第2話 食肉駅の事件簿②

「電網探偵……?」


 聞いた事も無い職業だが、言葉の響きから何となく想像はつく。電網とはインターネットの事。そこを活動の場とする探偵なのだろう。だが啓介には分からなかった。


「金にするって、動画投稿でもされてるんですか?」


 アカチャネルの活動が金になるだなんて聞いた事もない。そもそもネットの海に放流されるオカルト話の真偽をこうやって確かめた所で、そんなものに金を出す人物は存在しまい。思い当たるのは、最近人気の〈動画投稿サイトで広告収益を上げる〉事ぐらいだ。アカチャネルの話題を動画として面白可笑しく取り上げる動画コンテンツは、最近目にする機会が増えてきた。


「冗談ですよ。真に受けないでください」

「へ? あ、そうですよね……! あはは……」

は普段ヤンキで働いてます。あそこ、服装規定緩いんで」


 ヤンキというのは、〈法が許せば何でも揃う〉がモットーの小売チェーン店だ。プライベートブランドの商品が安く、啓作も下着や靴下をよく買っている。


「古時計さんは会社員ですよね。仕事終わりですか?」

「いやあ……お恥ずかしながら、今しがた退職したばかりの無職です。酔った勢いと開放感に任せて探索班デビューしてみたんですよ」

「ふーん。転職でもされたんですか?」

「いえ……経営の傾きで足切りされる事になりまして。所謂窓際社員ってやつだったもので」


 カラスはルームミラー越しに隣を眺める。助手席の啓介は肩を窄めるように座っており、社内における彼の立場を伺い知れた。目の下には大きな隈があり、頬も少しこけていかにも冴えない外見をしている。


「あまり楽しい飲み会じゃなかったみたいですね。ま、頑張ってきたご褒美だと思ってドライブを満喫しましょ。ボクみたいにおっぱい大きい女となら楽しいでしょ?」


 啓介の脳裏に浮かんだ〈セクハラ〉の二文字が脂汗となって額に滲む。自分が若さを失った事を自覚し始めるアラサー男性は、この手の脅威に敏感だ。


「あ、あの。私は妻と娘がいてですね……!」

「別に構いませんよ。ボク、妻子持ちと寝た事ありますし」


 さらっととんでもない事を口走るカラスに対し、草食系の啓介は身の危険すら覚える。「あはは……」と引き攣った笑いで誤魔化すのが精一杯だった。

 その後は共通の趣味であるアカチャネルの話題を中心に他愛ない話に興じ、車は錦糸町駅へと到着する。最寄りの料金制駐車場に車を停めると、二人は駅に向かって歩き始めた。


「東京の駐車場、高いでしょう。僕が出しますよ」

「ご心配なく。経費で落ちますので」


 職を失った境遇を知ってか、カラスは啓介の厚意を冗談であしらう。横断歩道を渡ると、直ぐに駅へと着いた。深夜が近付いても周囲は多くの人で賑わい、とても駅の構内で異常事態が起きているとは思えない。


「普段通りですね。やっぱりイタコだったんでしょうか」

「古時計さん、チャネルはどうなってます?」


 啓介がスマートフォンでチャネルを確認すると、丁度大師が蠢く食肉人間の群れを発見してチャットが盛り上がっている所だった。


「何だか妙な流れですよ。食肉みたいな、変な怪物が出てきたって。……流石に創作かな」


 啓介の疑念をよそに、カラスは駅の方へと歩みを進める。構内に入っていく人物は数多くおり、異常がないのは明らかだ。


「大師さん、証拠の写真も上げなくなっちゃいました。これは明らかにイタコですよ」

「あ、古時計さん。よかったらボクの代わりに現場の実況お願いします。何か妙な書き込みがあったら教えてください」

「分かりました……えーと、何だか音が近付いてきたって」


 大師「どうしようどうしようどうしよう怖い怖い怖い」

 駅員「落ち着くんだ」

 スジ肉「オチ付いたああああああ! みんな解散!」

 古時計「今、カラスさんと錦糸町に来ました。駅は特に異常ありません」

 ドライ「探索班マハトマ」

 讃美歌「マハトマ」

 竹輪「大師らしき人物はいないのか?」

 古時計「駅の中に入りました。大師さんはネイルをした男性ですよね。探してみます。他に特徴はありませんか?」

 竹輪「今は改札口の方に下りてるんだっけ? というか生きてるのか?」

 ドイル「我々とは違う異世界に飛ばされてしまった可能性があるんじゃないか」


 古時計は何の変哲もない駅構内の光景をアップロードしていく。普通の景色が広がっている改札に、既に閉店して無人の駅ビル。顔を写さないようにさり気なく撮られた、駅内の通路を往来する人々。


 竹輪「これは流石にイタコだな」

 ポルポル「まあ結構楽しかったよ。次はもうちょっと設定作り込んでからやろうね」

 大師「違う」

 駅員「探索班マハトマ! 打ち上げにでも行ってきてくれ」

 大師「嘘じゃないの」

 ネクタイ「カラス師も運転乙。久し振りにワクワクしたわ」

 大師「助けて。お願いだから見捨てないで」

 ドイル「大師流石にしつこくないか? 今回はもう終わりだって」

 古時計「大師さんは今何処にいます?」

 大師「男子側の多目的トイレの中。もうあいつが目の前まで来てる。扉を叩く音がどんどん速くなってる。お願いだから早く助けて」


 通路を調べていた啓介は精算所のそばにあるトイレの前まで戻ると、改札の外で腕を組んでいるカラスに手を振って合図を送る。それに気付いた彼女は電子交通カードを使い、駅構内に入ってきた。


「何かありました?」

「大師さん、男子トイレの中にいるみたいです。どうします?」

「どうするって、ボクは行けませんよ。一応女なので」

「あ、そ、そうですよね! 分かりました。私が見てきます!」


 啓介は尻を叩かれたようにトイレの中へ入っていくと、こそこそと内部を見て回る。幸か不幸かトイレの内側は無人であり、情けない姿を見られずに済んだ。多目的トイレの扉を開けると、やはりそこにも人の姿は無い。洗面台の鏡に映る自分の姿を見て、啓介はいよいよ自分は何をしているんだとやるせない気持ちになった。床に大きな溜め息を吐いて、もう帰ろうと顔を上げたその時。

 鏡の端に映る便座の上に、しゃがみ込む若い男の姿があった。


「は……?」


 ネイルと化粧を施した顔は、まるで女のようだ。顔立ちも整っており、歌舞伎町辺りにいるホストを彷彿とさせる。だが首を横に向けてもその姿は何処にも無く、ただ鏡の中だけで必死にスマートフォンの画面を触っているのだ。


「うわああああああああっ!」


 啓介は絶叫し、半ば転げるようにして個室の外に出る。前後不覚になっていた彼の顔を、柔らかくて暖かい感触が包んだ。いつの間にか、カラスが男子トイレの中に入ってきていたのだ。彼女の大きな胸の感触と甘い香りに一瞬幸福感が過ぎるも、啓介は直ぐ我に返って壁に激突する程後ずさる。


「すっすすすみません! わざとじゃ――」

「別に胸ぐらい気にしませんよ、ボクは。それより中で何かありました?」

「鏡に……いる筈のない男の姿が……!」


 カラスは多目的トイレに入ると、鏡を一瞥する。


「……へえ。これが見えるんだ」


 一言呟くと、彼女は長い脚を驚くべき柔軟さで上げて跳躍し、鏡を蹴り割った。瞬間、その姿が一瞬にして啓介の目の前から掻き消えたのである。



 ネイルで飾られた指が震えながら画面を押し続ける。あらゆる生命の気配が消え去ったように感じる駅構内の多目的トイレで鍵を閉め切って籠りながら、閉めた便座の上に靴で座るマスクの男は、画面の向こう側へ必死に助けを求めていた。扉の向こうからは冷蔵庫のコンプレッサーのような不気味な音が鳴り、湿った音ががんがんと激しく扉を叩く。

 必死の救難信号を送信した直後。重たい物を力いっぱい叩き付ける轟音と共に、扉を固定していた鍵が衝撃で外れ、ゆっくりと扉が開いていく。隙間から顔を覗かせた食肉人間の頭部は幾度となく扉へと打ち付けたせいで半壊しており、右の眼球が飛び出した顔でぎりぎりと歯を噛み締めていた。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 覗くつもりなんてなかったんです! チャネルの人達が見に行けって!」


 ネイルの男が大声で弁明すると、それに触発されたように食肉人間が大声で叫び始めた。男の怒鳴り声から意味を取り払って不快さだけを残したような、不安を搔き立てる音が周囲に響く。そして不意に身を乗り出すと、大口を開けて個室の中へと頭を突っ込んだ。


「待っ――」


 咄嗟に顔を庇おうと腕を交差させた男の眼前で、そばにあった鏡ががしゃんと砕け散る。同時に現れたカラスは、食肉人間の顔面を蹴り飛ばして向かいの壁へと激突させる。


「へ……え……?」

「早く出たまえ。ここから生きて帰りたいのならね」


 食肉人間の首は壁にぶつかって完全に折れており、ほぼ直角に曲がっていながらも歯ぎしりをしてまだ生きている。確かにいつ飛び掛かってきてもおかしくない状態に思えた。男は便座から跳び上がり、カラスのそばへと転げ込む。すると彼女は手を繋ぎ、個室を出てそのままトイレの外へと男を連れ出す。

 だが外に待っていたのは、おそらく先程の大声で呼び寄せられたであろう無数の食肉人間達の群れであった。怪物達は二人の姿を視界に入れるや否や、唸るのを止めて耳を裂く絶叫を始める。


「ひいいいいいっ!」


 男は情けない声を出して腰から崩れそうになる。身体が前に進む事を拒んでいた。目の前に〈苦痛なく死ねるスイッチ〉があれば、ホラー映画の流れるテレビの電源を消すように救いを求めて押したかもしれない。


「走るよ」

 ――カラスは無慈悲に告げる。

「前に進まないと、出口には辿り着かない。道っていうのはそういうものさ、少年」


 走り出す二人に向かって、食肉人間達は一斉に向かってきた。数十体で迫る彼らに囲まれればまず逃げ場はないだろうが、カラスが手を握ってくれるおかげで少し落ち着いた男は、その動きに違和感を覚えた。


「あれは〈直進する〉か、〈直角に曲がる〉かの二種類の動きしかできないのだよ。レーンに乗せられて上位者の下へ運ばれるだけの供物だから」


 機械のようにしか動けない敵の隙間を縫って、通路を走り抜けた二人は静謐の闇が待ち受ける改札を潜る。その先には、いつの間にか何の変哲もない錦糸町の夜景が広がっていた。そして、あんぐりと口を開けた啓介の姿も。彼は先に外へ出て、家に帰る事もできずにカラスの帰りを待っていたのだ。


「カラスさん! 今何も無い所から出てきませんでした⁉」

「鏡の国から少年を連れ戻してきたのだよ。君の手柄だ」

「そ、そうですかね……私は驚いて叫び回っていただけな気もしますが」


 謙遜する啓介に、カラスは腰の小さなポーチから取り出した一枚の名刺を渡す。


「私と一緒に働く気があるなら、そこに書いてある番号にかけてきたまえ。〈同じ道を行く〉者として、歓迎するよ」


 彼女の言っている意味が啓介にはあまりよく理解できなかったが、その奇妙な縁に何故か喜びを感じている自分がいた。ふと貰った名刺を見ると、そこには電話番号と三本脚のカラスのマークが書かれているのみであるのに気付く。


「あの……もしよければ、お名前を聞かせてもらえませんか」

明石家九郎あかしやくろう。――電網探偵さ」


 九郎は助け出した美少年の肩を抱いて、夜の街へと消えていった。

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