第三話
もう秋になったとはいえ、まだまだ日が顔を出している時間は長い。窓の外で地面に差し掛かろうとしている頃、「ッんしょ」と小さなショルダーバッグを左肩に背負った涼花が立ち上がった。
そして、ローテーブルでパソコンとにらめっこしていた僕にちらりと視線を向けてきた。
「じゃあ、私はそろそろ行くから」
涼花はスマホを持った手をひらりと振った。画面には十五時三十分と映し出されている。今から涼花が向かおうとしている熊鹿市の球場で、とあるアーティストのライブが行われる。動画サイトで有名になったアーティストであり、若年層を中心に爆発的な人気を得ている。
だが、僕はあまり広い視野で音楽の情報を得ないため、涼花に名前を聞いて初めて知った。そもそも今日のライブも涼花が来なければ、あの球場でライブが行われることすら知らなかった。
「ああ。行ってらっしゃい」
僕がそう言うと、涼花はドアを勢い閉め、アパートの階段を降りていった。カンカンカンカンと靴底が鉄製の廊下を叩く高い音が少しずつ遠ざかっていく。そして、廊下を叩く音が完全に聞こえなくなり、僕はようやく一息ついた。
昨日の夜に仕事から帰って来てから、ようやく新鮮な空気を吸えた気がした。やはり誰かが僕の部屋にいるというのは落ち着かないのだ。
僕は決して家族仲が悪いということはない。むしろ良いほうだと思う。
最近は実家にはあまり帰れていなかったが、大学を卒業した後は一週間程度、実家でゆっくりと過ごしていた。それに社会人になってからも、親からかかってきた電話はしっかりと出るようにしている。
だが、この僕の一人暮らしの部屋は別だ。大学時代ですら友人を誰一人も僕の家に入れたことがなかったのに、突然足を踏み入れられた。
その上、土曜日という休日をほとんど潰されたのだ。それにきっとライブから帰ってきた涼花は今夜も僕の家に泊まろうと思っていることだろう。
このままでは充実した休日を過ごせない。少なくとも涼花がいないこの間だけは充実した休日を過ごさなくては。
そう思った僕は早速キッチンへと向かい、冷蔵庫を開いた。
いつも必要最低限しか食材を買わない僕だが、今日は豪華な夕食を作りたい。そう思ったのだ。冷蔵庫の中を見渡し、入っている食材を確認する。社会人になってから料理を拘る時間がなくなってしまったため、賞味期限や消費期限が長いものを重点的に僕は買っていた。
パスタやうどんなどの乾麺、電子レンジでできる白米、レトルトのカレーやレトルトのパスタソースなどなど。
常温で保管できるものばかりだから、こんなにも冷蔵庫の中に食材が少ないのだ。
「涼花がカレーなんか作るもんだから、久しぶりにこだわり料理欲が湧いてきてしまったじゃないか」
僕は部屋の中で一人呟くと、アパートの鍵とエコバッグ数枚を手に取った。そして、僕は今からスーパーマーケットへと向かう。
最高の料理を作るために。
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