第5話 内緒のKiss

当直室の中へは初めて入った。


テレビや冷蔵庫、ポットにレンジ。ソファで寝られるように寝具もある。

テーブルの上にはインスタントコーヒーや新聞まで常備されている。

ウィークリーでも暮らせそうだ。



私は寝ているカズヤにそっと近づき、トントンと背中に軽く指を当てた。


「カズヤ…?」


「…んー…??…え、アイたん!?あれっ?」

カズヤは一瞬、何が起きたのかわからない様子で慌ててふとんから起き上がってあたりをキョロキョロ見回した。



「カズヤ、大丈夫?2日酔いで当直室で寝てたんだよ。ごめんね、無理に飲ませて。」


「いや、別に…もうだいぶ楽になったし…」


「そう。スポーツドリンク買ってきたから、飲んでね。じゃあ、お大事に。」

私は立ち上がった。



「待って。」

寝ているカズヤが私の手を掴む。





「チューしてくれたらよくなるかも。」






えーっ…




カズヤはどこからどうみても病人だ。

こんな状態で、よくそんなセリフが真顔で言えるものだ。




「いやいや、無理だって。誰かくるよ。」

少し恥ずかしくなった私はカズヤの手を離す。




「えぇ!?してくんないの?じゃあ俺、午後も復帰できないわ。」

カズヤは悲しそうに背を向けた。


「いやいや、そんなバカな事言ってる元気あるなら仕事戻んなよ。」


「やだよ。頭痛いし…。でも、チューしてくれたら治ると思うから。ね?」


カズヤが私の手を強く引く。


小窓のカーテンの隙間を見るが、廊下に人の気配はなさそうだ。




「…チューしたら、午後からちゃんと仕事できるの?」


「うん。する。」

カズヤは可愛く頷く。


「ここ、鍵とかないからね?カズヤ、誰かこないか、窓のとこちゃんと見張っててよ?」


私はソファに膝をつき、寝ているカズヤのおでこにそっとキスをした。


「じゃあ、午後頑張ってね。」


「えぇー!?足りない!!もっと!!」

カズヤは駄々をこねる。



この人は、ホントに…




「もぅ。最後だよ?」

半ば呆れながら、半開きになったカズヤの唇に自分の唇を重ねる。


カズヤは私の腰に手を回し、ブラウスの襟元から手を入れる。

「ちょっ!!待って待って!!だめ!!」

「いいじゃん。」

「無理無理!やばいって!!!」


慌てて小窓の方に目をやると、運転手の河合さんの作業着が見えた。


「マジ、やばいやばい、河合さん通った!!おしまいっ!!!」


私はカズヤをベッドの方に押し戻し、急いで小窓の下に隠れた。


「…河合さん、いなくなった?」

「…うん…」

カズヤは不貞腐れている。



「じゃあ、私戻るからね。帰り、コンビニで待ち合わせて一緒に帰ろ?」

「うん。」



「元気なんだから、午後、ちゃんと仕事戻るんだよ?じゃあね。」



「へいへい。ふぁーい。」

気の抜けた返事が返ってきた。



ドアの隙間を少しずつ開けながら、そっと外に出る。

うん。誰もいない。

ふぅ。





「—井沢さん?」



!!!!!????




「は…はいっ!??????」

誰かの声に心臓が飛び出しそうになった。



河合さんがコンビニ袋を持ってにっこりしている。



「いやあ、さっきコンビニで箸もらうの忘れちゃってさ。今、もう1回戻るとこなんだけど、箸持ってたりしない?」


「い、いえ、ないです…」


「そうかぁ。…あぁ、当直室にあるかも」


当直室寝泊まり率が1番高い河合さんが、ドアを開けようとする。



「あっ!!!!!」

「ん?」




「…い、いえ、なんでもないです。」




—なんでもない。なんでもない。

中にはただ具合の悪いカズヤが横になっているだけだ。大丈夫。




私はドクドク波打つ脈を落ち着かせるためにそそくさとトイレの個室に入った。







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