死ねないから生きてるだけ
皆さんは何故生きてますか?生きたくて生きてますか?だとすれば、それはとても羨ましいです。私は違います。死ねないから仕方なく生きているだけです。
自殺願望があるわけではないです。いや、昔はありました。直ぐにでも毎日のように死にたいと強く願っていました。今は、無いです。ただ、死ぬという行為が痛みや苦しみを伴うから実行していないだけです。
死ねないから生きているだけ。今の世界には、特に日本ではこういった方は多いでしょうね。死生観を口にすると忌避される雰囲気は全く以て謎です。
能書きはこの辺にして、私がホームレスに至るまでの経緯を話さなければならないでしょう。そういう作品ですし。
前述したように私は昔、激しい自殺願望を抱いていました。
その原因は主に親です。私の親は強烈な毒親でした。
私は三兄妹の真ん中に産まれました。上は兄で、下は妹です。
産まれた時点で私は両親からの祝福を受ける事はありませんでした。何故なら、兄の次に両親が欲していたのは女の子だったからです。
私の名は両親ではなく祖父が命名してくれました。兄と妹はもちろん両親によって命名されています。妹が産まれた時はそれはもう喜んでいたそうです。
小さい頃から私は親の愛を受けずに育ってきました。何をするにも兄と妹を優先され、私は基本的に放置されてました。それを見かねた祖父母は私の事をとてもかわいがってくれました。祖父母が居たからこそ、今まで生きて来れたと言っても過言ではありません。
小学生になる頃にはその差別が幼い私にも分かるほどより顕著になりました。兄妹喧嘩が起これば『相手は兄だから』『相手は妹だから』と毎回私が悪者にされ、一時間以上の正座はもちろんの事、殴る蹴るの暴力も振るわれ、冬には夜のベランダに部屋着のまま追い出され放置されたりもしました。
よく言いますよね、親の喧嘩を子に見せてはいけないと。我が家では日常茶飯事でした。両親は小学校教師で毎日帰って来るのが早くとも夜の八時以降。二人は夜遅くに喧嘩をし、私達子供はとばっちりを受けないよう息を潜めていたものです。
与えられるものは、冷凍食品やコンビニの弁当ばかり。時には消費期限切れの総菜を食べさせられたりもしました。
私の心はどんどん沈んでいきました。両親は外面は良く優秀な人間として評価されていたことも私にとっては耐えがたい事でした。それは今もそうです。
子どもの頃受けた虐待はまだまだ書き切れませんが話が続きませんのでこの辺で。そんな毒親の下で育った私。何とか高校を卒業し、親が指定した大学へ進学させられました。
大学時代は一人暮らしでした。一人で暮らすことの幸せを噛みしめました。親が居ないことがこんなにも幸せな事なのかと本気で感涙しました。
親が居ない事が幸せに感じる。こんなに悲しい事がこの世にあるでしょうか。
大学時代はとても幸せでした。祖父母の影響でジジババっ子になっていた私は人懐っこい性格で、また、家に居るのが辛く外をうろつくことが多かったせいか人見知りしない人間になっており、多くの人に囲まれ暮らしました。
私の人生の中で初めて心が休まる時間でした。
しかし、そんな幸せも束の間。
大学を卒業し、新社会人としての生活が始まったところで、更なる悲劇が訪れたのです。
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