第5話 心御柱
「詳しい結果は後日お知らせします。ちょうど良い時間ですし、今日は食事にしましょうか」
先生は机に立て掛けられた杖を手に取ると、慣れた手つきで椅子を立った。
踵を返した背中に続くのは――左右で異なる足音。
彼の左膝から先には木製の義足が装着されている。
診療所は平屋を改築しており、階段もないため難なく外に出ることができた。そのまま帰路に着くかと思いきや、二人は示し合わせたように来た道と逆へ歩き出した。
角を曲がった二人の背中に追いつき、声をかける。
「家には戻らないんですか?」
「この里では、お昼は皆で一緒に摂ることにしているの」
そう言って指差した先にあるものを見て、俺は自分の目を疑った。
昨夜は暗くて気付かなかったが、街の中央には一本の樹が聳え立っていた。
シルエットはよくある広葉樹だが、異様なのはその大きさだ。
真っ先に連想したのは――スカイツリー。世界一の高さを誇る電波塔に比肩するほど巨大な樹木が、まるで天を突くように屹立している。
「あれ……何ですか……?」
「そっか、御柱もこの世界固有のものだよね」
シンシアさんはそう言いながら、思い出したように手を打った。
「あれはこの世界において、人類の生存圏を示す守護の象徴――
樹を見上げた先生が目を細めながらそう言うと、シンシアさんもそれに続く。
「この里が結界で守られているっていうのは話したよね? その結界を形成しているのが、あの心御柱なの。樹とは言っても聖霊術で生み出されたものだから、半人工物って感じだけど」
「あれ……いったい何メートルあるんですか?」
「確か、四百メートルくらいじゃなかったかな?」
スカイツリーが634メートルだったから、それの三分の二弱といったところか。
「中央広場はあの根本だからね。ささ、ぼうっとしてると、お昼ご飯食べ損ねちゃうよ?」
そう言ったシンシアさんに背を押されて歩みを進めていくと、程なくして微かな喧騒が聞こえてきた。並んでいた家屋が途絶え、開けた場所に突き当たる。
御柱の全容は既に視界に収まりきらなくなっている。
その根元はまるで巨大な壁のようだった。
樹幹の直径だけで三十メートルはあるだろうか。樹幹を囲むように玉垣が張られ、そこから同心円状に石畳が敷かれている。
この風景に至ってようやく思い出す。
俺は前に一度だけ、ここへ来たことがあった。
この世界に来る直前に見た、リッカの記憶の中で。
リッカは幼いシンシアさんと別れた後、この場所で気を失った。そのときのことを聞こうかとも思ったが流石に憚られるので、気を取り直して周囲を見渡す。
御柱の根元は、文字通り広場になっていた。
広場の一画に設置された大きなテーブルは人だかりで賑わっており、少し離れた位置にある炊事場では調理担当と思しき数名が慣れた手つきで配膳をしている。
シンシアさんに連れられてお盆を手に取ると、住民たちに混ざって配膳を受けていく。この場において自分は余所者……というか珍客らしく、先程から視線を感じる。
とは言え簡単な説明は伝わっているらしく、不審に思われたり詰問されたりすることはなかった。配膳担当の老婦に会釈をすると、柔らかい微笑みを返してくれた。
大釜から色付いたスープが注がれ、立ち昇る湯気と芳醇な香りが食欲を刺激する。
「やったね! 今日は山菜のスープだよ。私、これ大好きなんだよね」
配膳を持ってテーブルの一画に座ると、手を合わせてから口へ運ぶ。
メニューは山菜のスープと干し肉、そして麦パンにチーズという牧歌的な内容。
どれも塩味が抑えられている代わりに素材の味がしっかりしており、身体の芯に染み渡るような美味しさだった。
遅れて合流した人や調理担当の人たちも席に着くと、六つあったテーブルもほとんどが埋まった。三十人近い人たちが一堂に会すると流石に活気がある。
しかしシンシアさんが言うには、今ここに居るのがほぼ全ての住人だそうだ。
それに若者の姿が全く見当たらない。若くても四十代がせいぜいといったところであり、自分とシンシアさんが突出して若いようだ。
俗に言う限界集落というやつだろうか。
そんなことを考えながら遠巻きに観察していると、とある人影に目が留まった。
齢は七十ほどだろうか。
短く刈り込んだ白髪に鋭い眼光を湛えたその老人は、服の上からでも分かるほど引き締まった身体を隠すように、使い込まれたローブを身に纏っている。
ローブの影から見え隠れするのは猟銃と山刀――所謂マタギというやつだろうか。
老人は食事を摂らずに各テーブルを回り、住民たちと一言二言交わしていく。
最初は身なりにギョッとしたが、住民たちの好意的な反応を見るに怪しい人物ではないようだ。老人は隣のテーブルで会話を終えると、今度はこちらへ近付いてくる。
それに気付いてか、二人も示し合わせたように食事の手を止めて向き直った。
「お疲れ様です、里長」
そう言って会釈するシンシアさん。額面通りであれば、この里の代表ということだろうか。失礼極まりないが、まさかそういった立場の人だとは思いもよらなかった。
「今日は狩ですか? 収穫は?」
「雌鹿が一頭――血抜きはしてあるから、見回りついでに回収を手伝ってくれ」
シンシアさんが了解の合図を返すと、老人がこちらへ視線を向けながら口を開く。
「……ベンノだ。レヴァナーの代表をしておる」
「あ、ナツといいます。えっと……お世話になっています……?」
しどろもどろにそう返すと、里長は値踏みするように双眸を鋭く細めた。
「……記憶喪失ともなれば苦労も多いだろう」
里長はそう言うと、懐から取り出した年代物の巻物をテーブルに置いた。
記憶喪失――里の人たちには、俺のことはそう説明してある。
この世界のことは右も左も分からないことばかりなので、記憶喪失も同じようなものだ。この身体についても二人を除けば、里長にしか明かしていない。
里長も事情は知っているはずだが、ここでは他の目もあるため話を合わせてくれているのだろう。ある程度落ち着くまではこうしておくのが無難だろうというのが、彼ら三人の出した結論だった。
多少の心苦しさはあるが、無用な混乱を避けるためには仕方のないことだろう。
「行く宛が見つかるまでは自由に過ごすと良い。住民一同、できる限り力を貸そう」
里長はそう言って踵を返すと、背中越しに言葉を続ける。
「しかし長居は無用。この里に――余所者の居場所はない」
ぶっきらぼうにそう言うと、こちらの返事を待たずして席を離れていった。急な態度に面を食らっていると、シンシアさんが苦笑いを浮かべながら小さく溜息を吐く。
「まったく、里長もわざわざあんな言い方しなくてもいいのに」
「……申し訳ありません。彼にも悪気があるわけではないのです。それに里を離れることには私も同意です。教会の庇護下にないこの里には長居すべきではありません」
先生がそう言うと視界の端でシンシアさんの手が止まり、悲しげに目を伏せた。
「教会の……庇護?」
聞き覚えのない言葉を反芻すると、先生がスプーンを置きながら言葉を続けた。
「それには先ず、この国の仕組みからご説明しましょうか」
そう言って里長が置いていった巻物を広げると、それは地図だった。
「私たちの住む国――聖教国は列島の南端から突出する半島を版図としています。東西と南を海に、そして北を禁足地に囲われた、言わば陸の孤島ですね」
地図にはやや中太りした縦長の地形が描かれており、各所に十一個の丸が記されていた。周囲を海に囲まれており、北は調査が進んでいないのか暈されている。
「聖教国は
「そしてその教理に則って虚殻と戦うのが、私たち――教会に所属する術師なの」
シンシアさんはそう言うと、制服の胸元を飾る徽章へ指先を添えた。
改めて見ると黒地に白の刺繍が施されたその制服は、礼服としての威厳を備えつつも機能美を優先しているようだった。元の世界でいう軍服のようなものだろうか。
「初代教皇は聖霊術を以って、十一の土地に結界を張ることで聖教国を建国しました。それが、聖拝教の総本山たる聖都を中心とした十一の教区です」
つまり版図に記された十一個の丸が、それぞれの教区を示しているということか。
すると先生は南から二つ目の丸を指しながら言葉を続ける。
「私たちが住むレヴァナーは教会が守護する区域――教区でしたが、十年前の事件を切っ掛けにほとんどの住民が疎開し、五年前に教区指定から外されたことで司祭や術師たちも撤退してしまいました。そして今は残った僅かな住民たちが身を寄せ合うことで生活しています。十五年前に滅んだ王都も除外すると、現存の教区は全部で九箇所ということになりますね」
「それで本題に戻るけど、教会の庇護っていうのは大きく分けて二つ――」
シンシアさんはそう言うと、頭上を覆う巨木を指しながら言葉を続ける。
「――ひとつは心御柱。全ての教区にはこれと同じ樹があって、聖都から送られてくる霊力を以って結界を張っているの。そしてもうひとつが――術師。教会から派遣された術師たちが幅広い治安維持にあたる。これが私たちの言う教会の庇護よ」
「でも……結界はもう復活しているんですよね? それなのにどうして庇護が戻らないんですか?」
すると、先生は浅く目を伏せて首を横に振りながら言葉を作る。
「この御柱は、既に聖都からの霊力の供給路――霊脈が断ち切られているのです。一度切られた霊脈は容易には復元できません。今は結界の範囲を限界まで縮小し、心御柱の根から地脈の霊力を吸収することで、なんとか維持しているに過ぎません」
「……十年前の事件の原因も結局分からないままで、この結界だっていつまでも続く保証はないの。聖霊術が使えるのも、私を除けば元術師の先生だけ」
シンシアさんはそこで浅く目を伏せると、懺悔するように言葉を続ける。
「この里は……君が思っている以上に危うい状況なの」
その瞳に影が差し、重い沈黙が流れる。しかし彼女はすぐに笑顔を取り繕うと、
「でも十年前から一度も結界は消えていないし、案外何とかなるものだよ。だからナツ君もこっちのことは気にせず、しっかり自分の道を決めないとね」
そう言って食事を再開した。俺もそれに倣って手を動かしていく。
しかし脳裏には彼女の言葉がリフレインしていた。
俺は――この世界で自分の道を見つけられるだろうか。
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