第3話 貧弱令嬢は助言を求める


 身体を鍛えてもりもりになると決めたカナリーだが、家人達が行っている訓練に参加できないことぐらい理解していた。


 カナリーはカァニス家のお姫さま。しずしず歩くことはしても走ったことはない。直系がカナリーのみなため、カァニス家は我が家のお姫様を厳重に守っていた。

 それでもカナリーは脆く、怪我は絶えない。

 走れば捻挫。転べば骨折。誰かとぶつかり粉砕骨折などと恐れられ、適度な運動…準備体操や身体を解す体操しか許されていない。


 とても失礼。誰かとぶつかったくらいで粉砕骨折はしない。精々脱臼くらいだ。


 そんな状態で筋肉が付くはずもなく、カナリーはどうしたらいいのかとても悩んでいた。家人達は今のままで良いと言うが、抱きしめられないなんて理由で婚約を解消された身としてはなんとかせねばと焦るのだ。


「だから教えてオウラ! わたくしどうしたら鍛えられるかしら!」

「アナタには無理よ」

「ぴえん!」


 友人から歯に着せぬ一刀両断を貰い、カナリーは胸を押えて丸い卓に頽れた。

 カナリーの友人、オウラはへなへな萎れる彼女を気にせず花茶の香りを楽しんでいた。香りからして茉莉花茶のようだ。


「あなたの知識ならわたくしが筋肉もりもりになる方法もあると思ったのに…」

「ごめんなさいね。【知識の番人】も万能ではないの」


 彼女はオウラ・カナヴァン。皇帝を支えるカナヴァン家のお姫さま。

 カァニス家が武の家であるように、カナヴァン家は知の家として皇帝を支える歴史ある家だ。書の保管を任されており、カナヴァン家には今では廃れた木簡ですら保管されている。それら全ての知識を持つ者たち、という意味でカナヴァン家は【知識の番人】と呼ばれていた。


 因みに武の家カァニス家は【暴れ馬】【ゴリラの巣窟】【忠犬猟犬狂犬】などと散々な呼び方ばかりなので、とても羨ましい。これだけで歴代のカァニス家当主達がどれ程暴れていたかわかる。


 武の家カァニス家と知の家カナヴァン家では方向性は違うが、双方共に国のため尽力することに変わりはない。男達は政でぶつかり合うが、それを家庭に持ち込んだりはしなかった。よって、方向性の違う家に生まれていながらもカナリーとオウラは同世代ということで良好な関係を築いている。

 だから今回のように、カナリーがオウラを尋ねてカナヴァン家で茶を共にすることは珍しくない。紙と墨の香りがひっそり染みついた邸で、緩やかに過ぎる時を楽しむことは珍しくなかった。

 女人同士の会話を覗くのは無粋ということで、互いの護衛は部屋の外に待機している。それが許されるのも彼女たちが長い付き合いで、信頼し合っている証だ。


 カナリーはこっそりと、卓に突っ伏したまま花茶を楽しむオウラを見上げた。

 華奢だが上背のある肢体に薄紫の華服を纏い、すらりと伸びた指先が妖艶に茶器の縁を撫でている。瑠璃色鳥を模した簪で藤色の髪を緩く纏め上げ、細い首に垂れる後れ毛が色香を放っていた。

 少し垂れた夕焼け色の目元には小さな泣き黒子が一つ。しっとりとした空気を纏う彼女は、華奢だがしなやかで壊れそうな印象は抱かない。

 むしろ夕焼けの先、夜の帳で掻き抱きたくなるような妖しさを纏っている。


 いいなぁ。


 カナリーはぺしょりと卓に突っ伏した。そんな彼女の旋毛をすらりと伸びた指先がつつく。


「アナタがそんなことを言い出したのは、元婚約者の所業からかしら」

「…やっぱりオウラには話が届いているわよね…」

「一番に届いたでしょうけど、今では知らない人の方が少ないわよ」

「もうそんなに流れてしまっているの!?」

「それだけ突飛なお話だったのよ。アナタの元婚約者の行動は」


 カナリーは婚約解消を告げられてすぐ卒倒してしまったので後から知ったが、マインテンとシンミアは十分な手続きをする前に二人揃って出奔してしまったらしい。

 カナリーに婚約解消を伝えた足で、二人揃って都を出奔し行方知らずになっている。つまりカナリーが見た二人の背中が、都で最後の目撃情報だ。


 カナリーとマインテンの婚約は、カァニス家にとって跡継ぎを決める大切な婚約だった。

 だというのに十分な説明もなく、手続きもなく、説得もなく馬に飛び乗り都を飛び出したマインテン。その無責任さと突飛な行動に周囲は驚き、怒りを爆発させた。


 特に怒ったのは、勿論というか当たり前というか、我がカァニス家。武人として目を掛け跡継ぎに指定したというのにこの所業。しかもカナリーという婚約者がいながら別の女性と出奔する裏切り行為。

 もっとこう、あっただろう。筋を通すとか謝罪するとか誠心誠意対応することがたくさんあっただろう。


 それら全てを放り投げての出奔。世間の目は冷たい。


 ニーランド家は全面的に非を認め、カァニス家に謝意を込めて膨大な慰謝料を支払った。今後の付き合いはともかく、家同士のやりとりは、既に決着が着いている。


「ということは…筋肉がなさ過ぎて捨てられた令嬢だと周囲に知られて…!」

「理由は知れ渡っていないけれど…周囲はアナタに対して同情的よ。頭まで筋肉でできた男に付き合わされた憐れな令嬢って」

「やはり憐れまれている…!」


 婚約白紙ならともかく解消。それも相手に問題があってのことなので、カナリー自身に責任はない。巻き込まれた憐れなカァニス家の姫として見られるがそれだけだ。次の婚約に支障はないだろう、とカナヴァン家の令嬢としてオウラは判断している。

 しかし当人はしおしおと、思った以上にくじけていた。


「それにしても…なぁに? 筋肉がないから捨てられるって。あの男はアナタになんて言ったの」

「わたくしのことは抱きしめられないって…」

「あら、失礼な男」

「折っちゃうから…」

「あら、正直な男」

「オウラぁ」

「そう言われて筋肉をつけようなんて、アタナも素直な子ね」


 べそべそ涙するカナリーの頭を優しく撫でる。


「それにしても、別れた男の好みになろうなんて。アナタ、ニーランド様のことお慕いしていたの?」

「…そういうわけじゃないけれど…」


 婚約者に好かれようと、努力してきたつもりだった。


 食の好みや趣味を探って、なるべく会話が続くよう苦心した。鍛錬にはどうしたって付き合えないから、せめて汗を拭う手ぬぐいくらいはと量産した。受け取った彼は照れながらお礼を言ってくれて、少しずつでも距離を縮めることが出来たと思っていたのに。


 カナリーの努力は見当違いで、彼は逞しい女性が好きだった。


 マインテンのことは慕っていた。それは将来の伴侶として、そう努力したからだ。

 それなのに、選ばれたのはカナリーではなく生命力溢れる健康的なシンミア。

 武人の相手は、生命力溢れる逞しい女性でなければ務まらないのだと打ちのめされた。


 それなら武の家の嫡子であるカナリーは。か弱く脆い身体のカナリーは。

 武人の婿を取らねばならぬのに、武人の妻にまったく向かないということになってしまう。


『カァニス家の嫡子が女だけとは』

『せめて健康であれば』


 大人達の囁きを思い出し、カナリーはぐっと嗚咽を飲み込んだ。


 素直に感情表現をする友人を眩しそうに眺めながら、オウラはカナリーの細い金髪を指に絡ませた。くるくる指に巻き付けて、軽く引っ張るだけで解ける艶のある髪は美女の条件の美髪に違いない。

 だがカァニス家では、見てくれだけでは認められないのだ。


「とにかく、もりもりは諦めなさい。今まで通り骨折予防の適度な運動、適切な食事、十分な睡眠を取っていれば健康でいられるわ。具体的にはタンパク質、カルシウム、ビタミンDとK。肉や魚、野菜、乳製品、大豆製品をバランス良く摂取して日中に散歩していれば少しずつ丈夫になるはずよ。そうそう、転ばないように段差を意識して、固有感覚を鍛えるために敢えて段差のある所を上り下りするのも効果的よ。骨には硬さだけじゃなくて弾力も必要だから、飛び跳ねて重力運動も忘れないで」

「でもでも、もりもりにならないと…殿方は怯えてしまうの」

「もりもりの方が殿方は怯えるわよ」

「筋肉があってもなくても怯えられるの…!?」


 ならば一体どうすれば。


 艶然と微笑む友人は、カナリーの頬を伝う大粒の涙を優しく拭う。


「諦めて、アナタの脆さ加減を熟知している殿方を迎えなさい」

「熟知していた殿方が、折るのが怖いと婚約を解消してきたのですが…」

「馬鹿ね。筋肉に目がないゴリラじゃなくて、小鳥を愛でる情緒のある男を選べって言っているのよ」

「誰それ…」

「もう、お馬鹿」


 ふくれっ面になるカナリーの頬を包み、ぷしゅっと空気を抜きながら友人は微笑む。


「いつだってアナタの宿り木になってくれている男がいるでしょ」


 意味深に流された視線の先は、部屋の扉。

 その向こうに立つ男の背中を思い出し、カナリーはまた眉を下げた。


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