第2話 貧弱令嬢は泣き喚く
カァニス家はトングー国で長く続く伝統ある武家だ。皇帝を支える貴族達の中で、将軍職を任されている。
しかし今代のカァニス家直系には、残念ながら女児しか生まれなかった。それがカナリーだ。
女児は家を継ぐことはできない。よって跡継ぎはカナリーの婿がなる。
カァニス家は武家として、軍部の若手で一番強い男…マインテン・ニーランドを婚約者に据えたのだが。
「うわぁあああああああああん! うわぁああああ――――ん!」
カナリーはこの世の終わりとばかりに盛大に泣き喚いた。べそべそと子供のように泣き喚いた。
「酷いわ酷いわ! わたくしだってわたくしだって、健康のため頑張っていましたのに!」
「そうですね、頑張っていますねお嬢様」
白い猫の人形を抱え、寝台に突っ伏してわんわん嘆くカナリーの背中を、護衛の青年が優しく撫でる。
武家に生まれたカナリーだが、彼女は生まれつき身体が弱かった。
病弱ではなく、貧弱な方で。
「鶏ガラだから! わたくしが鶏ガラだからいけないのね!」
「いいえ、お嬢様は確かに痩せ型ですが平均体系です」
「平均だからいけないの? 余分な筋肉がないからいけなかったの!?」
「余分な脂肪じゃないんですから。過剰な筋肉は身につけなくて結構です」
「でも身体を鍛えていなかったわたくしが悪いのでしょう!? 確かに虚弱を言い訳に無理はしなかったもの。付くものも付かないわ。これからは平均的な健康じゃなくて筋肉もりもりを目指すわ…!」
「考え直してください。筋肉もりもりなお嬢様は見たくありません。あと普通に無理です。貧弱なんですから」
女性らしく楚々と座っていてください、と言われてカナリーは顔を上げた。涙に濡れた兎のように真っ赤な目を吊り上げる。
「女性でもシンミア様のように鍛え上げられるのよ!」
「持って生まれた体格が違います」
「そんな…わたくしは生まれついた鶏ガラということ!?」
「鶏ガラから離れましょう」
呆れたように宥める男がカナリーの背を優しく撫でる。ぐすっと鼻を啜りながら、カナリーは己の護衛を見上げた。
流れるような銀の髪は高く結われ、いつも鋭い紺碧の目は優しく緩んでいる。青藍の武官用の漢服に身を包んだ青年は、柔らかくカナリーに触れていた。
とっても柔らかい。豆腐に触れる手付き。
カナリーは膨れた。
「セルヴォもわたくしが壊れてしまうと思っているのね…っ」
「え、なんですかどうしたんですか」
「だって触れ方が豆腐を運ぶ様に慎重で柔らかだわ! そんな慎重にしなくても、わたくしだってすぐ骨を折ったりしません!」
「いえ、折れるじゃないですか。お父上との抱擁で全身骨折したと有名ですよ」
「いいえ骨折していないわ! ちょっとヒビが入っただけよ!」
「やらかしているんですよねぇ…」
昔の話だ。
遠征で家に帰っていなかった父が帰還し、喜び勇んで出迎えた幼少期。
我が家のお姫さまからの出迎えに高揚した父親が娘を抱き上げ…うっかり全身の骨にヒビを入れたお話しは。
当時痛みに泣き叫んだが、今思えば一緒になって泣き叫んだ父親の勢いが怖かった。自分はここで死ぬのかと絶望すらした。
幼かったので自己治癒能力でなんとかなったが、以来誰もがカナリーに触れる時、とても柔らかで優しくなった。
カナリーだってわかっている。
触れるか触れないかの曖昧な力加減。マインテンはそれを苦手としていたこと。だから婚約を解消されてしまったのだ。
でもそれは、昔の話だ。
「今ならきっと平気よ! ほら!」
「え」
「ぎゅっと抱きしめて!」
「えっ」
カナリーは抱いていた人形を寝台に乗せてから、護衛に向かって両手を広げ、さあ! とばかりに身を乗り出した。勢いが良すぎて彼の胸に飛び込んでいった。
泣いているカナリーを慰めるため傍にいた護衛のセルヴォは、首に腕を回すように飛び込んできたカナリーの華奢で小さな身体に驚いたように固まった。
自ら飛び込む形になったカナリーは、相手の首にぶら下がるようにぎゅっと力を込める。しかし固まったセルヴォの腕は動かない。動いたら死ぬとばかりに動かない。
不満で頬が膨れた。
「うううう! 大丈夫だから! ぎゅっとして!」
「無理言わないでください。俺があなたを抱きしめるのは問題ですから」
「うううう! 折れない! 折れたりしないから!」
「無茶言わないでください。俺が何回あなたの骨を折っていると思うんですか」
護衛の彼は、カナリーの身に危険が迫れば即座に離脱させる使命がある。
しかしカナリーは貧弱なので、咄嗟に抱き上げたり引っ張ったりした時にポキッと折れる。脱臼だってする。飛んできた木刀を避けるために肩を抱き寄せた衝撃で、足を捻挫したこともある。
護衛として落第ものだが、護衛対象の貧弱さにくじけず傍にいてくれるのはもはやこの男しかいない。みんな罪悪感からの呵責の念に耐えられず護衛を辞めてしまう。
婚約者もそうだが、他人の骨を折って平常心でいられる方がおかしい。憎い相手ならともかく、小鳥のように儚い外見の娘なら特に。
「うううう…わたくしだって、わたくしだって殿方に力一杯抱きしめて貰いたいのにぃ…!」
みんな怯えて、自分にまったく触れてくれない。
痛いのはイヤだが、悪いのは脆すぎる自分の身体だ。骨折してもカナリーは護衛を責めたことはないが、そういう問題ではない。
だから、やはり自分が頑張って少しでもこの身体を頑丈にするしかない。
カナリーはぱっと護衛から離れて、涙目で睨み上げた。
「見ていなさい、今にお前を抱き上げられるくらい筋肉もりもりになってやるんだから…!」
「視界の暴力」
捨て台詞を吐き捨てて、カナリーは頬を膨らませたまま部屋を出た。
残された護衛のセルヴォは、結局動かせなかった手を見下ろし、深く息を吐く。
「…俺だって、できれば力一杯抱きしめてやりたいですよ…」
手の平を見下ろし、拳を握る。指が白くなるだけ握れば、これだけの動作に脆くか弱い少女は耐えられない。
もう一度深く息を吐いてから、セルヴォは護衛対象の背中を追いかけた。小さくて貧弱なお姫さまは、走れないのであっという間に追いつける。
「…そもそも鍛えるなら骨では?」
手足を動かす筋肉はしっかりあるのだから、まず骨を頑丈にすべきではと思ったが、カナリーの頭は筋肉で一杯だった。
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