第25話 禁忌遺跡

 作戦決行日は、本格的な冬の到来を予感させる寒い朝だった。

 朝靄に包まれた河原に響くのは、砂利を蹴る三頭分の蹄鉄。

 湿度のせいか、或いは緊張のせいか――やけに重く感じる外套を持ち上げると、馬の頭越しに前を行く二人の背が見えた。


 先導するシンシアさんと、その後ろに続く先生。

 彼らの表情は窺えないが、その背中からは研ぎ澄まされた圧のようなものを感じる。その気配が、これから向かう先が戦場である事実をまざまざと突きつけてきた。

 リッカも思うところがあるのか、いつも以上に口数が少ない。


 俺は冷たい空気を深く吸い、まだ馴染みの薄い手綱を強く握り直した。

 川沿いを流れに逆らうように進んでいくこと十数分――


「――着いたよ」


 そう言ってシンシアさんが馬を止めた。辿り着いたのは、渓谷に散在する瀑布のひとつ。そこに広がっていた光景に目を疑う。


 最初に錯覚したのは――巨大な花。


 直径数十メートルの滝壺は全面がガラスのように硬質化しており、そこから同心円状に凍てついた高波のような、花弁を思わせる形状の結晶が、天へ向かって無数に伸びている。


 そして何よりも異様なのは、その色だ。朝日を受けた結晶は、その輝きを飲み込まんとするような、鈍く濃く深い――薔薇のような朱殷をしている。


 異常、異様、異質――理外の光景に茫然と言葉が零れた。


「これ……は……?」

「これが遺跡の入り口――いや、抜け道って言うべきかな」


 見れば花の中央部分に、ぽっかりと地下へ続く穴が開いていた。これがシンシアさんの言う抜け道――確かに入り口というにはあまりにワイルドな造りだ。


「そもそも禁忌遺跡には入り口はおろか、通気口すら存在しませんからね。遺跡の発見報告が少ない所以もそこにあります」


 こちらの思考を読んだように先生が補足する。入り口が存在しない――ということは、この抜け道は何者かが意図的に作ったということだろう。

 言葉にせずとも皆それを理解してか、彼我の間に微かな緊張が走る。

近場の樹に馬の手綱を繋ぎ、外套を脱いで鞍にかけると、露になった制服の紀章へ祈るように手を添える。


 どうか、皆が無事に帰れますように――と。


 滝壺へ降り立つと、足元から強い冷気を感じる。

 結晶だと思っていたものは、どうやら氷だったようだ。花弁に触れるとガラスのような乾いた感触があり、熱で溶ける気配もない。


「入る前に……ちょっといいかな?」


 そう言ってシンシアさんがこちらの胸に手を添えると、おもむろに術を発動した。彼女の掌から生まれた蛍色の寂光が、微かな共鳴音と共に胸へ染み込んでいく。


「今、ナツ君に埋め込んだのは木霊エーコーの【メレー】と言って、反響する器に霊響を封じ込めて乱反射させたもの。微弱な霊響を放ち続ける自立型の術で、簡単に言えば……発信機かな」


 そう語るシンシアさんの眼差しはいつになく真剣で、こちらも自然と背筋が伸びる。


「これがあれば君たちの位置を探知できる。遺跡の中はとても複雑だから、もしはぐれた場合は無理に動かず、安全な場所で待機して。こっちから探しに行くから」


 首肯を返すと、彼女はこちらの緊張をほぐすようにひとつ笑みを浮かべて――


「それじゃあ……行こうか」


 そう言って穴の淵へ並び立つ。

 直径五メートルほどの穴から続く道には緩やかな傾斜がつけられているらしく、ここからでは底が見えない。滑り台よろしく降りることもできそうだが、どこへ続いているか分からない以上、飛び込むのは自殺行為だろう。


 そんなことを考えていると、先生が浅く掌を掲げて掌握の銀腕アガート・ラームを発動した。

 現れたのは地に伏した三つの篭手――訓練時とは違い、手首から先だけのコンパクト版だ。

 何をするつもりかと思ったのも束の間、先生は慣れた歩みで篭手に搭乗した。

 呆気に取られていると、シンシアさんも迷うことなく別の篭手に足をかける。先生の視線に促されて恐る恐る二人の真似をすると、篭手が綿毛のように音もなく浮遊する。


「安全運転に努めますが、念のためどこかに掴まっていてください」


 そう言うと、先生を先頭に三つの篭手がゆっくりと穴を降下していく。こういった応用もできるのか――と感心すると同時に、改めて聖霊術の奥深さを実感する。


 聖霊術の基本は理解――そう教えてくれたのも、やはり先生だった。

 術の特性が術師によって千差万別であるように、その本質を正しく理解すれば自ずと選択肢も増えるのだろう。


 ――理解と応用。

 その言葉を心の中で反芻しつつ、己の掌上に視線を落とす。

 俺の聖霊術は、他者の力を借りる能力――それはきっと間違いない。ただしそれが本質かと問われると、まだ確信が持てないのも事実だ。


 半ば無意識に胸元へ手を当てると、意識の触手を己の内へ伸ばしていく。

 今、自分の中には三つの脈動がある。ひとつは自分自身、もうひとつはリッカのもの、そして最後にシンシアさんが埋め込んだ節だ。

 意識の触手が節に触れると、弦を爪弾いたような共鳴音が胸中に木霊する。

やはり――と、予感めいたものを覚える。


 訓練の期間が短かったこともあり、俺は術の基礎を重点的に叩き込んだ。

 だがそれだけで全て乗り越えられるとは限らない。もしもの時は未知へ飛び込む覚悟が必要になるだろう。


 可能性は既に、この手の中に――

 女神の前髪を掴むように掌を閉じた次の瞬間、不意に景色が一変した。氷のトンネルを抜けて開けた場所に出たらしく、四方や天上が暗闇に溶けて見えない。


 シンシアさんが手持ちのランプを点けたことで、ようやくその全貌が露になった。

 第一印象は、監獄だった。

 大理石に定規を当ててくり貫いたような無機質な内装。床や壁は鏡面のように滑らかだが、そこに芸術のような創意や遊び心は感じられない。目的のために極限まで機能を追求したような造形は、有り体に言えばロマンに欠ける光景だった。


 遺跡と聞いていたため、歴史の教科書で見るような石造りの建造物を想像していたが、これらはどうやら金属、或いは磨かれた石材でできているようだ。


 無機質で機能的な巨大地下施設――これが数百年前に造られたものだという。

 意外ではあるものの、驚きはあまりなかった。ひとつの歴史を終わらせた超文明――確かに里の水準とはかなりの格差があるようだが、前の世界と比べると大きな差はないように見える。


「私が事前に調査したのはここまで。後は手探りで進むしかない……覚悟はいい?」


 シンシアさんの言葉に頷きを返すと、彼女は目を伏せながら片腕を掲げた。掌中に弓が顕現し、おもむろに弦が引かれていくが、そこに弓は番えられない。


終天開花ネツァク・キャスト――反響定位エコーロケーション


 引き絞られた弦が解き放たれると、ハープのような音が響き渡った。

 シンシアさんを中心に光の波紋が拡散し、幻想的な揺らめきと共に、波のように寄せては返していく。


 この聖霊術は、霊響の反射を通して周辺の物体や聖霊の動きを把握できるものらしい。彼女が遺跡の捜索や先陣を任されたのは、この能力を有しているのも理由のひとつとのことだ。

 ややあってからシンシアさんは目を開けると「ついてきて」と遺跡の奥へ歩き出した。彼女の脳内に描かれているであろう地図を頼りに、漆黒に包まれた廊下を黙々と進んでいく。


 そのままどれほど歩いただろうか。じりじりと身体を蝕む緊張と疲労、そして寒さと暗闇に滅入る気持ちを紛らわすように、これまでの道のりを思い返す。

 里から入り口までは直線距離を通ってきたが、地下を通る復路はそうもいかない。

 遺跡の中は複雑に入り組んでおり、所々崩壊して道が塞がれている場所もあるため、適宜シンシアさんのエコーロケーションを挟みながら探り探り進んでいくしかなかった。


 密閉された空間。それも暗闇の中を進むのは、想像以上に体力を消耗するようだ。

 真冬の地下遺跡は氷のように冷たく、日の光はおろか光源すら皆無だ。指先の感覚がなくなるほど寒いはずなのに、額には薄っすらと汗が浮かんでいる。


「お二人とも、この辺りで少し休みましょう」


 その声にハッとして顔を上げると、いつの間にか少し先行していた二人が足を止めてこちらを振り返っていた。シンシアさんの顔には薄い不安の色が滲んでいる。


「俺なら大丈夫です」


 努めて気丈にそう返すと、先生は柔らかい口調で諭すように言葉を続ける。


「閉塞された空間にこの寒さ、そしていつ襲われるか分からない状況――無意識でも相当なストレスがかかっています。それも術を使い続けているシンシアさんなら尚更……いざというときに力を発揮できなければ本末転倒ですよ」

「私も少し疲れたし、何より本番はこの先なんだから、休めるときに休んでおこう?」


 先生のアイコンタクトを受けたシンシアさんにそう言われて、俺は微かに歯噛み噛みしながら頷きを返す。多少の気遣いはあるだろうが、二人の言うことは正論だ。

 シンシアさんは手早く周囲を探索すると、少しだけ開けたスペースへ移動した。


「私は少し辺りの様子を確認してきます。お二人は休んでいてください」


 そう言い残すと、先生は止める間もなく闇の中へ行ってしまった。自分より四周りは年上かつ義足と杖にも拘わらず、その足取りからは衰えが感じられない。

 普段は好々爺という印象が強いが、引退した身とはいえやはり術師。シンシアさんと同じく身も心も生半可な鍛え方をしていないようだ。

 悔しいが、今は自分の至らなさを素直に認めることしかできない。冷たい床へ腰を下ろすと、どっと疲労が押し寄せて思わず重い息を吐く。


『代わりましょうか?』

『いや――大丈夫だよ、ありがとう。それよりリッカの儀式のほうが大変なんだろ? せめてそれまでは俺に任せて、ゆっくり休んでおいてくれ』

『……分かりました。どうか無理だけはなさらず』


 リッカの優しさに頷きを返しつつ、体温を逃がさないように膝を抱える。


「こうも暗い場所が続くと気が滅入っちゃうよね」


 シンシアさんもランプを挟んで対面に座ると、明かりの強さを調節しながらそう呟いた。頷きを返して無意識に明かりへ手をかざしつつ、何となしに疑問を口にする。


「そもそも、どうしてこんな場所に遺跡なんて作ったんですかね?」

「そう言えば、まだ詳しく話していなかったね」


 シンシアさんはそう言うと、こちらへ上目遣いを流しつつ言葉を続ける。


「人が聖霊術を使えるようになった経緯を覚えてる?」

「えっと、確か……聖霊と虚殻樹が顕現して、生存圏が激減。けれどその後、聖命樹が現われて対抗手段――聖霊術を与えてくれたんですよね」

「そう――人類の希望となった聖命樹。けど虚殻樹から聖命樹の顕現までには大きな時差があったの。だから対抗手段を持たなかった人類は当初、地下にシェルターを作って避難した」

「地下……? もしかして――」

「そのシェルターこそが禁忌遺跡。人類は永い歳月をこの地下に隠れて暮らしたの。正確な期間は分かっていないけど、少なくとも百年以上と考えられているわ」


 シンシアさんは短く句切ると、その期間を《空白の時代》と呼んだ。


「空白と呼ばれる所以は、この期間の記録がほとんど残されていないのもあるけど、それだけじゃない。再び地上に戻った人類は、それまでの文明を継承していなかったの」

「文明を……継承していない……?」

「一説によれば、世界崩壊の原因となった超文明の技術を封印するために、当時使われていた文字【神聖語】の解読法ごと全人類の記憶を抹消したとされているわ。その結果、この期を境に人類の文明は一度リセット――白紙に戻されたの」


 これより以前を前有史時代、後を後有史時代と呼ぶ――とシンシアさんが補足する。なるほど……時系列では前に位置する遺跡の技術が、里より発展しているのはそういう理由か。


「けれど禁忌遺跡には、人類が封印した前有史時代の遺産――世界を滅ぼしかけた知識が眠っている可能性がある。だから教会は遺跡への立ち入りを厳しく禁じているの」


 そう聞くと確かに禁忌と呼ぶに相応しい場所だ。地下にあるとはいえ、こんな巨大なものが発見されていなかったのは違和感があったが、敢えて手を付けていないというのならば納得――と、そこまで考えたところで、ふと疑問が過る。


「教会で禁止されている場所に入って大丈夫なんですか……?」

「まあ……緊急事態だしね」


 シンシアさんはそう言って悪戯っぽく舌を見せた。

 不意に見せた年相応のあどけなさに、思わず笑みが零れる。

 緊張が解れたおかげか、いつの間にか額の汗は引いていた。深呼吸をして気合を入れ直した次の瞬間、微かな駆動音と共に光が目を焼いた。眩しさに目を細めながら見上げると、天井に備え付けられた照明が煌煌と灯っている。


「遺跡が……起動した――!?」


 シンシアさんの驚愕に続いて、遠方から爆音と地鳴りのような振動が伝わってくる。その方向は、つい数分前に先生が向かった先――


――最悪の可能性に、背筋を舐めるような悪寒が走る。

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