第5話 レストラン 2
隣のテーブルでは、顔を真っ赤にした中年の男が、給仕アンドロイドに掴みかからん勢いで立ち上がった。男のテーブルの対面席に座っている女性客は恋人か妻だろうか、困惑した表情を浮かべている。
「始まりましたね。私の話を聞くよりも、これを見た方が良いですよ」と、売布宮が小声でささやく。
それまで賑やかだった店内は静まり返っていた。「一体なんの騒ぎだ」とか「最悪……」といったヒソヒソ声があちこちから聞こえてくる。
テーブルを担当していた給仕は男の剣幕に押されて奥へ引っ込み、すぐにマネージャーらしき老齢の人物が、件の男のテーブルまでやって来た。
「いかがされましたか。お客様」
「あんたが責任者か」
「はい、さようでございます」
「おい、なんだ、このパサパサのまずい合成鶏肉は。ここはファストフード店なのか」
「いえ、ファストフード店ではございません。一皿一皿、コックの手作りでご提供させていただいております」
「だったら、この値段で合成の鶏肉はないだろう。まずくて食えないぞ」
男はそういうものの、テーブルの上の料理を見ると、合成鶏もも肉のコンフィは、ほぼ完食状態だ。
「この値段なら、メインは牛肉だろう。なぜ鶏肉なんだ」
「お客様の使用されたクーポンのコース料理ですと、合成加工地鶏になります。あらかじめクーポンにも記載されております」
「こんな小さな文字に誰が気づくか。ふざけるのもいい加減にしろよ。料理の提供も遅いんだよ」
「誠に申し訳ありません。本日、少々混んでおりまして、料理の提供に通常よりも時間がかかってしまっております」
「そんなの言い訳になるか」
男の言い分は、始終めちゃくちゃで、聞くに堪えない主張だったが、ふと売布宮を見ると、彼は楽しそうに微笑んでいた。ああ、この笑顔は、十年前にも見たことがある。あまり思い出したくない出来事だった。
「もうやめてください」
男と一緒に来ていた女性客が、男を止めた。
「私、帰ります。さよなら」
「え、ちょっと待ってよ。なんで」
「なんでって、ケチだし、なんにでもすぐイチャモン付けるし」
「イチャモンって言われても、オレは、ただ当たり前のことを主張しているだけだぞ」
男は、女を引き留めようとしたが、女は財布から紙幣を抜き出してテーブルに置き、バッグを持ってそのまま店を出て行く。男は、為す術もなく、それを見ているだけだ。
彼はマネージャーに向き直り、「おい、デートをぶち壊してくれて、どうしてくれるんだよ。この店は客に恥をかかせるのか」とすごむ。
「お代は結構ですので、このままお帰りください。あなたはお客様ではございません。二度と来ないでください」
「当たり前だ。頼まれたって二度と来るか。クソまずい最低な店だって書き込んでやるからな」
そう言い残して、店のドアをわざと蹴って出て行った。まるで、昔の自分を見ているようで安藤は冷や汗の出る思いだった。
「さあ、安藤さん、我々も移動しましょう」と売布宮が提案する。彼はいつの間にかメインの魚料理を食べ終わっていた。騒ぎの中で食べきったようだ。
「実はですね、今日の私の仕事は、あの男の動向を見ることなんです。思った通りに動いてくれたので無駄足にならずに済みました。あの男、財満というのですが、なかなか見所がありますよ。多分、近くのカフェに移動しましたね」
「え、でも、デザートがまだ来てませんけど」
「キャンセルしましょう」
給仕を呼び、まだ来ていない料理をキャンセルする。手つかずの料理は包んでもらって、すべて安藤に持たせた。
会計時に、店のスタッフは、気分を害してしまい申し訳ないとひたすら謝ったが、売布宮は、あの手の輩には天罰が下るから大丈夫だと答えた。これからの長い罰を想像して、安藤は財満に同情の念を禁じ得ない。
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