第3話 異世界
それから一時間ほど情報交換を続けた結果、俺たちはひとつの可能性に至った。
「つまり君は、別の世界からやってきたということ……で、いいのかな?」
「そう……なりますね」
不承不承に頷きを返す。もちろん双方共に納得した訳ではなく、シンシアさんも白魚のような指を額に当てながら眉根を寄せて小さく唸っている。
俺もそれに倣い、自分なりに状況の整理を試みる。
俺は入院していた。病に侵されて、病床に伏していたのが最後の記憶だ。
そしてそのまま意識を失い、気付いたら見知らぬ森にいた。
しかも不治であるはずの病が完治した状態で。
いや……恐らく違う。
この状況と合わせて、無理やり辻褄を合わせるとしたら……。
病が完治したのではなく、俺はあのまま――死亡したのだろう。
そして俺は、この世界で生まれ変わった。言わば――転生だ。
こんな仮説、普通ならば一笑に付すところだ。そう……普通ならば。
しかし俺が目覚めてから体験してきたことは、どれも尋常ではない。
……あまりの非現実感に頭痛がする。
しかしこのまま頭を抱えていても、何も変わらないことだけは確かだ。
「シンシアさん、教えて貰えますか? この世界のことと……リッカのことを」
「そう……だね。もう……君にとっても他人事じゃないもんね」
そう言って彼女は浅く目を伏せると、神話の語り部のように言葉を紡ぎ始めた。
「この世界を理解するには、まず聖霊について知って貰う必要があるわ」
曰く――ことの始まりは数百年前。
繁栄を極めた人類は無秩序に叡智を振るい、際限のない欲はやがて世界をも脅かし始めた。しかし世界が欲に飲まれようとしたその時、地上に聖霊が顕現した。
聖霊とは世界の根源から溢れ出す無限の光であり、万象を織り成す創世の力。
聖霊は世界浄化機構【
「それが君たちを襲った化け物――
「……つまりあんな化物が他にもいて、人間はそれに狙われているってことですか?」
悪い冗談でも聞いたように頬を引き攣らせるが、彼女は神妙な面持ちで首肯する。
「地上の殆どは侵略されて、人類の生存圏は全盛期の1%以下と言われているわ」
「それじゃあ、もしかして……この街をあんな風にしたのは……」
浅慮な発言にも拘わらず、彼女は静かに頷きを返した。
「じゃあ……この場所もいつ襲われるか分からないってことですか?」
「あ、ううん――そこは安心して。結界の中にいれば襲われる心配はないから」
シンシアさんが慌てて笑みを作り、両手で否定を示しながらそう言った。
聞き慣れない言葉もあるが、ひとまず安堵の息を吐く。
いや――安心している場合ではない。
前の世界では食物連鎖の頂点にあった人類が、この世界では奪われる立場にある。
今までは野生的な淘汰から守られているのが当然だったが、その常識が通じないということだ。それがどれだけ恐ろしいことか、俺はきっと理解できていない。
「こうして聞くと絶望的かもしれないけど、ちゃんと希望は残されているんだよ」
こちらの不安を悟ってか、シンシアさんは努めて明るい声でそう言った。
「聖霊や虚殻樹については諸説あるけど、私たちはそれを災厄ではなく試練だと捉えているの」
「試練……?」
その呟きに、彼女はひとつ首肯する、
「そう……人類がこの世界を生きる資格があるのか――それを問う試練。そう考える根拠が、もうひとつの聖霊機構【
「虚殻樹の機能が人類の浄化だったから……」
「聖命樹はその反対――人類の保全よ」
その言葉に違和感を覚える。
つまり聖霊は脅威であると同時に救済でもある……と?
「そんなの……ただのマッチポンプじゃ……」
「けど、両者には決定的な違いがあるの。虚殻樹が能動的であるのに対して、聖命樹は受動的――つまり強い意志に呼応して初めて恩恵を与える。まるで人の意志を試すようにね」
シンシアさんが差し出すように手を広げると、その掌上に光の矢が顕現する。
「その恩恵こそが、虚殻に唯一対抗し得る奇跡の力――
以前、リッカが操っていた氷の刃――あれも聖霊術だったのだろう。
創世の力を操る聖霊術と、それを駆使して虚殻に抗う術師。前の世界にいたときなら、きっとその存在に憧れただろう。しかし虚殻と直接対峙した今なら分かる。
この人たちは文字通り、俺とは違う世界に生きているのだ。
そこに感じるのは――畏怖。
「教会は聖霊術を用いて十一ヶ所の土地に結界を張り、長い歴史をその中で紡いできた。けれど十五年前、最南に位置する結界が唐突に消滅すると、一晩で王都と数千人の命が消えた。そして十年前――今度はこの土地を守る結界が停止したの」
シンシアさんは遠くを見つめて、指先でカップの縁をなぞりながら言葉を続ける。
「十年前……まだ九歳だった私にとって、リッカちゃんは近所の優しいお姉ちゃんだった。あの日、久しぶりに帰省したリッカちゃんに会えたのが嬉しくて、無理を言ってピクニックに連れて行ってもらったの。何の変哲もない、幸せな一日なるはずだったのに……何の前触れもなく結界が停止して、街は虚殻の大群に襲われた」
俺はシンシアさんの顔を直視することができず、視線を落としたまま独白に耳を傾ける。カップを握りしめて白む指先が、彼女の無念を代弁しているようだった。
「私はリッカちゃんと避難している最中に怪我をして……動けない私を納屋に隠したリッカちゃんは、助けを呼んでくると言って出て行ったきり、そのまま……」
やはり――同じだ。
俺がこの世界で目覚める直前に見ていた夢の内容と合致する。
つまり俺が見ていたのは夢ではなく、リッカの記憶だったのだろう。もしかしたら、俺たちが共有しているのは身体だけではないのかもしれない。
「その後、今度は唐突に結界が復活すると、駆けつけた術師たちによって虚殻は掃討されたわ。けれど街の被害は甚大で、住民や駐在していた術師たちも殆どが行方不明になった。私の両親やリッカちゃんのお父さん、そしてリッカちゃん自身も……」
そこでシンシアさんが再び視線を上げた。こちらへ向けられたエメラルドグリーンの双眸は俺の瞳を通して、その奥にいる少女を見通そうとしているようだった。
「けれど今日、彼女は再び現れた。十年前と変わらない姿で……君と一緒に」
シンシアさんは「ごめんね」と呟くと、目尻に浮かんだ涙を拭った。
「教えてくれて、ありがとうございます。シンシアさんも……辛かったはずなのに」
俺はやっとのことでそう返すと、琥珀色の水面へ視線を落としつつ――思う。
虚殻に襲われて、気付けば十年が経過。故郷は崩壊し、父親は行方不明に。
まさに地獄へ突き落とされたような気分だろう。憐憫の情が無いとい言えば嘘になるが、しかしあまりに境遇が違いすぎて、哀れむことすら不徳に思えてしまう。
この状況に対して、自分はあまりにも無知で無力だ。
「少し……考える時間を下さい」
俺がやっとのことでそう告げると、
「……そうだよね。一番混乱しているのは君なのに、色々とごめんなさい。私たちのことは大丈夫だから、ナツ君は自分のことを一番に考えてね」
シンシアさんはそう言って、己へ言い聞かせるように言葉を続ける。
「確かに辛いこともあったけど、リッカちゃんが戻ってきたことは喜ぶべきことだもの。過去のことばかりじゃなく、今にも目を向けないとね」
そう言うと、シンシアさんは小さくはにかみながら言葉を続ける。
「それに、君が悪い人じゃなさそうで安心した。うん……きっと上手くいくよ」
その後、俺は貸してもらった部屋着に着替えてベッドへ潜り込んだ。
色々なことが起こりすぎて気疲れしていたため、すぐに眠れると思っていたが、夜陰に包まれた天上を見上げていると、押し寄せる不安にむしろ目が冴えていく。
当初は身体の自由が戻ったことへの喜びが勝っていたが、冷静になると途端に恐怖が鎌首をもたげる。ふとした拍子に身体が以前の状態に戻ってしまわないかと、このまま目を閉じれば二度と目覚めないのではないかと――胸が締め付けられる。
ずっと寝たきりだったせいか、寝るという行為そのものにトラウマを植えつけられてしまったのだろうか。息苦しさに身体を起こすと、壁に背を預けて毛布に包まる。
不治の病に、虚殻――奇跡的に二度も命を拾ったものの、この先も無事でいられるとは限らない。いつもと同じ明日が来る保障なんて、どこにもないのだ。
なればこそ考えなければならない。
この先のこと、自分のこと、そして――リッカのこと。
自分が何をすべきか、いや――後悔しないために、自分が何をしたいのか。
俺は拙い思考を廻らせながら、まどろみの海へ身を委ねていく。
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