第4話 二人の身体

「――お疲れ様でした。これで診察は終わりです」


 対面の椅子に座った初老の男性が、聴診器を外しながらそう言った。

 こちらの世界に来た翌朝、俺はシンシアさんに連れられて診療所を訪れていた。

 診察してくれたのは、この里で唯一の医者――クロード先生。


「それで……どうでした? 二人の状態は」


 診察に立ち会っていたシンシアさんがそう言うと、先生はカルテのようなものに視線を落とし、白髪交じりの頭を申し訳なさそうに掻きながら言葉を作る。


「結論から言って……分かりません。身体的には至って健康……体内聖霊も基底状態で安定しています。ですが確かに、ひとつの身体にふたつの人格が共存し、しかもそれらが肉体ごと入れ替わっている。この眼で見なければ信じられなかったでしょう」


 彼は先ほどまで俺とリッカを交互に診察していた。途中で額や手首に手を当てていたが、あれは脈や熱だけでなく聖霊に関する何かを診ていたらしい。

 そうして出された結論は――不明。

 どうやら俺たちの状態は、この世界でも異常のようだ。


「ただ、原因は分かりませんが、身体が入れ替わる原理なら仮説を立てることは可能です。お二人の変化は恐らく、無意識に発動している聖霊術のようなものでしょう」

「俺が……聖霊術を……?」


 その呟きにクロード先生はひとつ頷くと、こちらへ向き直りながら言葉を続ける。


「聖霊術とは、端的に言えば作り変える力――リッカさんの氷やシンシアさんの矢も無から生み出されたものではなく、全て不可視の聖霊が姿を変えたものです。そして聖霊術が作り変えるものは、聖霊だけではありません」


 そう言って彼は己の胸に手を当てながら言葉を続ける。


「人間をその人たらしめる根幹――この場合は魂と言いましょう。人は魂から発せられる命令によって体内に宿る聖霊を励起させ、己の肉体を作り変えることによって体外の聖霊に干渉しています。言わば内外の波長を合わせる調律のようなものですね」

「見た目に変化はなくとも性質は変わっている――ということですか?」


 以前ショップで買った観賞魚を水槽へ移す際に、水温や水質に慣らすために水合わせという作業をしたことを思い出す。イメージとしてはそんなところだろうか。

 先生は好々爺という言葉がピッタリな、柔和な微笑みを浮かべながら頷くと、


「あなたたちはひとつの身体にふたつの魂を宿しており、魂の主導権が入れ替わる度に肉体を適した形――魂に刻まれた姿へと作り変えている。それが私の見解です」


 その言葉に改めて己の両手へ視線を落とす。何度見ても自分の身体にしか見えないが、これが聖霊によって作り変えられた――魂に刻み込まれた姿ということらしい。

 そこまで考えて、ふと疑問が過る。


「ということは、この身体は本来であればリッカのものということでしょうか? 今はただ俺の魂に合わせて作り変えられているだけで……」


 先生は微かに目を伏せながら首肯する。確かにそう考えれば病が完治していたことにも説明が付く。しかしそれでは、リッカの身体に寄生しているも同然ではないか。


「それじゃあ……俺の本当の身体はどこにあるんですか? それにリッカの身体は……このままで大丈夫なんですか……!?」


 僅かに身を乗り出したこちらを手の動きで制すると、先生は冷静に言葉を作る。


「落ち着いてください。まず後者についてですが、先程お伝えしたように今のところ身体的にも霊的にも異常は見当たりません。それにこちらの世界では、聖霊による肉体の書き換えは大なり小なり日常的なことなのですから」


 その言葉に少しだけ安堵する。しかし、だからと言って放置して良いという事ではないだろう。俺は視線でもうひとつの問いに対する回答を促す。


「もうひとつ、ナツさんの本来の身体についてですが……こちらについては分かりません。ただ現状から推測すると、魂だけの転生だと考えたほうが自然でしょう」

「じゃあ……元の世界に戻るのは……」


 ぽつりとそう零すと、先生はこちらを真っ直ぐに見つめたまま静かに言葉を作る。


「……例え方法があったとしても、それをお勧めすることはできません」


 俺は微かに俯きながら、拳を握り締めてその言葉を噛み締める。彼の言う通り元の世界に戻れたとしても、病に犯されたままならば元の木阿弥だ。

 シンシアさんがこちらの肩に手を添えながら、慰めるように名を呟いた。

 俺はハッとして顔を上げると、笑みを作りながら言葉を返す。


「すみません……大丈夫です。こうして生きていられるだけで、俺にとっては奇跡ですから」


 そう言って再び先生へ向き直りながら言葉を続ける。


「先生――俺の魂を別の身体へ移すことは可能なんでしょうか? 今は問題なくても、いつまでもこのままという訳にはいかないので……」

「それについても保証することはできませんが、少なくとも可能性がないということはないはずです。学都であれば研究所もありますし、何か分かるかもしれません」

「そっか! ナツ君も学生になれば……」


 シンシアさんが嬉しそうに手を打ちながらそう言うと、先生はひとつ頷きを返し、こちらへ視線を戻しながら言葉を続ける。


「この国のあらゆる知識が集まる場所――第零教区・学都トランスサタニア。そこにある教会の最高学府【星辰学院せいしんがくいん】の修道科なら、いくつかの履修と奉仕活動が義務付けられる代わりに学費が免除されます。学院に通えばこの世界のことも学べて一石二鳥かと」


 シンシアさんはうんうんと頷いた後、思い出したようにこちらの顔を覗きこんだ。


「そう言えば、ナツ君って歳はいくつ?」

「えっと……十六――いや、もう十七歳ですね」


 病室で寝たきりだった俺のために、両親が開いてくれた誕生祝いを思い出す。

 そう言えば結局、あのときの礼も言えず仕舞いだった。

 今となっては苦々しくも――幸せな思い出だ。


「それなら入学規定も満たしているし、ぴったりじゃないかな? ちなみに私も現役の学生だから、先輩として色々とサポートできるしね」


 確かに前の世界でも学生だったから、いきなり就職したり、ましてや虚殻と戦ったりするよりは適応しやすいだろう。それに学ぶということは未来の選択肢を増やすことだと両親も言っていた。今の自分に必要なのは、まさにその選択肢だ。


「俺としては願ったり叶ったりですが、リッカも賛同してくれるでしょうか?」

「リッカちゃんも学生だったから大丈夫だと思うけど、こればかりは相談してみないとね」


 その言葉に己の胸へ手を当てると、物言わぬ同居人へ語りかける。

 そこに揺蕩うような気配を覚えるが、しかし反応はなかった。

 診察には大人しく協力してくれたが、シンシアさんや先生の問いにも最低限の応答のみと、心を閉ざしてしまっているらしい。


 俺が無言で首を振ると、シンシアさんは笑みを作りながら悲しげに眉尻を下げた。

 その時、遠くから低い鐘の音が聞こえてきた。先生の視線を追って壁掛け時計を見ると、二つの針が真上を指している。恐らく正午を知らせる鐘だったのだろう。


「詳しい結果は後日お知らせします。ちょうど良い時間ですし、今日は食事にしましょうか」


 先生は机に立て掛けられた杖を手に取ると、慣れた手つきで椅子を立った。

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