第6話 脊髄屋敷の事件簿②

 首無しのエンティティは九郎の居場所に気付いている様子はなく、床板の溝を爪でなぞるような仕草をしながら道を塞いでいる。背骨が無いのか、上半身と下半身がぐにゃぐにゃとずれて動く異様な姿だ。

 九郎は腰のポーチからヤンキコーラを取り出すと、床に突き立つ脊髄に当たらないように弧を描かせて缶を放り投げた。それが脊髄を飛び越えて向こう側に行くと、首無しは恐るべき速さで缶に飛びつき、両手で掴んで握り潰す。

 次に彼女は静かにコーラの缶を振ると、プルタブを起こして手榴弾のように床へと投げた。缶は脊髄の手前に転がり、床を叩く音に続いて発砲音と共に液体が溢れ出す。だがエンティティはその動きにも音にも、全く反応を示さなかった。


「……成程。どうやらあの脊髄に付いた頭蓋が、カメラのような役割を果たしているのかもしれないね。一方で視覚情報以外には頼れないと見た」


 九郎は環名の方に手を差し出す。


「防犯ブザー頂戴」

「いいよ。ちょっと待ってて」


 啓介には知る由も無いが、環名が返事をすると同時に、遠く離れたヤンキ新代店の三階店内に一体の人型エンティティが出現する。それは一見すると人間サイズの藁人形にも見える繊維質の塊である。隻腕であり、右腕は肩の辺りで平らに切られて失われている。身体には長い注連縄が巻き付いており、そこから垂れる紙垂には漢字で何かの名と思しきものが無数に書き連ねられていた。エンティティは売り場を闊歩して隅の棚にあった防犯ブザーを発見すると、左手の繊維でそれを包み込む。


 真根骨蔵側の環名はポケットに手を突っ込むと、内側から防犯ブザーを取り出す。それは繊維質の手に掴まれており、腕がポケットの外まで伸びてきていた。彼女が「えんがちょ」と言って交差させた人差し指と中指でエンティティの腕に触れると、腕は消えて防犯ブザーを手放した。


「ほら、使いな」

「ありがと」


 九郎は受け取った防犯ブザーの紐を引っ張って、けたたましい音を響かせると、それに黒い羽根を纏わせる。


「【解読不能の愛ブラック・チェンバー】、防犯ブザーを透明にしろ」


 羽根と共に防犯ブザーも消え、騒音だけが残る不可視の存在となって再び脊髄の向こう側へと投擲された。だが首無しのエンティティは全く反応を見せず、九郎の仮説が証明される。


「環名を連れてきて良かったよ。やっぱり初見のエンティティを攻略するには、物資でのゴリ押しが一番だね」


 環名のタルパ――【超次元ポケットナインティ・ナイン】。現実世界に出現させた人型エンティティが左手で掴んだ物を〈エンティティ化〉し、環名のポケット内へと転送する。転送できる物体は人型エンティティの手の中に納まる大きさの物に限られ、エンティティ化した物体は深層チャネル内か〈環名の保有するチャネル内〉でしか使用はできない。


「【解読不能の愛ブラック・チェンバー】、次はボク達三人を透明に変えてくれたまえ。二人共、ボクの後ろにぴったり付いてきてね」


 透明人間と化した三人はなるべく首無しから離れながら、脊髄の前へと進んでいく。


「凄い……全く気付かれてませんよ」

「【解読不能の愛ブラック・チェンバー】が偽装する視覚情報は、〈ボクの保有するチャネル内に入らない限り〉絶対に見破れないのだよ。トンネル状のホログラムに包まれているようなものだと思いたまえ」


 タルパは、チャネル能力者が保有している特殊な異空間の内部でしか存在できない。〈固有チャネル〉と呼ばれるこの異空間はチャネル能力者全員が持っており、深層チャネルに接続する際にも無意識下で使用しているものだ。その全ては一方通行のトンネルになっている。


「ボクの固有チャネルの長さは、大体五十メートル。六秒間全力で走れば抜けてしまうぐらいの距離だ」


 九郎のチャネル内にいる三人は自分自身や互いの姿が見えている為実感はし辛いが、長い廊下をある程度進んだ所で透明化は解除される。

 九郎は廊下を振り返り、遠くから此方を見ているであろう脊髄と対面した。首無しのエンティティは侵入者に気付いているようだが、見えない壁に阻まれているように立ち止まっている。


「やはり脊髄から遠くへは離れられないか。真根骨がどういうものか、ボクにも分かってきたよ」

「真根骨? 村の人達が火葬の時に初めに拾う骨でしたっけ」

「いかにも。憶えているかね、啓介くん。真根骨というのは、人の魂が宿る場所だと信じられているそうだ」

「確かにそんな話が書かれていたような……」

「つまりはそういう事だよ。あの脊髄には、今も尚人間の魂が宿っているのさ」


 暗闇の奥を覗いて、啓介の背筋がぞくりと震える。周囲に満ちるノイズの正体が、自分達へ向けられた悪意のように感じた。


「人間……? 怪物じゃないんですか……?」

「真根骨とは、おそらく〈人為的に地縛霊を作る為の儀式〉なのだよ。あの脊髄は、即身仏というやつだ。座ったまま微動だにせず、餓死したのだろうね。肉や四肢は腐り落ち、強い怨念を宿した脊髄と頭蓋だけが地縛霊の依代として残ったという訳だ」

「そんな、一体何の為に!」

「ボク達が知るべきはそこだよ。あの即身仏は、この屋敷にかつて住んでいた村八分者の成れの果てだろうからね」


 廊下の先は曲がり角になっており、先に続く廊下の壁には個室の扉が幾つも続いている。


「全て調べるとなると、中々骨が折れそうだ」

「手分けしよ。あたしは一人で見て回るから、啓介ちゃんは九郎ちゃんの補助で」

「わ、分かりました。環名さんも、お気を付けて……」


 環名は片手でOKマークを作ると、手前の部屋から探索を開始する。


「ボクらは反対側の扉を見ていこうか」


 九郎が少し扉を開け、啓介が隙間から明かりを入れる。小さな部屋の中央には脊髄が立っており、唸り声を幻聴する程の濃い瘴気に満ちていた。


「……中には入れそうもないね」


 その時、悍ましい悪臭が二人の背後から空気に乗ってくる。同時に環名が「クソッ!」と叫んだ。


「環名⁉︎」

「大丈夫。ただ、この部屋の中、最悪だよ。蝶番式の鍵があったから、針金を使って開けてみたんだ。そしたら……クソ、最低の気分」


 狼狽する彼女の様子から何かを察し、九郎は啓介を手で制する。


「啓介くんは見ちゃ駄目。環名を見ててあげて」


 九郎は閉じられた反対側の扉を再び開け、悪臭の漏れだす部屋を環名から受け取った懐中電灯と共に覗き込む。そこにあったのは即身仏を囲む壁や床には、無数の血痕や擦り潰された体組織が脂ぎった染みと薄いケロイドとして残っており、不気味な五線譜からそれが指先によって引かれたものであるとわかる。


「……成る程ね。これは確かに最低だ」


 いつもはポーカーフェイスな九郎も、思わず顔を引き攣らせる。

 壁や床の痕跡は、指先で掻きむしった跡だ。おそらくは、として。外の鍵は、この遺体の人物を閉じ込める為に付けられたのだろう。それも骨格のサイズから、まだ年端もいかぬ子供である事が推測できた。

 九郎はそっと扉を閉じる。


「あまり考えたくないけど、かつてこの場所で行われたのは一家心中かもしれないね」

「あたしもそんな気がする。大人連中が先導して、一家全員で即身仏になるなんてイカれた儀式を実行しやがったんだ」

「その儀式の結果が、村の壊滅だと見るべきだろうね。自分達を除け者にした村への復讐か」


 すると環名のそばにいた啓介が口を開く。


「九郎さん、少し気になる事があるんですが」

「何だね? 言ってみたまえ」

「一階の造りって、かなり豪華でしたよね。素人目の私にも、かなりの費用が掛かっていそうだと分かるぐらいでした」

「確かにそうだね。それがどうかしたかい?」

「だとしたら、のは不自然じゃありませんか?」


 九郎ははっと気付き、手にした懐中電灯で周囲を照らして確認する。確かに壁材や扉は、仮設住居のように安っぽい造りになっていた。床板は歴史を感じさせるものであるのと、ただでさえ暗い室内で啓介を守る為にエンティティばかりに目が行き、すっかり見落としてしまっていたのだ。


「部屋の中も、生活感がなさ過ぎるんですよ。家具も見当たらないし、まるで餓死する為の部屋みたいじゃありませんか」

「……啓介くん、君のその勘はおそらく正しいよ。少し待っていたまえ」


 九郎はスマートフォンを使い、アカチャネルのチャットでマコトに連絡を取る。


 カラス「マコト、ここの航空写真を出せるかね? できるだけ古い方がいい」

 ゾンビ「ちょちょお待ちを」


 数分後、ゾンビが一枚の写真をアップロードする。それは村がまだ残っていた頃の、空から集落全体を写した写真だった。


 ゾンビ「2000年代初頭の写真であります」

 カラス「素晴らしい」


 写真を入手した九郎は辺りの扉を手当たり次第に開け始め、中に入っている脊髄を確認していく。同時に手元で何かメモを取るような仕草をしていた。

 啓介と環名はその様子を見守るしかない。


「九郎さん、何をしているんでしょうか……?」

「多分だけど、即身仏同士の位置関係を測ってるんだ。あたし達チャネラー……もとい電網探偵は、事件を解決する為に幾つものオカルティックな知識を用いるの。その一つが、〈星辰占星術〉ってやつ」

「占星術……星占いですか?」

「朝のニュース番組でやってるようなのとは別物だよ。星辰占星術っていうのは、所謂呪いの一種でね。巨大な構造物の配置と小さな構造物の配置を〈同じにして照合させる〉事で、小さな存在に与えた影響を拡大して巨大な存在に与える為の呪いなんだ。呪いの藁人形を、物凄く大規模にしたようなものだと思えばいいかな」


 測量を終えて戻ってきた九郎は、二人にスマートフォンの画面に映った航空写真を見せた。


「見たまえ。こっちが災害によって壊滅する前の村の写真だ」


 続いて、メモ用紙を横に並べる。無数の丸とそれらを繋ぐ線で構成された図だが、驚くべき事にその丸の配置は、村の家屋の配置に酷似していた。


「お手柄だよ、啓介くん。君のおかげで、儀式の謎が解けた。あの脊髄達は、屋敷を守る地縛霊の依代なんかじゃない。村を滅ぼす為に、真根骨蔵という巨大な藁人形に打ち込まれた釘だったのだよ」

「つまり……村人ではなく村そのものを呪って、壊滅させたっていうんですか……?」

「不自然に改築された二階部分も、それで説明がつく。星辰占星術を行う為に、村の家屋の配置に合わせて部屋を作り直したのだろうね」

「そうまでして呪い殺す事にこだわる必要があるんでしょうか……? 不謹慎ですけど、皆が寝ているうちに放火したり、包丁で殺害して回る方がまだ現実的ですよ」

「そうだね。まだ謎は残されている。彼らが村八分にされた理由……この怨恨の原点を探らなければ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る