六話《所長 南条命》

こんこん。

戸を少し強くノックする。

「文野遥香です。」

少しも沈黙の後、柔らかな声がする。

「どうぞ。」

「失礼します。」

そっと戸を開いた瞬間、淡い栗色の長髪が目に入る。

「なにか?」

少し見惚れていた私に彼女がそう語りかける。

気を取り直し、すぐに彼女の机に資料を置く。

彼女はここの所長である、南条命だ。

柔らかいその雰囲気と容姿は、初め誰もが天使かと疑うほど美しく、綺麗だった。

そして彼女は、私が唯一尊敬する唯一の人でもあった。

「2週間分の研究資料です、、、目立った成果は得られませんでしたが、一応。」

「そう。」

さらりと髪をかきあげ、彼女は資料を見つめる。

その小さな所作にすら、意味を感じた。

彼女の瞼が、ぴくりと動いた。

「遥香ちゃん。」

「、、、はい?」

「もっと、肩の力を抜いていいんだよ。」

「、、、え?」

研究のことで苦言を言われるかもしれないと思っていたから、思わず声を漏らしてしまう。

「遥香ちゃんが、忌子を憎んでることも、そのために一生懸命研究してるのも知ってる。」

優しい、でも厳しい声で私に言い放つ。

「でも、忌子研究をするのは遥香ちゃんだけじゃないの。皆に頼りなさい。」

私からはそれだけ、そう言いながら目を閉じた。

「、、、ありがとうございます、」

「研究内容は、私の言ったことをしてるだけだし、遥香ちゃんは気にせず頑張って。」

失礼します、そう言って部屋を出た。

「はぁ、、、。」

ため息をつきながら歩き出す。

「どうかした?」

秋斗が私に問いかけてきた。

「、、、別に、大丈夫。」

お互い敬語を外していれば話せるようにはなったけれど、別に心の内を曝け出すほど親しくなったわけでもない。

「、、、そうか。」

相手もそれ以上詮索はしてこず、ただ私の隣を着いて歩いた。

叫び出したい衝動をぐっとこらえる。

心の中を黒い渦が、ぐるりぐるりと渦巻いているようだった。

叫びだしたら、きっとこの心は決壊して、私という存在は崩れ去るだろう。

死体の山が、今でも目に浮かぶ。

あの人が、あんな酷いことをしただなんて、今でも信じられなかった。

いや、信じたくなかったんだ。

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