第6話 貧弱令嬢は愛されたい


 一週間に一度は顔を合わせる医者は老齢だ。


 カァニス家は武の家なので、カナリー以外にも怪我人が多い。カァニス家の一角を診療所として利用している医者は、今回もハイハイとやって来てハイハイと処方してハイハイと去って行った。手慣れている。

 処方中ずっとえぐえぐと泣いていたカナリーは、泣き顔のまま寝台の上で正座していた。目前には仁王立ちしたセルヴォがいる。


「お待ち下さいといいましたよね」

「ううううう…」


 言いつけを守らなかったカナリーを叱るセルヴォの目は厳しい。

 普段は優しい護衛だが、カナリーがうっかり危険に飛び込めば叱りもする。護衛対象から離れたのはセルヴォだが、言いつけを守らなかったのはカナリーだ。

 その場を移動して、明らかなトラブルに飛び込んだのはカナリーだ。


 セルヴォは眦をつり上げて、えぐえぐと泣いているカナリーに心を鬼にして説教していた。護衛対象から離れた自分も悪いが、カナリーには守られる側の自覚を持って貰わなければならない。


「お嬢様がか弱いのを我々は理解していますが、カァニス家以外の人間は把握していません。お嬢様がどれだけ気をつけても、今回のように不用意に触れられれば怪我に繋がります」

「…」

「お嬢様に触れる輩は俺が遠ざけます。ですから俺が近くにいないとき、好奇心で動き回らないようにしてください。お嬢様はお嬢様が思っている以上に人目を引くし、そんなお嬢様に近付こうとする不埒な輩は多いんです」

「…」

「世の中にはお行儀のいい奴ばかりじゃない。お嬢様は、自分の脆さをもっと理解して…」

「わかってるわよぉ~!!」


 えぐえぐ泣いていたカナリーは、セルヴォのお説教に声を上げて反論した。

 若葉色の目が潤み、溶けてしまいそうなほど涙が溢れる。


「わかってるわよ! わかってるのぉー! わたくし、わたくしとっても貧弱で脆くて鶏ガラだってわかってるんだからぁー!」

「鶏ガラとは言っていません落ち着いてください」

「うわああああああんっ!」


 子供のように泣き叫ぶ。セルヴォが隣に座り、引きつる背中を柔らかく撫でた。

 壊れ物を扱う手付き。それが余計に涙を誘う。


「どうせ私は脆いわよぉ! ちょっと引っ張るだけで脱臼しちゃうくらいだもん! 武家の、武家の娘なのに、全然頑丈じゃない…っ」

「お嬢様?」


『武家の直系が女人のみとは』

『せめて身体が丈夫であれば』

『あれで跡継ぎは産めるのか?』


 悪い言葉は、不思議とよく届く。

 親族の集まりで、国の集まりで人が集うたび、カナリーは心無い言葉に責められた。

 大きくなれば。運動すれば。たくさん食べれば。いつか丈夫になれるだろうと頑張った。


 でも成長しても身体は脆いまま。


 運動すれば怪我が増える。

 たくさん食べようにも、カナリーの胃は平均女性の量しか対処できない。

 ちまちま頑張ったが成果は見られず。子を安全に産めるのか疑問視される中でカナリーの夫が跡継ぎになると宣言され、選ばれた婚約者となんとか家を盛り上げていこうと思っていたのに。


『大変申し訳ないが、俺は俺が抱きしめても無事で居られる女性と婚姻したい』


 実直な男にすら、相手にされない脆さ。

 貧弱なカナリーは、貧弱だから相手に逃げられた。


 マインテンは武人らしい男だった。武を突き詰めて去ってしまったが、カァニス家には必要な男だった。その後の対処が無責任すぎてマインテンに非難が集中しているが、それでも彼をつなぎ止められなかったのはカナリーの落ち度だ。


 昔から。

 昔からそうだ。


 痛む身体。青ざめた顔。響く泣き声。

 去って行く足音。傍にいるのが怖いと訴える目。添えられるだけの接触。

 周囲にたくさん人が居るのに、カナリーの周りだけにある空間。


 そこに踏み込んでくれたのは、優しいから。


「ふええええ頑丈になりたいよぉおおおっ」

「ああもう、泣かないで。また肋骨をやりますよ」

「気にしないでよぉっ優しくしないでよぉっ…どうせセルヴォだって、セルヴォだって、わたくしみたいに脆い女はお断りなんでしょう…!」


 慰めるように触れる手。優しく柔らかく背中を撫でる手。気遣いに溢れた手だ。


 でも武人の男は、強い女が好きなのだ。

 武人の男は、触れたら折れるようなか弱い女は相手にしないのだ。

 武人の男…セルヴォだって。

 ちょっと引っ張られただけで脱臼するような脆い女を、相手にするわけがない。


 それがとても切なくて悲しい。自分の脆さが恥ずかしい。


「――ああ、もう!」


 子供のように泣き喚くカナリーの横で、取り繕うのをやめた声音でセルヴォが呻いた。


「あなたはそのままで良いです! 俺が加減するから、あなたは痛かったらすぐ言ってください!」

「えっ」


 背中に触れていた手に力が込められる。

 ふわりと持ち上げられた身体。ゆっくり丁寧に、カナリーの身体がセルヴォの膝に乗せられた。

 涙に濡れたカナリーの頬が、セルヴォの胸に当たる。逞しい腕が、優しくカナリーに絡みついた。


 明確な意思を持った接触。肌に感じる温もり。優しく、包むような抱擁。

 包み込むような。

 突然の抱擁に、カナリーの涙が止まった。


「…男の人は、力一杯抱きしめたいんじゃ…」

「…女は総じて、か弱いものです。男が本気出したら潰れてしまいます」


 そんなまさか。だってとても逞しい女性を見た。


「シンミア様…」

「…あれでも女性なので、ニーランド殿が手加減しなければ苦しいかと」


 あれだけ逞しくても?


 カナリーが見たシンミアは健康的で逞しく、生命力の溢れた女性だった。そんな彼女でも男の全力は痛いというのか。彼女でも痛いなら、カナリーは死んでしまう。

 はわわと慄くカナリーの背を、大きな手が優しく撫でる。


「壊したくないし、傷つけたくないから、男は女のために加減するものです。それができない奴は独り善がりで自分勝手な猛獣です」

「わ、わたくしのために遠慮は」

「遠慮じゃなくて、配慮」

「はいりょ…」

「好きな女に痛い思いをさせたくない、男の配慮ですよ」

「…!!!!」


 危ない。心臓が止まるかと思った。

 かと思えば今までにないくらいの力強さで心臓が脈打っている。

 本当に? 本当に?

 聞き間違いではない? 彼は今なんと言った?


「せ、セルヴォ…あなた、あなたいま…」


 どうしてももう一度聞きたくて、震えた声で聞き返す。全身が心臓になったみたいで、自分の声もよく聞こえない。


「…好きですよ。さみしがり屋で子供みたいに泣き喚く、純真で努力家なお嬢様が」

「…!」


 少しかすれた声で囁かれ、カナリーは精一杯の力を込めてセルヴォを抱き返した。

 小鳥ほどの力しかないと言われても、それでも全力で。


 そうしないと心臓が飛び出してしまいそうだった。


 痛みを与えない抱擁を配慮というなら、溢れた想いを伝えるための、余裕なんかない衝動的なこの抱擁を、なんと言ったら良いのだろう。

 力一杯抱きしめても収まりきらない、抱擁では足りない、この想いは。

 抑えきれなくて、こぼれるように告げた。


「セルヴォ、だいすき…!」

「…っ」


 ぽきっ


「「あっ」」


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