第20話 最後の条件

「――そこまで」


 ぴしゃりと響いた先生の声に攻撃の手を止め、深く息を吐きながら戦闘態勢を解く。訓練開始から七日目の夕暮れ。その日、俺は初めて立ったまま訓練を終えた。


「ありがとう……ございました」


 乱れた呼吸を整えながら何とか一礼し、血の滲んだ両手に包帯を巻いていると、こちらとは対照的に汗一つかいていない先生が、微笑みを湛えながら言葉を作る。


「お疲れ様です。今日までよく頑張りましたね。私がお手伝いできるのはここまでです」


 会釈を返しつつ、しかし内心で焦りを感じる。この七日間、必死に訓練を積みながら考えてみたが、まだ答えは出ていない。

 期限は明日――それまでに意思を固めなければ。

 半ば無意識に胸へ手を当てると、奥のほうに揺蕩うような気配を覚える。リッカは開花聖痕が増えた影響か、あれ以来――眠る時間が増えたような気がする。


「とは言え、明日までに遺跡が見つからなければ元も子もありません。シンシアさんもここ数日帰ってきていないようですし、無理をしていないと良いのですが……」


 ――そう。先生の言う通り、任務を実行する条件のひとつでもある、遺跡の入り口の発見がまだ未達なのだ。この一週間、シンシアさんはほとんど家に戻っていない。

 一度だけ泥まみれで帰ってきたところに出くわしたが、そのときも満身創痍といった様子で二言三言交わしただけで、風呂にも入らず自室へ戻ってしまった。


 恐らく殆ど不休で捜索に当たっているのだろう。

 結界の外に出ることはないから命の危険はないはずだが、それでもやはり心配になる。責任感の強さが災いしなければ良いのだが――


「――先生ぇ!!」


 そんなことを考えていると、背後から慌ただしい声が響いてきた。振り返ると、住民のひとりが大きく手を振り、息を切らしながらこちらへ駈け寄ってくる。


「すぐに来てくれ! シンシアが……運び込まれて……」


 その言葉にすぐさま状況を察し、踵を返して広場を後にする。義足のため精一杯の早歩きで進む先生を追い越すと、全速力で街路を抜ける。

 ものの数分で診療所へ到着し病室へ転がり込むと、ベッドの周りで住民たちが心配そうな顔を浮かべているのが見えた。


「シンシアさん!!」


 慌てて駆け寄ると、ベッドの上には泥まみれの彼女が横たわっていた。

 白い肌に無数の擦り傷が走っているものの目立った外傷はなく、苦しげではあるが呼吸もしているようだ。


「何があったんですか?」

「馬房から馬の鳴き声がするもんで見に行ったら、入り口の近くで倒れてたんだ」


 それが本当だとすれば、馬房までは自力で戻って来ていたことになる。

 大きな外傷も見られないし、命に別状はないはずだ。

 しかし頭で分かっていても不安を拭い切れず、もどかしい時間を過ごしていると、ややあってから先生が遅れて到着した。彼は素早く治癒の聖霊術をかけると、程なくして浅く笑みを浮かべながら言葉を作る。


「……安心してください。ただの過労でしょう」


 その言葉に安堵のため息が零れる。

 その後、先生は手早く住民たちを解散させると、報告があると言って診療所を後にした。ひとり残された俺は手持ち無沙汰のまま椅子に腰かけていると、ややあってから小さな呻き声と共にシンシアさんが薄く瞼を持ち上げた。


「シンシアさん! 良かった……」


 彼女はおぼろげな視線をこちらへ泳がせると、夢現のように言葉を零す。


「……ナツ……くん……? ここは……?」

「診療所です。馬房の近くで倒れていたところを運び込まれたんですよ。先生は過労だって言ってましたけど、いったい何があったんですか?」

「そっか……心配かけちゃったみたいだね」


 彼女はそう呟いて天井を見上げると、ややあってから独り言ちるように言葉を続ける。


「……見つけたよ。遺跡の入り口」


 その言葉を聞いた瞬間、息が詰まるような錯覚を覚えた。シンシアさんがこんな姿になってまで掴み取ってきた成果。本来であれば喜び、労うべきなのだろう。

 しかし俺の身体はそれを拒み、呻くように「そう……ですか……」と絞り出すのが精一杯だった。


 何にせよ、これで作戦の条件はクリアしたことになる。順当にいけば、明後日には実行に移されるだろう。そしてその前に、己の意志を彼女に示さなくてはならない。

 そんなこちらの心情を知ってか知らずか、彼女は横目をこちらへ流しながら呟く。


「ナツ君は……どうするの……?」


 その瞳から逃げるように俯き、そのまま答えられずにいると、


「……ごめん。やっぱり明日……聞かせて」


 彼女はそう言って視線を天井へ戻し、ややあってから「リッカちゃんは?」と続けた。


「今は……眠っているみたいです」


 俺は彼女の横顔を見ることができず、膝に置いた拳へ視線を落とす。彼我の間を重い沈黙が流れ、夕暮れ時の病室に、まるで二人の心情を映すような影が差していく。


「ナツ君……お願いがあるの」


 ややあってからシンシアさんはそう呟くと、縋るように言葉を続ける。


「リッカちゃんはきっと、戦うことを選ぶ。だから君にも、止めるのを手伝って欲しいの」


 俺は再び言葉に詰まり、何も言えずに視線を返すことしかできなかった。


「こんなことを頼むのは卑怯だけど……君なら分かるでしょう? 大切な人と別れる辛さが」


 確かに、いつもこちらの意思を尊重してくれる彼女らしからぬ発言だと思う。

 しかし彼女にとってはそれほど重要なこと……それほど真剣にリッカを想っているということだ。そして同時に、この場で了承できるほど軽い話でもない。


「もう……独りになりたくない。十年間……ずっと寂しかった」


 俺が俯いたまま答えられずにいると、シンシアさんは譫言のようにそう零した。


「二度と同じ悲しみを繰り返さないために、術師を目指した。けど本当は、感情を殺して悲しみから逃れたかっただけなのかも」


 そう言ってシンシアさんがおもむろにこちらを振り返る。柳のように枝垂れた前髪の奥、涙に濡れたその瞳には。蛍色に輝く二枚の花弁が浮かんでいた。


「怒りと憎しみの感情は消えた。けど……悲しみからは逃げ切れなかった。必ず戻るって言ったのに、パパも、ママも……帰ってこなかった……」


 シンシアさんは顔を歪めて、泣きじゃくる子供のようにそう言った。暗澹とした病室にすすり泣く音が響く。俺はそれを聞きながら唇を噛むことしかできない。


「ごめん……疲れているみたい。今日はもう休むね」


 ややあってからシンシアさんはそう呟くと、毛布に包まって背を向けた。

 俺は椅子に根付いた身体を引き剥がし、後ろ手に病室の扉を閉めながら懺悔するように言葉を零す。


「……お休みなさい」


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