第17話 特訓開始

「私たちの身体が入れ替わる瞬間、そこにはどのような力が働いていると思いますか?」


 家に戻るや否や、リッカは開口一番にそう言った。俺が返答できずにいると、


「今から何度か身体を入れ替えます。感覚を覚えて言語化してみてください」


 言われるがまま感覚を確かめて、霧の輪郭をなぞるように言葉を作っていく。


『イメージは手……かな。こう、俺とリッカの意志が見えない手になって、それが繋がると身体が入れ替わる。ちょうど水中から引っ張り上げられるような感じだ』


 言語化したことで、今まであやふやだった感覚が整理された。

 主導権が入れ替わるとき、そこには二つの意志が作用する。

 入れ替わろうとする意志と、それを可否する意志だ。二つの意志が不可視の腕のように手を取り合ったとき、俺たちの身体は入れ替わる。


「ナツさんは、身体の主導権を自分の意志で奪ったことはありますか?」

『うーん……あるとは思うけど、無意識だからよく覚えてないな……』

「それででは一度やってみてください」


 一方的に主導権を奪うということは、双方から伸びていた腕が一方になるということだ。サポートなしで水中から這い上がるようなもので、より強い意志の力と集中力を要する。

 だが原理を言語化したことで、行動をしっかりとイメージすることができた。

 研ぎ澄ました意識を腕のように伸ばし、意識の境界を揺蕩うリッカの手を掴んで一気に引き上げると、肉体の器に魂が収まるように全身の感覚が色を帯びた。


「おお……」


 感嘆を零しながら、身体に残った感覚の残滓を確かめる。


『先生が仰っていたように、私たちの身体が入れ替わるのは恐らく聖霊術の一種です。私から見てもこれらの感覚は非常に類似していますし、霊力の操作に応用が効くはずです。意志の腕を己の腕に重ねて、掌から放出するようなイメージでやってみてください』


 脳内でリッカの言葉を反芻しつつ、両手を巻物へ翳して目を伏せると、脳から発せられた命令を四肢へ伝えるように、意志という名の触手を指先まで繋いでいく。

 腕を伝う脈動が指先へ集約し、不可視の電流が弾けた次の瞬間――巻物が仄かな光を帯びた。


「できた……!!」


 無意識のガッツポーズを解き、薄く汗の滲んだ掌上へ視線を落とす。

 手中に残る確かな感覚――この世界に来て初めて掴んだ霊力の実感。


『霊力の放出ができれば後は細かい操作だけです。夜明けまでに終わらせましょう』

相変わらず淡々と呟くリッカに対して、俺は再び拳を握り締めながら強く頷きを返す。


――――

――


 翌朝、街外れの広場に呼び出された俺は、先生の前で成果を披露した。


「……成功ですね」


 前方へ掲げた掌から燻る白煙を見ながら、彼は微笑みを湛えてそう言った。

 ひとまず聖霊術が発動できたことに安堵するが、先生は頤に手を当てて考えるような素振りを見せると、目を細めてこちらを一瞥しながら言葉を続ける。


「……どうやってコツを掴みましたか?」


 その言葉に少しだけ肝が冷える。真っ先にその質問が出てくるということは、先生も俺がひとりでは成しえないことを予想していたのではないだろうか。

 昨晩はこれを答えと結論付けたが、あくまで自分の中だけの話だ。もしかしたら問答無用で失格ということもあるかもしれない――とは言え、誤魔化す選択肢もない。


「リッカに……教えてもらいました」


 その言葉に先生は目を伏せて小さく息を吐くと、相好を崩しながら口を開いた。


「――合格です」


 その言葉に今度こそ胸を撫で下ろすと、答え合わせのように尋ねる。


「でも、いいんですか? 今回の試験も結局、俺は自分の力では乗り越えられていません」


 すると彼は、その問いさえも予想していたように悪戯っぽく言葉を作る。


「自分で考えた結果、誰かの力を借りることを選んだのなら、それは貴方の答えです。しかしそれが逃げや怠慢であってはならない。故に少しだけ牽制させていただきました」


 なるほど――一言一句まで考えあってのこと。

 こちらの思考の流れさえ掌の上だったということか。普段は人畜無害な好々爺という印象が強いが、長年この過酷な世界を生きてきただけあって、やはり思考の深さや抜け目のなさが自分とは段違いだ。


「もうお気付きかもしれませんが、今回の試験――結果はどちらでも良かったのです。私が確認したかったのは、その過程。困難に直面した際、貴方が何を考え、どう動くのかを知りたかった。そしてもし貴方が独力で乗り越えようとしていたら、私は降りるつもりでした」


 先生はそう言って笑みを深めると、こちらの瞳――その奥を見つめながら言葉を続ける。


「ですからこの先どのような困難に直面しても、決して忘れないでください。貴方は独りではない――誰よりも心強い味方が側にいるということを」

その言葉に胸へ手を当てる。大切なことを伝え忘れていたことを思い出し、

『リッカ……ありがとな』


 そう呟くと返事はなかったが、彼女の気配がたおやかに揺れるのを感じた。


「これで貴方は自分の武器を知った。あとはそれをどう使うか、ここからが本番ですよ」


 確かに聖霊術を発動できたが、これはスタートに過ぎないのだ。

 改めて気合を入れつつ先生の方へ向き直ると、彼は間合いを取るように数歩後ずさりながら言葉を続ける。


「座学の時間は終わり。これから実際に聖霊術を用いて私と戦っていただきます」


 その言葉に改めて先生を一瞥する。

 齢六十を超えそうな初老の男性。右足は義足で杖を突いている。学者や教師と言われれば納得だが、お世辞にも戦えるようには思えない。


「そう言えば、私の聖霊術をお見せするのは初めてでしたね」


 先生はこちらの考えを見通したようにそう言うと、浅く腕を掲げながら言葉を続ける。


「私のセフィラは、神威の再生を司る栄光ホド。医神の力を操る聖霊術です。能力の多くは治療に関するするものなので、基本的に戦闘には不向きなのですが……」


 おもむろに掲げた腕の周囲を、橙色の光が羽衣のように舞いながら収束していく。


栄光開花ホド・キャスト――」


 呼応するように輝きが弾けると、そこには隻腕があった。

 大きさは約一メートル。西洋甲冑の肩から先を外したような鈍色の装甲が、意思を持ったように宙を舞っている。


「霊装――掌握の銀腕アガート・ラーム。かつて戦神の武功を支えた義手です」


 これが先生の聖霊術か。リッカやシンシアさんのような派手さはないが、彼の静かな貫禄を体現したような、重厚な迫力が伝わってくる。


「無論、本物には遠く及ばない粗製ですが……濫造に足るという利点もあります」


 そう言って腕を横薙ぎに振るうと、複製されたように五つの篭手が顕現する。


「……ナツさん。しっかり避けてくださいね」

 

 その言葉の意味を悟るよりも早く先生が腕を振るうと、次の瞬間、車に撥ねられたような衝撃が腹部を襲った。

 肺から空気が押し出される音と、肋骨の軋む音が鼓膜に響いたのも束の間、周囲の景色が吹き飛び、数メートルほど地面を転がってようやく止まる。


 意識が飛びかけるほどの激痛に、視界が火花のように明滅する。

 腹部を押さえて芋虫のように身体を縮めながら、口端から胃酸をゴボゴボと零す。必死に息を吸おうと肺を動かすが、横隔膜が痙攣して小刻みな風音だけが響いた。

 涙で滲んだ視界の端で、先生が相変わらず柔和な笑みを浮かべたまま言葉を作る。


「ナツさんの聖霊術は実に貴方らしい。ですが、貴方自身がその本質に気付けていない。今の状態は矢を持って振り回しているようなもの――それでは到底、武器とは言えません」


 そう言って先生はおもむろにこちらへ歩みを進めると、


「聖霊術の基本は、理解すること。ナツさんには試験までに答えを見つけていただきます。貴方なら、いえ……貴方たちならば、我々とはまた違った路から神秘へ至ることでしょう」


 傍らに屈みこんで聖霊術を発動する。掌から溢れ出した寂光が腹部へ染み込むと、鈍痛が淡雪の如く消えていく。しかし精神に刻まれた傷は、立ち上がる意思を容赦なく刈り取った。


「安心してください。骨が折れても、臓腑が潰れても、私の術で治療します。ただし心まで折れぬよう、どうか死ぬ気で耐え抜いてくださいね」


 俺は倒れ伏したまま、先生の細められた瞳に直感していた。その言葉に一切の戯言や誇張がないことを。これが実践ではなく、実戦であることを。

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