電網探偵―明石家九郎の事件簿
鯨鮫工房
第1話 食肉駅の事件簿①
〈チャネリング〉――高位の霊的存在(いわゆる神霊、地球外知性体、死霊)との交信を意味する言葉。チャネリングを行う者を、〈チャネラー〉と呼ぶ。
20世紀末にサービスを開始し、今日では日本国内最大手へと成長したインターネットオカルト掲示板〈アカチャネル〉。義務教育を終えていない子供達が授業の合間に興じるくだらない怪談から、野生の文豪が脳髄に浮く才能を唾に混ぜて吐き捨てた傑作の法螺話まで、古今東西のオカルティックな話題の数々が日夜〈チャネル〉と呼ばれるテキストチャットルームへと書き込まれていく。
アカチャネルの利用者はサイト名から転じて〈チャネラー〉と呼ばれ、日本のオカルティストの代名詞となっていた。
ウェブサイトを開くと、アザラシに似た肌色のキャラクターである〈アカチャン〉が訪問者を出迎え、開口一番に「ようこそチャネラーさん。繋がっていってね!」とフキダシ内の台詞を
アカチャンの下には無数の白い長方形が並んでおり、一つ一つに【一人かくれんぼをするチャネル】【自作の薬物でトリップするチャネル】などの題名が表示されている。題名の横には(16)や(43)といった数字が続いており、これが現在のチャネル参加者数をリアルタイムに表しているのだ。この数字を指標とし、盛り上がっているチャネルを探すのが基本となる。
本日最も盛り上がっていたのは、一時間程前から掲示されていた【駅から出られなくなった大師を助けるチャネル】というチャネルだった。参加者数は五百を超えており、アカチャネルでも稀に見る盛況ぶりである。
題名に入っている〈大師〉というのはチャネルを立てた人物を指す言葉で、チャネル内では大師を話題の中心として、他の参加者達が話を立てていくのが暗黙の了解となっている。
大師「やばい。本当に誰もいない。詰んだかもしれん……」
書き込まれたメッセージの前には、書き込んだ人物がチャネル毎に個別に設定する〈ハンドルネーム〉が表示される。チャネルを立てた人物のハンドルネームは自動で大師として設定されるので、他の参加者と区別しやすい仕組みになっているのだ。
駅員「外には出られないのか」
竹輪「たまたま人がいないだけだろ」
大師「外が真っ暗になってる。街灯とか店の明かりもないし」
竹輪「イタコ乙。写真貼ってみろ」
常識では考えられない状況を訴える大師に、一部のチャネラーは懐疑的な目線を向けていた。アカチャネルに書き込まれる怪談はその大半が作り話だと皆理解した上で楽しんでいるが、創作物をあたかも本当の事のように書き込んで参加者を集める行為は、自分自身が怪談の登場人物になりきる様子から〈イタコ〉と呼ばれ、荒らし行為の一種として顰蹙を買う。
だが大師の貼った一枚の写真が、チャネル内を一瞬で凍り付かせた。
写真を要求されてから数分と経たず貼られた駅の写真は、確かに駅の外側が星明かり一つ無い暗黒となって続いていたのだ。しかも良いスマートフォンで撮影しているのか、やたらと画質が良い。
クッキー「マジかよ」
納屋「こえええええええええ」
竹輪「加工じゃないのか」
ドイル「こんな短時間に加工するのは無理だろ」
良音「予め用意してたんじゃないん?」
竹輪「じゃあピースした指もさっきの景色と一緒に写してくれよ」
再びの要求に、大師はすぐさま追加の写真をアップロードする。そこにはネイルの施された細く綺麗な指と、先程の不気味な景色が同居していた。
大師「どうホギ?」
〈ホギ〉というのは赤ちゃんの泣き声を元に作られたアカチャネル内の
竹輪「マジか……」
ポルポル「大師は女ホギ?」
フェチ「指が綺麗過ぎる」
納屋「アカチャに女がいるわけないだろ!」
大師「男ホギ! ネイルは趣味ホギねぇ」
モニターに反射する顔が想像できそうな劣情丸出しのチャネラー達によって話題がズレそうになった刹那。それまで一言も書き込んでいなかった一人のチャネラーが指を動かした。
カラス「駅名教えてくれたら凸しに行くよ」
ネクタイ「探索班きたああああ」
駅員「面白くなってきたな」
讃美歌「カラス師、マハトマ!」
〈凸〉――原義は突撃。チャネラーが現地に赴いて、怪奇を検証する行為を指す。凸を行う勇敢な暇人をアカチャネルでは〈探索班〉と呼び、探索班として名乗りを上げた者には、〈マハトマ〉の言葉で賛辞を贈るのが定型である。
大師「錦糸町駅。あんまし怖い人来ないで欲しいホギ」
カラス「車で行ける距離だった。向かう」
するとカラスは、夜道を走る車内と思われる写真をアップロードした。窓にスモークシールの貼られた軽自動車で、散らかった車内からは車に対する愛着を感じられない。
カラス「今出た」
餃子「行動力の塊」
おまわり「怖いおじさんが大師きゅんを迎えにいくからねえ~」
アライグマ「車内汚ったねえ! ヴォエ!」
大師「優しくしてほしいホギ~」
喫茶メテオ「大師は何してんの?」
〈大師は何してんの?〉という構文は、話題を大師の方へ戻したい時によく使われるものだ。
大師「階段下りてみる」
駅員「錦糸町駅に人がいないとかありえるか?」
錦糸町駅は一帯でもかなり大きな駅で周辺も栄えており、深夜近くになっても利用者は多い。今日が金曜日である事を加味すれば周辺の繁華街で飲み歩く者も多く、駅の利用者がいないという状況は考えにくかった。
大師「あ」
喫茶メテオ「え、どうしたの」
納屋「そこにはスタンガンを持ったカラス師の姿が……」
フェチ「めちゃくちゃ逃げて大師」
大師は一枚の写真をアップロードする。ホームの怪談を下りた先にある、駅の北口と南口を繋ぐ広い通路から撮った改札の写真だ。その先には本来街の景色が見える筈なのだが、改札の先は真っ黒な闇が広がっていた。そのせいか、広い通路が異様な圧迫感に包まれている。無論、通路は無人である。
ボトル「怖すぎる」
ネガ「嘘だと言ってくれ大師」
大師「何なのこれ。本当に錦糸町駅では何も起きてないの?」
竹輪「ネットニュースには何も上がってないぞ」
古時計「凸の師、合流できませんか? 秋葉原の駅にいます」
ここで一人のチャネラーが探索班に加わる。
駅員「カラス師気付いてくれ」
カラス「拾いに行く。トヨバシの方で待ってて」
凸を行う際に見ず知らずののチャネラー同士が合流するのは、半匿名掲示板であるアカチャネルの特徴的な文化である。チャネラー達は少しオカルトに興味があるだけの一般人が大半であり、一人が現場に向かった所で何もできなかったり、途中で興味を失って失踪してしまう場合が多い。そこで人数を集めてお祭り騒ぎな雰囲気を演出し、凸を盛り上げる手法が生まれたのだ。
駅前の家電量販店を目印に合流の約束を取り付け、探索班が錦糸町へと近付いていく。
ポルポル「大師は探索班が来るまで隠れてた方がいいんじゃないか」
おまわり「いやおもろいから駅の中回って実況してくれ」
大師「今の所危ない目には遭ってない。でもこのまま助け出されなかったら餓死確定」
駅員「錦糸町駅なら駅ビルとか隣接してるだろ。食べ物探そう」
大師「動き回るの怖いけど行ってみる」
そこからニ十分程。大師からの返信は途絶えてしまった。
ネガ「大師大丈夫?」
餃子「死んだんじゃないの?」
おまわり「駅員のせいだ。お前が殺した」
ドイル「いや待て。スマホの電池切れた可能性もある」
駅員「お前が言うな>おまわり」
大師「どうしようこわいこわいこわい」
竹輪「生きてたか」
ネクタイ「何があったの」
納屋「そこにはスタンガンを持ったカラス師の姿が……」
大師「駅ビルの惣菜コーナーみたいな所に行った。そしたら皮膚の無い人間みたいなものが沢山いて、ぶるぶる震えながら道を徘徊してた」
竹輪「は? 何か一気に創作臭いわ。写真はよ」
大師「無理。音でばれたらどうするの」
駅員「その人間みたいなものはどんな感じだったんだ? 詳細教えて」
大師「身体が筋肉剥き出しだから性別とかは殆ど分からないけど、物凄く苦しそうな顔で歯ぎしりするみたいな表情をしてた。手足は有ったり無かったりして、どれも手足を使わずに宙に浮いて移動してる。加工された食肉がクレーンに吊るされてる感じ」
アライグマ「表現が生々しくて怖い」
大師「決まったルートを移動してる感じで、それが余計に食肉工場っぽかった。多分あいつらの声だと思うんだけど、冷蔵庫から鳴るみたいなゔーんって音が聞こえた」
ドイル「もしかしたら駅にいた人間達なんじゃないか? 大師も見つかったら加工されるぞ」
大師「え、待って。さっきの音が近付いてくる」
時は少し遡って、秋葉原駅――トヨバシカメラ側の出口。
古時計こと
チャネルを眺めながら待っていると、白い軽自動車が近付いてくる。それは近くの歩道沿いで停車した。啓介は今回が初めての凸であったため、見ず知らずの他人と会うのは少し緊張する。それでも日頃の飛び込み営業で鍛えた胆力と酔った勢いに任せ、果敢に車へと近付いて窓をノックした。
「すみませーん。古時計ですけども」
「ああ、鍵開けますね」
中性的な声が返ってくる。思ったより若い男なのかなと啓介が考えていると、がちゃりと助手席のドアが開いた。
「カラスです。助手席に乗ってください」
中に乗っていたのは、背が高く若い女だった。目つきが悪く美人とは言えないまでも、整った鼻筋のしゅっとした顔。ウルフカットに整えた黒い髪は襟足を蛍光色の水色に染めており、額にサングラスを掛けている。服装はすらっとしたグレーのスキニージーンズに細いタートルネックの黒い縦セーターで、驚く程に大きな胸が薄い生地の下でぱんぱんに張り詰めていた。
予想と大きく乖離した人物が出てきたもので、啓介は一瞬固まってしまう。
「どうしました? やっぱり行くの止めます?」
「あ、いや。そういう訳では。じゃあ隣に失礼しますね……」
乗り込んで扉を閉めると、嫌でもカラスの顔が近くに見える。彼女の少し赤らんだ耳は銀色の刺々しいピアスで無数に覆われていた。よく見れば、少し捲った腕からは羽を模った刺青が覗いている。
「煙草、平気ですか?」
カラスが尋ねる。啓介は喫煙者ではなかったが、仕事柄喫煙者と付き合う事も多いので煙に対する嫌悪感はない。
「私は吸いませんが、吸ってもらっていいですよ」
「じゃあ遠慮なく。煙たかったら窓、開けていいので」
カラスはそう言うと、電子タバコを吸い始める。副流煙に混ざる果実のフレーバーは、彼女の身体に染み付く匂いと同じ香りだった。
カラスの浮世離れした派手な恰好に、啓介は思わず好奇心が抑えられなくなる。
「あの……失礼ですがご職業は何を?」
ミュージシャンだろうか。はたまた、もっと剣呑な何かか。
カラスはきつい三白眼で前を見たまま答える。
「――
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