第23話 繋ぐ力

 包帯が地面に落ちると、訓練で傷だらけになった右腕が露になった。

 掌を浅く開いたまま狙いを定めるように前方へ掲げると、その先に立つシンシアさんが眉根を寄せた。


「どうして……分かってくれないの」


 そう呟いて感情を噛み殺すように唇を引き結ぶと、荒々しい所作で弓を引いた。

 その視線を真正面から受け止めつつ、深い呼吸と共に霊力を練り上げる。


終天開花ネツァク・キャスト――」


 無意識の言葉に呼応するように、腕の表面を枝分かれした寂光が走る。体内に渦巻く霊力の本流が掌中へ収束し、今にも火花を散らさんとする雷のような熱を帯びる。

 風を切り裂く音より早く、シンシアさんの指から光の矢が放たれた。


 矢が掌に触れる直前――霊力を開放する。

 爆発音と衝撃が肌を打ち、拡散した蒸気の白煙で視界が覆われた。傍から見れば煙玉でも爆発したように見えただろう。


 腕に残る痺れと、矢を打ち落とした確かな手応え――しかしここで終わりではない。白煙に紛れて地面を蹴ると、視界に捉えた微かな波を頼りに距離を詰める。


 直後、白煙を裂くように放たれた矢を紙一重でかわし、彼女の懐へ踏み込むと同時に、腰を落としつつ右腕を引き絞る。

 右肘と掌中に光の粒子が収束すると、次の瞬間――


「――咲霞しょうか


 ――肘から掌中へ連鎖するように、光の粒が爆ぜた。


 爆風の加速によって砲弾のように放たれた掌底がシンシアさんの腹部を捉えると、細身ながらも引き締まった身体が車に撥ねられたように宙を舞う。

 しかし、彼女は空中で猫のように身体を回転させて勢いを殺すと、先の衝撃を感じさせないほど優雅に着地した。

 やはり先ほど見たものは見間違いではなかったらしい。


 インパクトの瞬間、掌底と身体の間に生まれた玉響――あれが衝撃を殺したのだろう。シンシアさんは乱れた前髪の奥で、僅かに目を細めながら言葉を作る。


「……やっぱり。見た目は違うけど、性質は根源の相転移。凝華の対称――個体を気体へ変化させる昇華の能力。それが……君の聖霊術?」


 結論から言えば、彼女の推測はほぼ的中していた。

 ある程度予想はしていたものの、やはり驚きを隠せない。多少の事前情報があったとは言え、あの一瞬で見抜かれるとは。だからこそ俺は真実を見抜かれないように、精一杯のポーカーフェイスで口を噤む。


「だけど……それだけじゃ説明のつかない点がひとつ――」


 独り言ちるように呟くと、無機質な瞳をこちらへ向けながら躊躇なく弓を引く。

 咄嗟に腰を落としつつ、刹那の集中によって練り上げた霊力を脚先へ収束させると、薄い氷の結晶が靴底に生成される。拳を握りしめるように力を凝縮し、即座に開放。氷の結晶が根源の力によって、物理法則を無視した速度で気体へ相転移する。


 聖霊術が生み出した氷――その膨張率はゆうに千倍を超える。個体から気体へ、瞬間的な体積の膨張が生み出す莫大な圧力は、火薬と比較しても遜色ないほどだ。

 地面を蹴ると同時に昇華の爆風が推進力を生み、拳銃から撃ち出された弾丸のように跳躍すると、直前まで立っていた場所を光の矢が切り裂いた。


終天開花ネツァク・キャスト――木霊エコーズ


 シンシアさんの言葉に呼応するように、周囲に無数の玉響が顕現した。放たれた矢が背後の玉響へ吸い込まれると、鏡に反射するように角度を変えて再び襲い掛かる。


 死角から放たれた一撃。しかしその動きさえも、今の自分には視えている。視線を前方へ固定したまま最低限の挙動で矢を避けると、シンシアさんが微かに瞠目した。


 その視線の先には、こちらの瞳に浮かぶ一枚の開花聖痕が映っている。

 俺は再び意識を集中して、右脚と右腕へ霊力を収束させる。右脚で踏み切ると当時に昇華で加速し、シンシアさんの懐へ踏み込みつつ右腕を引き絞る。


 右腕に集めた霊力を肘と掌へ分配し、肘から掌へ僅かな間隔をおいて開放する。


 肘から後方への爆発は――推進力。

 掌から前方への爆発は――破壊力。


 素人の掌底だが、そこに二つの力が加わることで砲弾のような威力を生み出す。

 常人がまともに食らえば重傷は免れないが、相手は加減するのもおこがましいほどの実力差の持ち主だ。

 だからこそ俺はある種の信頼に則って、全力の掌底を繰り出した。


 インパクトの瞬間――シンシアさんは自ら後方へ飛びつつ、交差した腕に木霊を纏わせることで掌底を防いだ。しかし衝撃を殺しきることはできず、彼女の身体は数メートルほど吹き飛ばされ、爪先で地面を削りながら着地する。

 結果的に防がれはしたが、手応えは十分だ。


「やっぱり……視えているんだね」


 シンシアさんは感触を確かめるように、防御した腕をさすりながら呟いた。


「正直……予想外だったよ。先生が付いている以上、聖霊術のひとつくらい使ってくると思っていたけど、まさか霊視まで身に付けているとはね」


 ――霊視。

 それは肉眼では見えない聖霊の活動――霊響を観測する能力のことだ。


 物理法則を無視した聖霊術は、肉眼で目視してからの対応では遅すぎる。

 故に術の予兆である微細な霊響を察知して予測するスキルが、戦場では必須とされているのだ。そして彼女の推測通り、今の自分には霊響が視えている。


「けど……やっぱり解せないな。霊視は技術ではなく知覚技能の一種。経験の蓄積によって培われるもの。頭で理解していても、実戦で使えるまでには相応の時間が要るはず。いくら君のセフィラが霊応力の高い終天だからって、たかが一週間程度で身に付くものじゃないわ」


 そう――彼女の言う通り、この力にはカラクリがある。

 確かに霊響は見えているが、正確には霊視が備わっている訳ではないのだ。


「……俺の聖霊術が昇華なのかと聞きましたよね。その答えは、間違いです。昇華――相転移の能力は、正確にはリッカの聖霊術。俺はそれをだけです」


 その言葉に、シンシアさんは怪訝そうに眉を顰める。


「終天の性質は命脈の連環――命の繋がりを司る力。シンシアさんが聖霊と繋がるように、俺は――人と繋がることができる」


 そこで短く句切ると、この一週間で導き出した結論を口にする。


「俺の聖霊術は――共有。です」


 そんな俺の聖霊術を見て、先生はこう呼称した。


 異なる想いを結ぶ力――【連理の枝】と。


 つまり俺が昇華の力を扱えるのは、リッカを通じて間接的に根源のセフィラへ干渉しているためだ。

 何故リッカの凝華とは異なるのかと言えば、同じセフィラであっても術者が変われば性能も変わるように、単に俺の適性が昇華に寄っているというだけらしい。

 その証拠に俺は凝華の力を扱うこともできる。

 ただし薄い氷を生成して昇華の起爆剤にするのが限界だが。


「けど、それだけじゃあ君が霊視を使いこなせる理由が……」


 シンシアさんはそこで気付いたように言葉を切る。そう――


「俺が借りられるのは聖霊術だけじゃありません。俺が借りているのは、リッカから共有されているのは――経験。俺は今、リッカの目を通して世界を視ているんです」


「なるほどね……」


 シンシアさんは呟き、指揮棒を掲げるような所作でこちらに向かって指を弾くと、中指に集められた霊力が指弾となって射出される。

 本来であれば意識外からの不意打ち。

 しかし霊力の流れが視えていれば予測は可能だ。音もなく放たれた初弾を跳躍でかわすと、着地地点に時間差で放たれた矢が飛来する。


 回避の間に合わない絶妙なタイミングの一撃に対して、俺は再び掲げた掌で昇華を発動。放たれた爆発と矢がぶつかり合い、不可視の暴風が吹き荒れた。

 威力によって威力を相殺する力技――能動防壁アクティブ・アーマーで何とか矢を凌ぐ。


 致死を孕んだ五月雨の矢。手心が加えられているとは言え、当たり所が悪ければ一撃で戦闘不能に陥るだろう。後手に回れば手数で押し切られることは明白――ならば多少強引になっても攻め手を緩めるべきではない。


 右手に残る痺れを握り潰すように拳を作り、再び地を蹴って距離を詰める。白煙の残滓を跨いで視線が交差すると、彼女はぽつりと言葉を作る。


「本当に……頑張ったね。きっと血反吐を吐くような努力をしたんだろうね。君の成長には本当に驚いたし、心から尊敬もするよ」


 彼女の瞳に浮かぶのは、氷のように冷たい憐憫。

 その真意に気付くよりも早く掌底が有効射程に到達――炸裂する。

 爆音と白煙、そして掌に伝わる衝撃と……違和感。


「だけどね……そういうのを――」


 程なくして煙が霧散すると――


 ――そこには、掌底を片手で受け止めたシンシアさんの姿があった。


「――付け焼刃って言うんだよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る