第26話 リベンジ

「ナツ君、私のそばを離れないで!」


 言うが否や走り出したシンシアさんの後を必死に追いかけると、T字路の突き当りに開かれた大扉の中へ飛び込む。

 その部屋は天井の一部が崩落し、その手前にはマイナデスの姿。

 そして積みあがった瓦礫の近くには――見覚えのある杖が転がっていた。


「先生――ッ!!」


 絶叫のような声と共に駆け出そうとした身体を、シンシアさんが手で制止する。


「ナツ君は部屋の外にいて!」

「でも――「――約束を忘れないで」


 静かだが有無を言わさぬ語気に、僅かながら冷静さを取り戻す。

マイナデスとの戦闘は可能な限りシンシアさん単独で対応する――閉所での巻き添えなどの危険を鑑みて事前に取り決めたことだ。


 俺の役割は、あくまでリッカの護送――それに、これ以上の我儘は誰の得にもならない。忸怩たる思いで扉の外まで引き下がる。それを確認したシンシアさんが弓を引くと同時、虚殻が全身を震わせるように咆哮した。


 戦場において静と動、生と死を隔てる仕切りは薄氷のように脆い。幽玄の弓が舞い、凶禍の槍が薙ぐ命の奪い合いは、心の準備すら許さぬほど唐突に開始された。


 しかし危惧の念はほとんど無い。何故なら戦況はシンシアさんの圧倒的優勢――マイナデスは雨のように降り注ぐ矢を捌くのがやっとといった様子だ。

 このままなら数分とかからずに決着するだろう――と気が緩んだその刹那、部屋が真っ赤に染まったかと思うと、けたたましい警報と共に赤色のランプが明滅した。


「汚染警報発令――エアロックを起動します。付近の職員は直ちに避難してください」


 機械的な女性の音声が流れたのも束の間、眼前の扉が自動で閉じていく。


「シンシアさん!!」


 手を伸ばす間もなく、無常にも扉は閉ざされた。

 ハンドルに飛びついて力任せに回すが、既に施錠されているようだ。怒涛の展開に理解が追い付かず狼狽していると、追い打ちのように隣接する天井が展開し、分厚い隔壁のような扉がゆっくりと降りてくる。


 小さなガラス窓に張り付いて名を呼ぶと、彼女は虚殻と交戦しながらこちらを振り返り、必死の形相で何かを叫ぶ。声は聞こえずとも、意図は伝わった。


 ――逃げて。


 隔壁が完全に降りると、先ほどまでの喧噪が水を打ったように静まり返る。半狂乱になりながら壁を叩くが、堅牢な壁は岩のようにビクともしない。


『――ナツさん』


 リッカの声に正気を取り戻す――と同時に、背後から殺気のような霊響を覚えた。

 咄嗟に振り返ると、先ほど来た道から複数のマイナデスが迫ってきていた。


『シンシアなら大丈夫です。今は彼女を信じましょう』


 後ろ髪引かれる思いを断ち切るように歯噛みすると、T字路を右折して走り出す。しかしひとつめの曲がり角へ辿り着く間もなく、正面から新たな個体が現われる。


 挟まれた――と狼狽する暇もない。

 近くの扉へ体当たりするように転がり込むと、リッカの短い呼びかけに応じて主導権を交替し、聖霊術で扉を凍結させる。これで少しは時間を稼げるはずだ。荒い息を整えながら誰にともなく言葉を吐き出す。


「くそッ……何が起きてるんだ……!?」

『分かりません……が、今はどこか安全な場所で助けを待ちましょう』


 その言葉に胸元へ手を当てて、シンシアさんが埋め込んだメレーの霊響を確かめる。リッカの言う通り、これがあればいずれ彼女の方から見つけてくれるはずだ。


「……そうだな。どうにかしてここから出る方法を見つけないと――」


 そう言って辺りを見回すと、部屋の隅の天井に格子が嵌め込まれているのが見えた。恐らくは換気口――あれならば他の部屋に繋がっている可能性は高い。


 希望へ足を踏み出した次の瞬間、前方から肉を潰したような音が響いてきた。

 悪寒に足を止めると、通気口の格子が弾かれたように床へ叩きつけられる。


 天井の穴から舌のようにだらりと、絡み合う複数の腕が垂れ下がってくる。麻紐のように撚り合わされた腕がゆっくりと解けると、それぞれ通気口の端に指をかけた。


 ぐちっ――という音と共に腕が引かれ、およそ人体では真似できない方向へ全身の関節を折り曲げながら、体格の三分の一ほどしかない穴を、マイナデスが強引に通り抜けてくる。


 濡れた生肉を叩きつけたような着地音が――もうひとつ。

 計二体のマイナデスが、獲物を見つけた獣のように獰猛な笑みを浮かべた。


「嘘……だろ……」


 現実逃避のように呟きながら後退りすると、扉を封じた氷に背がぶつかった。

 その冷たさに――ハッとする。胸の裡には心配そうに揺れる、リッカの気配。


 ――お前は……何のためにここへ来た?


 忸怩たる思いを噛み締めながら自問する。

 苦しい特訓を乗り越えたのは何だったのか、お前の覚悟はそんなものか――と。


「リッカ……ここは任せてくれ」


 自分へ言い聞かせるようにそう呟くと、腕の包帯を解きながら心の中で咆哮する。


 ――俺は、この時のために……ここへ来たんだ!!


 直後、図ったように飛び出した虚殻の動きを、双眸に浮かぶ一対の花弁が捉えた。

 横薙ぎに払われた腕を跳んでかわし、着地と同時に靴底へ氷を生成。直後、振り下ろされた腕に合わせて踵を蹴り上げる。二つの力が衝突する瞬間――昇華を解放。


 指向性を持つ爆風が振り下ろされた腕を打ち払い、体勢を崩した虚殻が背中から倒れた。床を蹴って距離を取り、軽く呼吸を整えつつ、作戦前に聞いた虚殻の特徴を思い出す。


 マイナデスの特性は――超個体。

 蟻や蜂のように、集団でありながら個体のように振る舞う――自然の軍隊だ。

 しかし軍隊と称されるように、そこには明確なヒエラルキーが存在する。


 ピラミッド型の階級は大きく分けて三種類。

 上から、全ての個体を生み出す母体マザーと、それぞれの部隊を指揮する首脳ブレイン、そして最前線で手足となって戦う兵士ソルジャーだ。

 こうして相対したことで確信する。

 この三体はその中でも兵士ソルジャーに位置する個体だ。


 恐らく斥候のようなものだろう。二体の連携は甘く動きも単調だ。

 虚殻が再び突進すると、力任せに振るわれた腕が頬を掠り、熱と痛みが走る。

 いくら動きが読めるとはいえ、致死を孕んだ一撃――怖くないと言えば嘘になる。

 だが――


「お前らより……先生やシンシアさんの方が――百倍怖ぇ!!」


 咆哮と共に放たれた掌底が虚殻を捉えた瞬間、昇華の暴風が圧縮された竜巻のように肉体を抉り穿つと、二メートルを超える巨体が吹き飛んで壁に叩きつけられた。

 直後、叩きつけられた虚殻の腕を、俺は昇華でかわしつつ眼下に捉える。


「――遅せぇ!!」


 空中で振り上げた脚の周囲を氷の結晶が舞い、昇華の加速と破壊が連続して解放――ギロチンのように振り下ろされた踵落としが虚殻の頭部を捉えた。


 爆風と同時に肉の爆ぜる音が響き、叩きつけられた頭部から体液が撒き散らされる。 粘土細工のように頭部がひしゃげ、腹部に風穴の空いた虚殻が――沈黙した。

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