第5話 貧弱令嬢は正義感が強い


 塀に沿って進んでいくと、使用人達専用の裏口が見えてきた。


 行動範囲が狭いカナリーは普段はここまで入り込まないのだけれど、思ったより距離を歩いていたらしい。ちょっと嬉しい。だけど目の前の光景は嬉しくない。

 裏口にいるのは白猫の救世主である下女と、二人の若い男。

 多分、商人と思われる。彼らの傍には荷台があり、その上に果物の入った木箱が乗せられている。

 基本的に食べ物は審査が厳しい。決まった商人から購入した品でもしっかり検品される。取り扱いが難しいので、このように直接持ち込む商人と契約はしていないはずだ。ということは押し売りだろうか。


(おかしいわね、裏口に門番がいないわ)


 使用人専用の裏口にも門番はいたはずだけど、その存在が見当たらない。下女が必死になって通せんぼしている。


「とにかく、困ります。購入については担当の者がおりますので、そちらを通して頂かないと…」

「それじゃ時間がかかってせっかくの果物が悪くなっちまうよ」

「そうそう、珍しい異国からの輸入品だ。今を逃せば手に入らない。此処で断ったらアンタが上の人に怒られちまうって」

「いいえ、本当にそんな権限はなく…」

「なら君が取り次いでよ。俺たちも仕事だし、アンタに説明するからこっち来て」

「美味しくて珍しい果物でしたって宣伝してくれたら助かるからさぁ。ちょっとこっちでお話ししようぜ」

「困ります、困ります。本当に困ります…」


 通せんぼしているけれど…あれは完全に絡まれている。

 下女とはいえ本家に勤めている子だから、身元のしっかりしているお嬢さんだ。身なりも綺麗に整えているから、男性が声を掛ける気持ちもわかる。


(わかるけど、泣きそうな女の子を追い詰めるようなことはしちゃ駄目よ)


 カナリーはカァニス家らしい正義感と放っておけないお人好しを発揮して、更に一歩踏み出した。

 貴方たち何を騒いでいるの、と颯爽と仲裁しようとして…。


「あな、あなたたち、はぁ、なにをっしゃわいでいりゅの…っ」

「お嬢様!?」

「えっ瀕死!?」

「死にかけの子が出てきた!?」


 ただでさえ疲れて休んでいたところだったのに、頑張って歩いた所為で呼吸が荒くなっていた。

 ぜいぜいと呼吸を乱しながらふらふら歩いてなんとか彼らの前まで辿り着く。下女は平伏すべきか支えるべきか悩んで中腰だ。男達は身分が高そうな少女が息も絶え絶えになりながら現れて驚愕している。


(ヤダ失敗しちゃったわ。とにかく呼吸を整えて…ひぃふぅひぃふぅ…)


 カナリーは深呼吸を繰り返し、キリッと顔を上げた。顔を上げて男達と視線を合わせると、男達がぐっと揺らいだ。

 汗だくだし多少よれっとしているが、カナリーは誰もが認める美少女だった。


 か弱い小鳥のような令嬢が必死に呼吸を整える様は庇護欲を誘い、ある者にはもっと乱れさせたいと邪念を抱かせる。

残念ながら男達は後者だった。


 なんだかんだ箱入り娘として礼節ある異性としか交流のなかったカナリーは、そんな邪念に気付くことなく精一杯怖い顔をして男達を見上げる。


「カァニス家では食品の押し売りはお断りしております。正式な手順を踏んでください。それと、白猫の救世主を困らせないで」

「お、お嬢様…!?」


 まさか本家のお姫さまにそのような認識をされていたと知らなかった下女は仰天し、平伏すべきか男達から遠ざけるべきかとオロオロした。彼女もまたカナリーの脆さを知っていたので、間に割って入って転ばせたらと思うと動けない。

 お嬢様、転んだら衝撃で内臓爆発するのではと使用人達は接触を恐れている。


 本家のお姫さまは、信じられないくらい脆い。


 しかしそんなことを知らない男達は、強がって威嚇している美少女に夢中だった。二人は顔を見合わせて、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる。


「えー、だけどこっちも仕事だからなぁ」

「そっちのお嬢さんに話を通して貰わないと困るんだよ。勿論アンタでもいいけど」


 下女は思った。この男達はカァニス家を何も知らない愚か者だと。


 舐めた態度を貫き通す愚鈍さに戸惑っていたが、本物の怖い物知らず。カァニス家を舐めてかかって大火傷をする典型的な小悪党。その小悪党が今、カァニス家の逆鱗に不用意に触れようとしている。


 その逆鱗、触れれば折れるぞ。

 骨とこっちの心が。


「お待ちくださ、」

「ほらこっちこっち」


 下女が止めに入るより早く、男がカナリーの手を取る。

 本来、異性の身体にみだりに触れるのはマナー違反。特に高貴な身分のもの達は接触と気をつけていた。その思考が染みついていたのでカナリーは突然手を取られて驚いた。


 驚いて、身体に力を入れて踏ん張るように硬直し。

 男は引き寄せるように引っ張り。

 その結果。


 ぱきょ。


 高い音をたてて、カナリーの手首が外れた。

 ぷらりと、力を失った手首から指先。


 間。


 衝撃の光景に、理解するまで誰もが無言になる中。

 カナリーの手首に激痛が走った。


「いた、いたい、いたたたたたっ」

「ええええええ!?」

「お前何やってんだよ!」

「イヤ軽く引っ張っただけ…うわあああ取れる!」

「とれませんとれま、外れているだけでとれませ、いたたたたたっ」

「きゃああああああお嬢様のお手がぁあああ!」


 阿鼻叫喚。


 なんでどうしてこうなった。いやわかっている。カナリーが想定外に脆かったからだ。

 普通ならなんともない力加減で、脱臼する方がおかしい。


(わたくしが、貧弱だから)


 見るからにおかしな形に曲がっている手を押え、カナリーはふらりとその場に座り込む。悲鳴を上げた下女が駆け寄り支えてくれたのでひっくり返ることはなかったが、お互い顔色は蒼白だった。

 男達はそんな女達を置き去りに、大慌てで荷台を押して逃げようとして、


「――――何事だ」


 ずんっと圧のある声に固まった。

 逃げようとしていた男達は不自然に固まり、カナリーを支えていた下女も更に青ざめる。

 ゆっくり振り返れば、いつの間にか近くに来ていたセルヴォが立っていた。その背後には水と果物の乗った盆を持つ侍女もいる。青ざめた顔で、カナリーの手首に注目していた。

 勿論セルヴォも強い視線をカナリーに向けている。


 脆い、脆いカナリーを見ている。

 手を引っ張られただけで脱臼するような脆い女を。

 彼が見ている。


 紺碧の目と視線が絡んだカナリーは…ぼろ、と大粒の涙をこぼした。


 脱臼した手首が痛かったからではない。

 無表情のセルヴォが怖かったわけじゃない。

 貧弱な自分が、泣きたくなるくらい恥ずかしかった。


 ――その瞬間、セルヴォが動いた。


 あっという間に男二人に接近したセルヴォは、二人が弁明しようと口を開く間も与えなかった。

 二人の頭部を鷲掴み、勢いよく互いの頭部を打ちつける。

 カナリーの手から響いた音とは比べものにならないほどの衝撃音が響き、二人は泡を吹いて倒れた。


 一撃昏倒。容赦なし。


「捕らえろ」

「はっ!」


 倒れた輩を一瞥もせず、いつの間にか集まっていた警備の者に短く命じる。バタバタと動く彼らから離れ、セルヴォはカナリーの前に膝を着いた。

 そのままカナリーの手を取り、触診し、こきゅっと骨を元の位置に戻す。

 護衛対象が脆すぎるため、整復の勉強をしたセルヴォには手慣れた作業だった。


「ぴえーっ!」


 手慣れた作業だが、骨を動かすのはとても痛い。カナリーは情けない悲鳴を上げた。


「お嬢様の部屋に医者を」

「は、はいっ!」


 位置を直せても、医者には診せるべきだ。医者を呼ぶよう指示したセルヴォはカナリーを抱えて彼女の自室へと移動した。


 泣き喚くカナリーを抱える彼の手は、いつもより少し、痛かった。


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