第29話 世界の真実

 いよいよ明日、方舟計画が始動する。

 再び目覚めたとき、そこに新たな世界が広がっているであろう。

 人類の新たな一歩。その先で同じ過ちを繰り返さぬよう、罪の記録をここに記す。


 始まりは、人間同士の諍いだった。

 北アメリカの国境地域で起きた民族紛争。当初こそ低強度と見なされていた争いは激化の一途を辿り、当該国民の半数が民族浄化を謳い始めた頃、列強による軍事介入が開始された。


 しかし軍事介入による民意の伝播は新たな争いを呼び、やがて指数関数的に増えた戦火の瘴煙が世界を覆う頃、第三次世界大戦という言葉が囁かれるようになった。

 これを受けた国際連合は世界危機宣言を発表。同時に戦争対策の一環として、安全保障理事会の主導による新たな兵器の開発が推し進められた。


 そして生まれたのが、低致死性無力化兵器――ヨナ


 ヨナはウイルス性の生物兵器であり、宿主の交感神経系に作用し、攻撃性の感情を鎮静化することで無傷のまま鎮圧が可能として、その安全性と有用性が示された。

 しかし初となる実戦投入で、それは唐突に起きた。


 ヨナの突然変異。それは交感神経系への無差別過剰干渉だった。

 変異したヨナに感染した者は、過剰な鎮静化を受けることで徐々に感情を喪失し、最終的に半永久的な植物状態に陥る。

 このことから「魂が乖離する病」と比喩され、人類が生み出した最大の「悔恨かいこん」の意味も込めて「乖魂病かいこんびょう」と呼ばれることとなる。


 読み上げながら、背筋を冷や汗が伝う。

 まさか、再びその名前を聞くことになるとは思いもしなかった。


 ――乖魂病。


 前の世界で、俺が命を落とした原因。

 心を殺す――不治の病。

 

 しかし、いよいよ訳が分からない。

 自分の記憶とも合致する以上、この記述が本物である可能性は極めて高いが、それが何故こちらの世界に存在するのか――その理由は予想すら付かない。

 しかも記述はまだ年単位で続いている。

 つまりこの先には、俺の知らない未来の記録が記されているということだ。

 俺はパンドラの箱を開くような心持ちで続きを読み上げる。


 ワクチン開発を上回る速度で変異を繰り返し、規格外の速度で拡散するパンデミックに、人類は防衛の一手に回ることを余儀なくされた。

 人々は感染から逃れるため地上を放棄すると、地下に建造・隔離した大規模ジオフロントへ活動拠点を移すことになる。


 この時点で人類はその数をおよそ四割まで減らしており、このまま緩やかな滅びを待つばかりかと思われていた人類に、しかし動きがあった。

 パンデミック後初となる世界首脳会談において、人類存続計画「方舟計画アルク・アジェンダ」が可決される。


 方舟計画とは、パンデミックへの対抗手段の模索を人工知能に託し、手段が発見されるであろう未来まで、残存する全ての人類をコールドスリープさせるというものだった。


 その後、各国の協力の下、新たな人工知能の開発とコールドスリープ技術の安定化、そして装置を保護するためのシェルター――通称「方舟」の建造が開始される。

 そして先月、ついに全ての方舟が完成し、全人類のコールドスリープが順次開始された。


 最後に残された者として、私も皆の後に続く。

 願わくは、再び陽の下にて相見あいまみえんことを。

 日本支部CTO《最高技術責任者》 里見暁夏きょうか


 ――――

 ――


 手記はそこで締めくくられていた。

 俺は乾いた喉に固唾を無理やり流し込む。

 正直なところ後半はただ文字を読み上げるだけで、その内容はほとんど頭に入ってきた気がしない。それほどまでに、常識と理解の範疇を超えていた。

 しかし俺の中には今、ひとつの仮説――というより予感が渦巻いていた。


 手記の内容で最も引っかかったのは、ジオフロントでの避難生活だ。

 ウイルスの脅威から逃れるため、地上を棄てて地下に隠れ棲む。これはシンシアさんから聞いた、この世界の歴史と酷似している。いや、それだけではない。


 ――パンデミック、ジオフロント、コールドスリープ。

 ――聖霊の顕現、地下生活、空白の時代。


 前の世界での出来事と、この世界の歴史が――シンクロしている。


「まさ……か……」

「……気付いたようですね」


 先生はそう言って微笑むと、モニターを見上げながら言葉を続ける。


「これが君のいた世界の未来だけでなく、を記したものでもあるとしたら……」


 ――初めから違和感はあった。


 しかし虚殻や聖霊術という、大きすぎる差異に気を取られて、見逃していた。

 言葉が通じるのも、空に月や星があるのも、異世界だからと思考放棄していた。

 しかし異世界だからこそ、違っていなければならなかったのだ。


「ここは異世界じゃなくて…………?」


 ぽつりと零された呟きが、静まり返った広間に木霊する。

 つまり俺は命を落としたのではなく、コールドスリープによって長い眠りについていた。しかし何らかの理由で他の人々と同時には解凍されず、数百年のラグを経て目覚めた。


 そして人類は、恐らく乖魂病の影響で記憶――文化を継承できず、聖霊や虚殻といった差異によって歪んだ歴史が形成されてしまった。

 そこでふと、疑問が浮かぶ。

 今までの情報だけでは説明のつかないことがある。

 それは、この時代を異世界と勘違いした最大の要因――


「けど……俺の知る世界には、聖霊も虚殻もいませんでした。それに、ウイルスは……?」


 しかし先生はこちらの疑問さえ予測していたかのように口を開く。


「教会の教えでは、前有史時代は聖霊の出現によって衰退したとされています。しかしこの手記によれば、衰退の原因は人類が生み出したウイルスの蔓延とされている。しかしこの類似点……教会の教えが史実を元にしているのだとすれば――」


 そう言って短く句切ると、確信めいた口ぶりで言葉を続ける。


「聖霊の正体は、何百年もの歳月をかけて――それが私の仮説です」

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