第27話 本当の敵

 俺は二体の虚殻を弛みなく見下ろしながら呼吸を整える。

 十数秒経っても動かない虚殻を見て、安堵の息を吐こうとした次の瞬間、入り口の外から激しい衝突音が響いた。

 扉へ体当たりする音に紛れて、虚殻の唸り声が聞こえる。


 このままでは数分と保たずに突入されるだろう。焦る脳裏に二つの選択肢が浮かぶ。ひとつはこのまま迎え撃つ――しかし敵の数が分からない上に、入り口を破壊されれば籠城もままならず、戦っている最中に増援が到着する危険性も高い。


 もうひとつは通気口からの移動――しかしそこは敵が通ってきた道だ。移動した先に虚殻がいないとも限らない上に、狭い場所で接敵したらその時点でアウトだ。

 どちらを選んでも裏目が存在し、一歩間違えばそのまま死に直結しかねない。まるでその先が崖に続いていると知りながら、見えない道を進まされているようだ。


 ふと、シンシアさんの顔が脳裏を過る。

 こんなときに彼女の能力があれば……と、メレーが埋め込まれた胸に手を当てた瞬間、トクン――と微かな胎動を覚える。

 こちらを呼ぶような気配に意識の腕を伸ばし、指先が節に触れた瞬間――弦を弾いたような波動が響き渡ると、その反響が脳裏に朧げな映像を描き出した。


 暗闇に浮かぶのは、二つの淡い光。

 ひとつは部屋の入り口で明滅し、もうひとつがそれに近付いていく。前者は恐らく扉の前にいる虚殻のものだが、既視感のある後者は、予想が正しければ――

 目を開けた直後、交通事故のような衝撃音が響き、蝶番の外れた扉と共に虚殻が転がり込んできた。

……が、それは口から体液をまき散らすと、そのまま動かなくなった。


「……ご無事でしたか」


 その声に顔を上げると、入り口に立っていた先生が相好を崩す。彼が指揮棒のように腕を振るうと、背後に控えていた銀の腕が霞のように消えた。


「先生……!! 良かった……無事だったんですね……!!」

「ええ……なんとか。シンシアさんが逃がしてくれたおかげです」


 先生は歯噛みするようにそう言うと、逼迫した様子で言葉を続けた。


「彼女は、ひとりで根に向かいました。すぐに助けに行かなければ」


 その言葉に息が詰まる。まさか、彼女は単独で虚殻を討伐するつもりだろうか。


「事態は一刻を争います。付いてきてください」


 彼はそう言って踵を返すと、速足で通路を進み始めた。

 辺りに虚殻の気配はなく、静寂の中を二人の足と杖の音だけが響いている。

 コッ、コッ、コッ――と、リズムよく刻まれる杖の音に、何故か違和感を覚えた。

 音そのものは至って普通だ。

 ただ――その音がしていること自体が、妙に引っかかる。


『どうして……シンシアは独りで……? ナツさん……何か――』

「――着きました。あそこが御柱の根がある部屋です」


 リッカの呟きに重なって、先生が前方を指しながらそう言った。

 廊下の先には城門のように重厚な扉が待ち構えている。先生を追い越して扉へ近づくと、それはこちらを迎え入れるように、ゆっくりと左右へ展開し始めた。

 直後、視界へ飛び込んできたものに息を呑む。


 それはまるで、巨大な水槽だった。

 コンサートホールのように広い部屋の中央、天井から床を貫くように透明な円柱が設置され、薄く色付いた液体で満たされている。


 しかし最も目を惹いたのは、その中身――ホルマリン漬けのように浮かぶ異形だ。

 天井から触手のように伸びる無数の根――恐らくは御柱のものであろうそれに、歪な肉叢が包み込まれている。

 無数の人間をミキサーにかけて団子状にしたらこんな形だろう――と、吐き気を催すほど醜悪な肉塊は、心臓のように一定のリズムで胎動を繰り返している。


 畏怖嫌厭とした本能が訴えかけてくる。

 これが――虚殻の母体だ。

 微かな違和感に目を凝らすと、虚殻の肉体には光の柱が無数に突き立てられていた。しかしその疑問も、どこからか生まれた呻き声にかき消される。声の元へ視線を向けると、水槽の影にもたれかかるシンシアさんの姿があった。


「シンシアさん!!」


 駆け寄った瞬間、息が止まる。

 目を伏せる彼女の胸元には、黄金色の光を放つ柱のようなものが深々と突き刺さっていた。最悪の予感に殴られたような眩暈を覚え、肩を揺すりながら縋るように名を繰り返すと、シンシアさんの瞼がおもむろに持ち上がる。


「ナツ……くん……」


 声を聴いた瞬間、淡雪が溶けるように全身から力が抜けていく。

 今になって思えば、彼女の胸元には血の一滴すら付着していなかった。恐らくは物理的な殺傷能力のない、試験の際に彼女が用いた矢のようなものだろう。そして最も気にすべきは、この柱が虚殻に刺さっていたものと同じだということだ。


「シンシアさん!! 今助けます……ッ!!」


 彼女は焦点の合わない瞳を揺らしながら、絞り出すように言葉を零す。


「……二人とも……逃げて……!!」


 心臓を握られたような悪寒が背筋を走る、と同時に主導権が奪われた。

 リッカが跳ねるように踵を返しつつ、目にも止まらぬ速度で展開した氷の盾が――炸裂音と共に砕け散った。

 雪のように舞い散る氷の破片に混じって、光の柱が宙に溶けていく。


 立ち昇る白煙の向こうで、先生が掌をこちらへ掲げたまま微笑んだ。

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