第7話 貧弱令嬢の目標
それからは大変だった。
うっかり力を込めてカナリーの骨を折ったことじゃない。悲しいことによくあること。
一日に二回も呼びつけることになった医者には申し訳ないが、彼もハイハイと手慣れた手付きで手当を行った。
大変だったのは、カナリーとセルヴォの仲をカァニス家に認めて貰うこと。
元々婚約者候補として護衛になったセルヴォだが、一度逃げた彼は後継に相応しくないと落第の判子を押されていた。
それでも自ら戻って来たのは認められて護衛として収まっていたが、そこからカナリーの夫…つまりカァニス家の跡継ぎになることは残念ながら認められなかった。
それでもセルヴォは食い下がり、カナリーは泣き喚き、なんとか条件付きで婚約が認められた。一人娘に甘い当主だが、一人娘が愛しているからと言って一度逃げた男をそう簡単に認めるわけにはいかなかった。
セルヴォは現在、カァニス家にカナリーの伴侶として認められるため、護衛を辞して軍に入隊している。
「お嬢様」
「セルヴォ!」
護衛でなくなり、傍にいなくなったセルヴォに寂しい思いをしたカナリーだが、彼は頻繁にカナリーの様子を見に本家へ訪れた。一応婚約者としては認められているので、訓練の合間を縫って会いに来てくれている。
忙しいとわかっているが、会いに来てくれるのが嬉しくてカナリーは毎回飛び上がって喜んでしまう。その様子は飼い主を見つけた飼い犬のようだと、オウラには艶やかに笑われてしまった。「流石忠犬のカァニス家」といわれたが、セルヴォは飼い主ではない。元ではあるが、カナリーの方が主である。
そう思ってはいるのだが、時間を調整して来訪したセルヴォの姿に、カナリーは飛び上がって喜んだ。オウラが見ていたら「ほら、忠犬ね」などといわれてしまうだろう。
(でも気にしない! セルヴォに会えて嬉しいから!)
しかし喜び勇んで抱きついたカナリーは衝撃を受けた。
「き、筋肉が…筋肉が増えている…!」
今までも逞しかったのに、逞しさが上がっている…!
「今まで以上に鍛えていますから…」
「わたくしは一向に増えないのに、セルヴォばかりずるい…!」
「そんなことありませんよ」
飛びついてきたカナリーを優しく、衝撃を相殺するようにくるりと回りながら受け止めた彼はカナリーを包むように優しく抱きしめた。
「お嬢様だって、少しずつでわかりづらいかもしれませんが、以前よりしっかりしています。あの医者の賜物と思うのは癪ですが、医者に従って続けてください」
「セルヴォったら、先生相手だと辛辣ね」
「名医でなければ送り返していたのですが…」
軍に入隊したセルヴォは、強さだけではなく統率力も求められた。カナリーと結婚の条件には、軍部での昇進が求められている。成り上がるには、武力だけでは足りない。
マインテンの件で懲りたのか、強いだけでは駄目だとビシバシ扱かれていた。
ある程度の強さは必要だが、知性も必要だと改めて感じたらしい。まるでマインテンに知性がないと言っているような物だが、そうと言われても仕方がない事件が起きた。
都を飛び出し失踪していたマインテンとシンミア。
他国まで飛び出したマインテンから、カナリーに慰謝料として医者が送られてきたのだ。
洒落をかましている場合か。
彼は彼なりにカナリーに対する態度が誠実ではなかったと感じていたのか、カナリーのその後を心配していたらしい。どうすれば詫びになるかを考えて、彼女に必要な物は何かを考えて、それは健康だと判断した。
まずは身体を鍛えるべきと考えたが、カナリーの脆さは鍛錬で丈夫にできる類いではない。ならばトングー国より医学の秀でている国から医者を送ればいい。
などと考えたらしい。
送られてきた医者が携えていた手紙には、医者を送った経緯と謝罪の言葉があったので、厚意ではあるのだろう。余計なお世話の上に前触れがなく、大騒ぎになったが。
他国の名医の訪れに大混乱だったが、医者に罪はない。
今ではカナリーの主治医として腕を振るってくれている。トングー国とは違う観点から、カナリーの脆い身体と付き合ってくれていた。
骨密度がどうとか言いながら食事、運動メニューを検討してくれて、大分頑丈になった気がする。オウラに聞いた内容と似ていたが、やはり専門家の指導は違った。
経緯はどうあれ、カナリーはかの医者が来てくれてとても助かった。
しかしセルヴォは、送られてきた医者が若い男なのが気に入らないらしい。
よりにもよって護衛として傍にいられないときに…と顔をしかめたセルヴォ。
離れて知った彼からの独占欲に、思わず照れてしまう。
カナリーを抱き留めていたセルヴォがカナリーを抱き上げて、先程までカナリーが座っていた椅子に腰掛けた。膝の上にカナリーを座らせて、支える様に手を添える。
婚約してからの距離感に、カナリーは頬を染めて身を寄せた。
とても恥ずかしいが、今までずっと傍にいたのでこの護衛がいない日々がとても寂しかったのだ。だから意外と嫉妬深い彼の独占欲も求められていると実感できて嬉しい。
セルヴォはカナリーの美しい金髪に指を絡ませながら深いため息をついた。
「お嬢様と結婚するための試練とはいえ、護衛として傍にいられないのがこれほどの苦行だったとは…」
「大袈裟ね」
「いいえ。いつかのように、俺が居ない間に怪我をさせられていないか心配で仕方がなかったです」
「あれはもう、ちゃんと自重するって約束したもん…」
本当だ。対処できない正義感で動いて怪我をしてから、カナリーはちゃんと自重している。
ちなみにあの日、お騒がせだった二人組。実は四人組だったらしい。
でもって押し売りかと思えば、どうやら商人でも何でもなかった。
彼らは二人が門番を誘導し、もう二人がカァニス家にどこまで入り込めるか挑戦する。そんなはた迷惑な度胸試しを行っていた。
その途中を下女に見咎められ、追い返されそうになるも戦利品を持ち帰るように下女を口説いていた。全然入り込めなかったけど可愛い女の子連れ帰ってきたぜ~と仲間に自慢したかったらしい。
ちょっと意味が分からない。
武の家カァニス家が舐められていると判断した当主は、それはきついお仕置きを四人に味わわせた。
具体的にいえば軍のしごきに突っ込んだ。
基礎体力のない人間をきつい訓練に参加させればどうなるか。カナリーは知っている。
死だ。
死ぬ目に遭う。
しかも下っ端の下っ端として扱われるので雑務が多い。全体が監視役なので逃げられない放り出せない怠けられない。虐待に近い訓練に耐えられるはずもなく、毎日泣き叫んでいるらしい。
見せしめだって言っていたから暫くそのままらしいけれど、命に別状はないっていうセルヴォの言葉を信じることにしている。
そう、信じている。
セルヴォは私に待っていてくださいって言ったから、カナリーはセルヴォを信じて待つ。
(私は私のできること。この身体を少しでも丈夫にできるように、こつこつと頑張らなきゃ。腐らないで、嘆かないで。挫けそうになるけれど、直向きに取り組むの)
脆い身体は相変わらずで、気をつけなくちゃいけないことは多い。それでも以前より不安や恐れ、焦りはない。
それは主治医が名医だからではない。
そんなカナリーを優しく抱きしめてくれるセルヴォがいるから、挫けずに頑張れる。
「先生の指示に従って、頑丈になれるよう頑張るわ!」
「…やっぱりほどほどでお願いします。あの医者が関わっていると思えば癪に障るので」
「セルヴォってば!」
カナリーはうふふと忍び笑いを零しながら、大好きな彼に擦り寄った。セルヴォはしっかり支える様に手を添えて、柔らかく受け止めてくれる。
それは触れるか触れないかの距離感と違い、カナリーを包んでくれる柔らかさ。
しっかり回された腕が嬉しくて、身を寄せたカナリーはセルヴォの胸元でこっそり呟いた。
「頑丈になったら、私をぎゅっと抱きしめてね」
力加減は男の配慮といわれたが、力の限り抱きしめたい愛しさをカナリーは知ってしまった。できればセルヴォにも、そう思って欲しい。
セルヴォのぎゅっに耐えられるくらいまで頑丈になることを目標に、カナリーはこつこつ頑張ると決めた。
えへへと頬を緩めて笑うカナリー。
愛しい彼女を抱きしめながら、セルヴォは。
(…軍の訓練より、鍛えられる…)
まだ駄目だ。
まだ色々認められていないし、まだ駄目だ。
こないだ骨を折ったばかりなので、絶対駄目だ。
ぎゅむっと抱きしめないように、全身に力を込めて煩悩を制御していた。
彼らがぎゅっと抱き合えるようになるまでは、まだまだ時間が必要である。
ぎゅっと抱きしめて! こう @kaerunokou
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