第14話 聖霊術
翌日はまだ病み上がりのため、厚意に甘えて身体を休めることにした。
リッカも起きてはいたが、存在を隠しているため外出を促す訳にもいかず、かといって昨日の今日で会話が弾むはずもなく、俺は窓の外を眺めながら事件のことを思い返していた。
意図せず開花した異能の力――聖霊術。
シンシアさんは開花したからといって戦う必要はないと言っていた。しかしそれが訪れたとき、きっと俺はこの力に縋ることになる。そこに伴うリスクを承知の上で。
他ならぬリッカが――そうしたように。
心を対価に奇跡を起こす力と、心の欠けた少女。そのどちらもが自分の中に混在している。
俺はどうすべきで、どうしたいのか。何を捨て、何を得るべきなのか。
正解のない問いと葛藤が、泥のように渦を巻きながら心に絡み付く。悶々と考えを廻らせていると、部屋の扉が控えめにノックされた。
返事を返すと、シンシアさんが扉からひょっこりと顔を覗かせた。午前は結界の調査に向かうと聞いていたが……そう思いながら時計を見ると、時刻は既に十一時を回っていた。
「ナツ君、身体の調子はどう?」
「おかげさまで何ともありません。退屈すぎるくらいなので、午後からは軽い仕事の手伝いでもさせてもらおうかと思っていたところです」
大袈裟に肩を回しながらそう言うと、シンシアさんがにっこりと笑いながら続ける。
「ちょうど先生からも話があるみたいだから、検診ついでに相談してみようか?」
その後、彼女と共に診療所を訪れて検査を終えると、先生が改まって口を開く。
「今回お呼びしたのは他でもありません。ナツ君には聖霊術の基礎について知っておいていただこうと思いまして。昨日はバタバタしてほとんどお話できませんでしたからね」
その言葉に虚殻の姿が脳裏を過ぎり、心臓を掴まれたような悪寒が走った。俺は横目でシンシアさんを一瞥した後、おずおずと口を開く。
「……あの、俺……二人みたいに戦うのは……」
「もちろんです。むしろ、その力を使わないための知識だと考えてください」
先生はそこで句切ると、僅かに声のトーンを落としながら言葉を続ける。
「今のあなたは、常に抜き身の刀を携えているようなものです。使い方を誤れば自身や周囲を傷つけてしまう。だからこそ戦うためでなく、守るために聖霊術を学んでいただきたいのです」
戦うためでなく――守るため。俺は掌に視線を落としながら、その言葉を噛み締める。
俺は虚殻に対抗する力を得た。しかしその力は他者を、そして自分自身をも簡単に壊しうるものだ。だからこそ俺はこの力――聖霊術を理解し、制御する責任がある。
「……分かりました。お願いします」
俺が拳を握り締めてそう言うと、先生は満足げに頷きながら再び言葉を作る。
「まず前提として聖霊術は万能の奇跡ではありません。万象の根源である聖霊を変換することで記憶から事象を再現する技術です。そこで重要になるのが聖霊の変換機――セフィラ」
先生はそこで短く句切ると、記憶を手繰るように目を細めながら言葉を続ける。
「この世界は創世の力――聖霊が十種類のセフィラを経て顕現したものです。全く異なるように見える物質……例えば火も、水も、土も、等しく姿を変えた聖霊なのです」
見た目や性質が異なる物質も、分解してしまえば原子の種類と組み合わせの違いでしかないと聞いたことがある。理屈としてはそれに近いものだろうか。
ただ原子には様々な種類があるが、話を聞く限りだと聖霊にはそれがない。つまり聖霊はあらゆる原子に変化できる万能原子のような存在ということか。
「万象は聖霊が変換されることで発生する。つまり聖霊に干渉して意図的にセフィラを経由させることができれば、特定の事象を引き起こすことができるということ。その技術を私たちは聖霊術と呼んでいるのです」
なるほど……仕組みは何となく理解できた。ただし肝心のセフィラについてはまだ曖昧なことが多い。そんなこちらの考えを見透かしたように先生は言葉を続ける。
「ここで話を戻しますが、聖霊術の核となる変換機――セフィラとは、名前から分かる通り
無意識に胸元へ手を当てていると、シンシアさんが机上に何かを広げながら言葉を続けた。
「ただしここで重要なのが、十種類全てのセフィラが開花する訳じゃないということ。開花するのは基本的に一人につき二種類まで。そしてこれがセフィラの種類を測る道具だよ」
シンシアさんが広げたのは、意匠が施された年代物の巻物だった。
紙上には線で繋がれた十個の円が描かれている。というよりは、カットされた宝石のように規則正しく描かれた線の交点に、それぞれ円が配置されているようだ。
「これは命樹界を簡略化した図形で、十個の円がそれぞれのセフィラを表しているの。この巻物も聖霊術で作られた特別製なんだけど――聞くよりも一度見てもらった方が早いかな」
そこでシンシアさんは頤に指を当てて考える素振りを見せると、
「せっかくだから検証ついでに……リッカちゃん、試してくれる?」
俺の瞳の奥を見つめながらそう言った。胸元に手を当てて語りかけようとした途端、こちらの反応を待たずに身体の主導権が奪われる。
リッカはシンシアさんを一瞥した後、無言で図形を挟むように巻物へ両手を添える。目を浅く伏せて意識を集中させた次の瞬間、彼女を中心として不可視の波動が巻き起こった。
波動に呼応して図形のインクをなぞるように淡い光が走ると、ひとつの円が一際強い輝きを放った。それを見たシンシアさんが円をひとつずつ指差しながら言葉を作っていく。
曰く――セフィラはそれぞれ以下の名を冠する。
天柱の嚮導を司るもの――
淵源の探求を司るもの――
枢機の通暁を司るもの――
呪縛の解放を司るもの――
桎梏の断絶を司るもの――
罪業の審判を司るもの――
命脈の連環を司るもの――
神威の再生を司るもの――
万象の流転を司るもの――
天歌の支配を司るもの――
彼女はそこまで言い終えると――一際強い光を放つ円を指しながら言葉を続ける。
「リッカちゃんが適合したのは根源――万象の流転を司るセフィラだよ」
彼女がそう言うと、役目は終えたとばかりにリッカが引っ込んでしまう。その様子にシンシアさんは微かに眉尻を下げた。暗い雰囲気を払拭するように俺は努めて明るく言葉を作る。
「その……万象の流転って……?」
「枕詞みたいなものではあるんだけど……簡単に言えばセフィラの性質を分類したものかな。例えば万象の流転は、主に物質の状態変化に関わる顕象のことを指しているの」
なるほど……大まかな十種類の系統とそれぞれの特性ということか。
確かにリッカも以前、自身の術を「相転移の力」だと言っていた。
「それじゃあリッカが使っていた氷の聖霊術も、物質の状態変化によるものってことなんですね。根源のセフィラが開花した人は、皆あれと同じことが出来るんですか?」
「ううん。分類はあくまで便宜上のものであって、術者が変われば結果も変わるよ。例えばリッカちゃんなら状態変化の中でも特に凝華――液体や気体を個体へ変化させる力に長けているの。つまり術の種類は術者の数だけ存在する。だからこそ自分のセフィラがどの系統で、どのような特性を持つのかを知るのはとても大切なの」
そう言うと、シンシアさんは巻物をこちらへ促しながら言葉を続ける。
「ということで、ナツ君もどうぞ」
そんな席を譲るくらいの感覚で言われても心の準備ができていない。それに――
「あの……これも一応、聖霊術なんですよね? 反動は大丈夫なんですか……?」
するとシンシアさんは思い出したように拍手を打ち、眉尻を下げながら口を開いた。
「ごめんなさい、勘違いさせちゃったね。聖霊術は使えば使っただけ反動が生じる訳じゃないの。臨界点を越えない限り、身体に大きな害は無いから安心していいよ」
「……臨界点?」
「臨界点って言うのは、言わば術者の霊的な許容量のこと……かな。例えば許容量が十だったとして、その範囲内で聖霊術を使う分には身体への負担は最低限。だけど許容量を越えて二十の霊力を使おうとすると代償が生じるの。人と聖霊を隔てる境界線、それが臨界点」
考えてみれば確かに、常に代償の発生するような行為を、手本とは言え何度もやって見せるはずがない。無論リスクの意識は大切だが、必要以上に怖がることもないと言うことだろう。
俺は改めて巻物へ向き直ると、意を決して紙上へ手を載せる。
とりあえず駄目元でやってみようと、目を伏せて掌に意識を集中させる――が、巻物はうんともすんとも言わずに鎮座している。
おずおずとシンシアさんを一瞥すると、
「初めは誰でもそんなものだよ。それじゃあまずは入門編として、聖霊術の基礎――聖霊に干渉する方法を教えるね」
そう言って微笑み、こちらの両肩に手を乗せながら言葉を続けた。
「少しだけナツ君の体内聖霊に干渉するから、リラックスして意識を集中してみて」
そう言うと、肩越しに不可視の波動が生まれる。
今までも何度か感じた、聖霊術に伴って見られる現象だ。波動は肩から全身へ伝うと、細胞が熱を帯びるような感覚を覚える。
「これが聖霊の声と呼ばれる現象――
シンシアさんは波動を響かせたまま語り部のようにそう呟くと、
「聖霊は術者の意思に反応して活性化するんだけど、霊響はその際に発生する共鳴現象なの。私たちはそれを通じて聖霊の動きを把握したり、干渉したりするんだよ」
こちらの肩から手を離して巻物を指差しながら言葉を続ける。
「この巻物もそれの応用で、霊響からセフィラの種類を読み取ってくれるの。それじゃあ今度こそナツ君のセフィラを確認しようか。今回はサポートするから巻物に手を乗せてみて」
促されるまま紙上へ手を添えると、肩に乗せられたシンシアさんの手から再び霊響が伝ってくる。やがて巻物に触れた掌が、仄かな熱と共に吸い付くような感覚を覚えると、それに呼応するように紙上を光が走り――ひとつの円が強く輝きを放った。
シンシアさんが肩越しに「あら」と呟くと、嬉しそうに微笑みながら言葉を続ける。
「ナツ君のセフィラは――
その言葉に巻物へ視線を戻し、蛍色の寂光を纏う円を見つめる。
シンシアさんと同じ、終天のセフィラ。かつて二度も命を救われた彼女の聖霊術――虚殻を穿った光の矢を思い出す。
聖霊術は十人十色と言っていたが、少なくともあれと同系統の力が開花している。そう考えると微かな畏怖と重圧から、知らず背筋に力が入る。
「けど……うーん?」
しかし彼女は怪訝な表情を浮かべると、頤に指を当てながら呟く。
「ナツ君はリッカちゃんと同じ
確かに能力を発動する際、俺はリッカの聖霊術を強くイメージした。あれは言わば咄嗟の模倣だったのだが、結果的に発現した能力は彼女の凝華とも異なっていた。さらに実際に判明したセフィラは終天で、しかし術の性質としては根源に近いとのこと。
自分なりに頭を捻っていると、肝心なことを聞き忘れていたことを思い出す。
「そう言えば終天の性質って、えっと……何でしたっけ?」
するとシンシアさんは思い出したように「ごめんごめん」と言いながら言葉を続ける。
「終天が司るのは、命脈の連環。命の繋がりを象徴するセフィラだよ」
命脈の連環――字面から壮大な雰囲気は感じるが、実際の性質は想像もつかない。
「この命っていうのは人や聖霊を指していて、繋がりっていうのは感受性とか干渉力のことだね。だから終天の術師に共通する特徴は、霊応力の高さってことになるのかな」
シンシアさんはそう言うと、浅く掲げた掌上に光の矢を生成しながら言葉を続ける。
「私の能力――
そう言ってシンシアさんが手を閉じると、矢は煙のように霧散した。
「セフィラの種類が分かったら、後は実際に術を使いながら特性を理解していくだけだね」
そう言い終えた瞬間、図ったように遠くから昼を告げる鐘の音が響いてきた。
「病み上がりだし、続きは今度にしようか。先生もそれで良いですか?」
彼の首肯を確認すると、シンシアさんは無邪気な笑顔を浮かべながら続ける。
「ちょうど良い時間だし、皆でお昼ごはん食べに行きましょう」
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