第二話

朝の陽ざしが僕の顔に降りかかり、僕は赤くなった瞼を開いた。


ゆっくりと体を起こし、鼻から部屋の空気を体内に取り入れると、カレーのスパイスの香りが体内に取り込まれる。

昨日、涼花がカレーを作ってくれていたが、四人分くらい作ってしまったため、食べきることができなかった。そのため、コンロの上で置きっぱなしになっており、そこから香りが放たれているのだろう。

 

僕は掛けていたタオルケットを退けると、ベッドの上からゆっくりと立ち上がった。スマートフォンの画面を付けると、海で撮った写真を背景に今日の日付と時間が表示される。

今日は土曜日で、起きた時刻は八時。仕事がある日に比べて二時間も遅い起床時間だが、いつもの休日比べて早い。


一週間の中で憂鬱な仕事から解放される一日目だ。どうにかして有意義に過ごしたい。冬にいつも使っている掛け布団を敷いて、床で寝ている妹の涼花をちらりと見て、僕はコンロの方へと向かった。


チチチチチチ、と火花が鳴り、コンロに青白い火を付ける。そこにカレーが入った鍋を置き、鍋の中にコップで少しだけ水を入れる。そして、お玉で水とカレーが調和するようにゆっくりと鍋の中身をかき混ぜていくと、カレーのスパイスの香りが舞い、空腹になった腹の中を満たしていく。鍋の中身がふつふつと煮立って、部屋中をカレーの香りで満たし始めた頃、背後からのそりと足音が聞こえて来た。


「おはよう、兄貴」


「おはよう。良く寝られたか?」


「その言い回し気持ち悪いからやめて。変なおっさんみたいだから」


「おっさんなのは事実だから勘弁してほしい」


僕はがっくりと肩を落とした。そして、ふつふつと煮立つ鍋の中身を抑えるために、コンロの火を弱めた。そして、僕は冷蔵庫の戸を開いた。

水を入れて嵩増ししたとはいえ、二人分のカレーはない。だから、カレールーをもう一つ入れるのもいいが、それではつまらない。それに朝から激辛のカレーを食べたら、内臓に悪い気がする。


「私が作ったカレー、どうするんだ?」


 まだ眠そうな目を擦りながら、冷蔵庫の中身を見る僕の隣に立った。食材や調味料は自炊するための必要最低限しか買っていないため、二百五十リットルの冷蔵庫の中身はほとんどない。

昨日、カレーを作った時に冷蔵庫の中身を見たくせに、涼花は「うわー、何もない」と呟いていた。


「涼花には悪いが、このカレーをまろやかにする。朝から辛いのはきついからな。それでも良いよな?」


「もちろん兄貴の家の食材で作ったし、私は別に大丈夫だよ」


「了解。じゃあ、これとこれを使う」


 僕は冷蔵庫からカットトマトの缶と牛乳を取り出すと、涼花は僕の持っている両手を見て、目を丸くしていた。


「トマトと牛乳?その二つを入れるの?」


「うん。この二つを入れることで辛さを緩和させる」


「トマトは何となく味のイメージ付くけど、牛乳?」


 涼花は牛乳を指さしながら、眉を顰め、首を傾げたが、僕はお構いなく鍋の中に牛乳を入れた。様々な種類のスパイスで茶色に彩られたカレーが、白に浸食されていく。「本当に入れちゃった」という涼花の言葉を鼓膜が捉えながら、表面の一部が白になった時にお玉を使ってかき混ぜた。少しだけ茶色が薄くなる。


 そして、カットトマトの缶を開け、鍋の上でひっくり返すと、固形と液体の赤がぼとぼとと落ちていく。もう一度、お玉で鍋の中身をひと回しすると、少しまろやかになった香りが放たれる。

 一分間だけ弱火でじっくりと煮た後、僕はコンロの火を止めた。


「これで完成だ。僕流二日目熟成カレー」


 僕は昨日と同じようにカレールーを器の左側に陣取らせ、右側には白いご飯を陣取らせた。そして、いつの間にかローテーブルに肘を付いて座っている涼花の前に、僕はカレーを置いた。


「私、カレーにはうるさいけど、大丈夫?」


「なんでそんなに偉そうなんだ」


「私はカレーソムリエだからね」


「お前、ただのミーハーな女子高生だろ」


「女子高生はSNSに料理の写真を投稿するために色々な店に行くから、舌が肥えているの。だから、ミーハーな私でも味にはうるさいんだよ」


と、涼花はニカリと笑うと、カレーとご飯を掬い、口まで運んだ。だが次の瞬間、目を見開いた。


「ん!!美味しい!!」


「そうだろ、そうだろ」


 自分の分も盛って来た僕は、ローテーブルを挟んで向かい側に座り込んだ。そして、「いただきます」と小さく呟き、僕もカレーをスプーンで掬おうとした時、銀色に輝いたスプーンの腹に映った僕の顔を見えた。その時、今日の朝まで見ていた夢を思い出した。

 

僕は一本道を歩いていた。少し前に歩いたことがあるような道のような気がしたが、思い出せなかった。ふと後ろを振り向いたが、特に何もない。

澄んだ青空の下、僕は歩みを進めていると、ついに分かれ道に差し掛かった。二つに分かれている。だが、分かれた先を見るために視線を上げると、二つに分かれた先も幾つも枝分かれしている。


そうだったな、と僕は思うと、昨日よりも茶色が薄まったカレーを口に運んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る