第30話 人柱

 驚愕――しかし同時に、胃の腑に落ちる。あまりに突飛な仮説だが、それを荒唐無稽と断じるには、今の自分はあまりに多くの異常を体感してしまった。


「それが真実だとすれば、教会の教えは全くのデタラメ――それどころか信仰の対称である聖霊が、実は人類が生み出した兵器だったなどと知られれば、その威信は地に落ちるでしょう」

「それじゃあ先生は……征伐師として、真の歴史を知るナツ君を抹殺するために?」


 シンシアさんは苦しげだが、それでも抜け目なく真意を測るようにそう言った。


「いいえ……今の私はむしろ教理に悖る身です」


 そう言って小さく頭を振ると、


「かつては私も敬虔な信者でした。私にとって教会は全てであり絶対の存在――心からの忠誠を誓い、その過程で征伐師に就くのは至極当然な帰結でした」


 先生は遠い目をしながら、抑揚のない言葉を紡いでいく。


「しかし教会の暗部を担う征伐師は、誰にも正体を知られてはなりません。ですから表向きは別の役職を担い、影として汚れ仕事をこなします。そして時には市井に紛れ込むため、偽りの家族をあてがわれることも。生涯に渡って身分を隠すために用意された仮面です」

「偽りの……家族?」


 こちらの疑問に彼は眉尻を下げると、ややあってから口を開いた。


「……子供ですよ。孤児院から養子を貰ってくるのです」

「じゃあ……前に話してくれた娘さんは……」


 先生は噛み締めるように首肯すると、芝居がかった口調で言葉を続ける。


「ですが養子縁組には、もうひとつの役割があったのです。それは、巫女の育成。巫女には特別な資質が必要というのは以前お話しましたね? 教会は全ての孤児にテストを行い、適性の高い子を征伐師の下へ送り育てさせるのです。考えてもみてください――結界の維持という重要な役割を持つ巫女を、教会が管理しないはずがないでしょう? 子を持つことで市井に紛れ同時に巫女を育てる――教会にとっては一石二鳥という訳です」

「巫女を育てるために……孤児を引き取る……? まさか――」


 先生の言葉を反芻しながら、ふと気付く。教会が敷いた巫女を管理するシステム――それに該当する人物がもう一人いるではないか。

 意識を内へ向けると、彼女も同じことに気付いたのか微かな諦念の気配を覚える。


「以前お話しましたね。リッカさんのお父上の下で働いたことがあると。ご想像の通り、彼も征伐師だったのです。尤も、彼女もそのことはご存じなかったようですが」


 先生はリッカの気配を見透かすように目を細めると、


「……ただ、私には征伐師として重大な欠点があったのです」


 そう言って、小さな嘆息と共に言葉を続ける。


「それは……偽りの家族を愛してしまったこと。信仰と娘を天秤にかけられたとき、私は後者を取った」

「信仰と……天秤に?」


 何故、娘を愛することが背信に繋がるのか。

 その意味が掴めず疑問符を浮かべていると――


「……お二人は、巫女に会ったことがありますか?」


 それは自分以外の二人に投げかけた問だろう。彼は沈黙を否定と受け取ると、


「巫女は神聖な役職として枢機院へ召喚され、以後、人前に出ることはありません。そして巫女に選ばれる者の多くは孤児――何故なら、それが教会にとって都合が良いからです」


 そこで短く句切ると、先生はおもむろにこちらへ視線を戻した。

 その言葉と視線に息が詰まる。今度のそれはリッカではなく、間違いなく俺ひとりに向けられたものだった。まるで、受け止めてみろと言わんばかりに。


「神籬とは、神の器を指す言葉。つまり神籬の儀式とは、その魂を聖霊の依り代として捧げること。巫女の魂を触媒として結界は蘇る。心御柱とは、即ち人柱なのですよ」


 ――人柱。

 その言葉の意味を、俺はすぐに理解することができなかった。


「どういう……。だってリッカは、儀式を……。なのに……人柱って……」


 俺はしどろもどろになりながら、縋るように言葉を零す。柔和に目を細める先生と、絶句するシンシアさん。しかし肝心の本人からは、否定も驚きも生まれない。


「リッカは……知っていたのか……?」

『……私の命で皆を守れるならば、それは正しい行いでしょう。貴方やシンシアも、自分の命を賭してここまできたはずです』


 淡々と告げられた言葉を、俺は咄嗟に振り払うように叫んだ。


「……違う! 俺たちは死ぬためじゃない……生きるためにここまで来たんだ!」

『生きるために戦えるのは、生きている者だけです。心が消えてしまったら――何も感じず、何も生み出せないならば――それは死者も同然でしょう』


 その言葉に、俺は二の句が継げなくなる。

 何故ならそれは、病に伏せていたとき、他ならぬ自分が考えていたことだったから。痛いほどに分かってしまうからこそ、否定することができなかった。


「……リッカさんも、娘と同意見のようですね。そういうところも、そっくりです」


 先生は首から提げていたロケットを取り出すと、蓋を開いてこちらへ見せた。


「姉妹……だったのでしょうね。私も初めて見たときは驚きました」


 そこに収められていたのは、リッカと瓜二つの写真だった。

 歳はリッカより少し若いくらいだろうか。

 銀色のショートヘアを靡かせた少女が、太陽のような笑顔を浮かべている。


「姉妹は里親が見つかり難いらしく、孤児院側が故意に隠すこともあるそうです。このことはリッカさんも初耳でしょう。娘もそのことを知らされていませんでしたから」


 リッカに生き別れの姉妹がいた――本来であれば喜ぶべきことだろう。

 しかし俺たちは彼女の逆さ別れを、他ならぬ先生の口から聞いている。


「私は娘に全てを話しました。全てを捨てて、共に逃げようと。ですが……娘は優しすぎた」


 先生は掌に載せたロケットを愛おしそうに撫でながら言葉を続ける。


「王都の人々を守るために、儀式を――巫女として命を捧げることを選んだのです。私は結局、娘の意思を尊重することにした。いえ……心の底では諦めていました。教会から逃げ切ることは不可能だと。だからせめて娘が愛した人々を見守ろうと決めたのです。しかし――」


 その瞬間、灯火が吹き消されるように、先生の顔から微笑みが消えた。


「結果は、ご存知の通りです」


 ――そう。

 王都の結界は消え、マイナデスを含む虚殻の軍勢によって滅びたはずだ。


「儀式は……失敗したんですか?」


 先生はおもむろに首肯するが、続く言葉は予想を裏切るものだった。


「しかし同時に成功でもありました。王都の崩壊――それこそが教会の狙いだったのです」


 あまりに唐突で重すぎる暴露。

 情報過多に眩暈を覚えながら狼狽することしかできない。


「心御柱と同化した娘は、教会が仕掛けた術式によって暴走させられ、結界の霊力を吸い尽くしました。それが、十五年前に起きた事件の真相です」


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