第3話 ヨーケルの試練

そして一年前の夏、ヨーケルに最大の危機が訪れた。兄の一人が病で危篤という知らせを旅先で受けた。本宅へ向かうために馬車を急がせていたところ、乗っていた馬車の馬が何かに驚いて街路を外れ、その拍子に車輪が石に乗り上げて横転したのだ。その衝撃でヨーケルは客車の外に投げ出され、両手が客車の下敷きになった。さらに運悪く、馬車の一部と思われる折れた木の棒が左頬を貫通して左目を潰した。御者は客車に首を押しつぶされて即死状態だった。


不幸中の幸いとしては、この事故により、心の痛みは別として、肉体的な痛みをあまり感じない体質であることに気づいた。事故のさなかでも意識がはっきりしていたけれど、手と目が潰れた痛みはほとんどなかった。


彼らは運良く通りかかった別の馬車に救助された。すぐに『光の医院』に運び込まれ、手術が行われた。その結果、彼の命は助かったものの、左目と利き手である左手の肘から先を失った。さらに切断を免れた右手の握力も極端に弱くなっていた。


右手だけで病院服のボタンを掛けたり外したりすることはできるけれど、スプーンや筆などを握ったまま、長い時間それを維持することはできなくなった。介護されながらであれば右目と右手だけで日常生活は送れるものの、画家になることはおろか、絵を描くことすら難儀する有様だ。


自分の人生に絶望し、命を絶つことも頭をよぎったが、光の医院の医師と看護師の献身的な治療と看護により、自死は思いとどまった。彼らの献身さは、ヨーケルの両親が医院に莫大な金銭を寄付しているからこその献身さだった。しかし、それを知らないヨーケルは、彼らの人格から来るものだと信じた。


左目と左手を失い、右手に障害が残ってしまった。しかし、逆に言えば、危篤だった兄や御者は死んでしまったのに、自分が今こうして生きていることには、何か大きな意味があるのかもしれないと思った。自分が生きているのは、人間を超越した大きな存在の意志や采配なのかもしれないと感じた彼は、入院している間、その答えを探すために『光の教会』に通い始める。


光の教会は、『光の聖女』こそが救世主であると信じる人たちによって運営されている。ヨーケルが入院していた光の医院も、光の教会が運営している。数百年前から教会はあったようだ。もともとは土着の宗教を信仰していた人たちのための小さな教会だった。そこに、高祖父よりも少し前の時代に、一人の流れ者の女がやって来て奇跡を起こした。夜にもかかわらず、彼女は教会内を昼のように明るく照らしたのだ。当時は、灯りといえばろうそくやたいまつなど、炎を灯すしかなかった。だから、まるで夏の日差しのような青白い光に、その場にいた全員が、まさに目もくらむような思いをした。


女が言うには、その発光の正体は、先史文明の遺構から発見されたソーラー発電パネルの付いたLEDランタンというものである。だから奇跡ではないと否定したけれど、電力が失われた時代にあっては、やはりそれは奇跡と言うほかなかった。そして、それを差し引いたとしても、光の聖女の先史文明に由来する膨大な知識、特に医薬に関する知識は、多くの人命を救い、それだけでも十分に奇跡と呼べた。誰ともなく、その女を『光の聖女』と呼び、明るく照明された教会を光の教会と呼ぶようになった。


先史文明の崩壊と共に電力は失われたものの、発掘された水力発電機を設置して僅かながらに電気を供給しているため、光の教会では、照明の他、温度を下げる機械で食品を長持ちさせるなど様々な奇跡を体験することができる。


二百年ほど前に現れた光の聖女は、孤児の少女を引き取り、その少女に自らの知識を称号と共に代々継承させてきた。教会は、数十年がかりで増改築を繰り返した結果、今では大きな尖塔をいくつも持ち、数百人が働きながら生活する大聖堂となった。

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