフを突き刺すように、ヴェルだけを鋭く睨んだ。


「いいかよく聞け、人間!私とお前は対等ではない。今、私を褒めた時、貴様、私を対等に扱ったな!卑しい下等生物め!本来なら、即刻処すところだが、今回は許してやる。私の寛大な心に感謝せよ。だが、次はないぞ!わかったら、2度と思い上がるな!人間め!」


 リオンはヴェルの顔に唾を吐いて地面に投げ捨てた。そして、痛みが反映されない程度にヴェルの顔を踏みつけた。それに怒ったのはアライザだった。


「いい加減なさい。ヴェルを傷付けるなら容赦しないよ!」


「上等だ!お前には借りがあるからな。力ずくでも、私の心臓、元に戻してもらうぞ!」


アライザとリオン、両者とも睨み合い間合いを取った。アライザは両手に炎を出して頭上に浮かした。赤々と燃える炎は矢となりリオンに狙いを定めた。

 リオンも2本の角から電流を放電させた。電流は全身を駆け巡り雷を鎧のように纏った。


「‥いい加減しろよ!そんなに上下関係ハッキリさせたいなら分からせてやるよ!」


 ゆっくりと起き上がるヴェルは独り言を言うように静かに呟いた。


「聞こえないぞ?何か言ったか人間?」


「あ‥ヴェルがキレたわ」


「どいてろ、アライザ!」


 アライザは反論する事なくあっさりと引いた。その行動にリオンは若干、薄気味悪さを感じた。

 ヴェルは近くの会計机に手を置くと、懐から漁の仕事で使うナイフを取り出して空高く振り上げた。


「お、おい、待て?何してる?まさか‥まさか?おい、さっきのは冗談だ!あはは‥本気にしたのか?竜人ジョークだったんだ。面白くなかったか?」


「じゃあ、俺もジョークを一つ教えてやるよ!さあ、笑え!」


 ヴェルは頭上に掲げたナイフを一気に振り下ろして己の手に刺した。刃物と肉の隙間からは血が溢れる。ナイフは手の甲を貫通して机に深く刺さった。


「ギャァァァァァ!」


 リオンは叫んだ。掌から全身に激痛が駆け巡る。痛い痛い痛いそう叫びたいのに口から出る言葉は悲鳴が精一杯だった。


「どうだ?面白いだろ!もっと、笑えよ!これが、人間様のジョークだ!」


 更にヴェルは自身の肩にナイフを刺した。


「いやぁぁぁぁ、やめてぇぇぇ!」


 リオンは床を転げ回り全身痙攣し始めた。


「面白いか?面白いだろ!これが今回のオチだ!人間舐めんなよ!」


 ヴェルはナイフの刃先を己の腹に向けて両手で突き刺さそうとしたが、寸前でアライザに止められた。


「もう、およし。やりすぎだよ。見な。気絶してるよ!」


ヴェルは我に返った。確かに、2本の角を生やした赤髪の少女が痙攣して倒れていた。あの高貴な竜人様が白目を向いて失禁しなから震えている姿を見てヴェルは段々冷静さを取り戻した。と同時に手と肩に激痛が走りヴェルも膝を付いた。


「大丈夫かい?私は治癒魔術は使えないから、ジャムが帰って来たら治癒魔術をかけて貰いましょう」


「うん」


 ジャムと合流すると店内で暴れた事を散々叱られた後、治癒魔術で傷を塞いで貰った。それから、そこで失神しているリオンをそのままに出来ず、ヴェルがおぶって自宅まで帰る事になった。リオンの大きな胸の感触を堪能出来たのはいいのが内心は複雑だった。このまま、リオンと上手くやっていく自信がヴェルにはなかった。沈んでいく赤紫の夕日を全身に浴びてリオンの体重を乗せた足取りは重く、酷く遅く感じた。


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