4杯目 ボスからは逃げられない

 ぜぇ、ぜぇ……


 足が重い。棍棒が、重い。

 もう、止まってしまいたい。

 手を離してしまいたい。


 眼の前のゴブリンに棍棒を振り下ろす。

 頭を砕く感触もよくわからない……


「なんか、出せ」


 飲み込まれていく魔物、残されたのは銅貨、とトウガラシーの粉。


「はは、良い気付けになりそうだ」


 ぺろりと舐めるとガツンと辛い。

 ぼーっとしかけていた意識が起きて、そして、身体も熱くなる。

 舌が痛いが、この痛みが意識をよりはっきりさせる。


「まじ、助かった」


 折れかけていた心が蘇る。


「インディー亭のカレーを食うまでは、絶対に死なねぇ!」


 あのスパイスたっぷりのカレー、思い出すと、やる気が出てきた。

 ガツンとした辛味の奥に複雑な味わい、そして何と言っても香りだ香り。

 あの香りだけでもご飯が食える。

 ブターもいいけどニワトリーもいい、なんなら魚介類でもいい、なんでも良い。


 「腹減った……」


「ギャーーーーーーーーー」


 大型魔物の気配を感じながら、そちらへ近づかないように、慎重に道筋を立てている。


「ゴブリンはホント色んなもん落とすよな」


 子鬼族のゴブリンや鬼族のオーガなんかの人型魔物は落とすドロップアイテムの幅が非常に広い。

 さっきのような香辛料や塩、砂糖、油、武器や防具も落とすことがあるので、先程からソレに期待しているんだが、なぜかそっちの運はない。


 「唐辛子に山葵、辛子に塩、調味料が増えて嬉しいなー……一本だけ棍棒が出たけど」


 収納袋の中にはなぜか大量の香辛料と棍棒がしまわれている。

 収納袋は空間魔法が込められた魔道具で、手のひらサイズの袋に多くの荷物をしまうことが出来る。

 鉄板の換金魔道具で、容量によっては家が立つ。

 もちろん俺はそんな良いものは持っていない。

 運よく宝箱から出た低級のものを使っている。それでも買えば金貨5枚はする。

 3メートルー四方の空間にしまえるぐらいの物を収納できる。

 完全個人認証されるもので、持ち主か、特殊な継承でもしなければ中の物を取り出すことは出来ない。継承式は教会でしか行えないので、安全性は高い、他人から強引に奪ったりすると教会でばれるのでそういう手段は無駄だ。


「やばいな、時間の問題だぞ……」


 俺は手に持つ棍棒を確かめる。

 すでに持ち手から斜めに曲がっており、両手で扱わないとうまく使えないし、ずいぶんと簡単に曲がるようになってきた。持ち手より上を持つしか無くなってきているが、当然威力が出ない……扱いづらいし……それでも、ゴブリンの落とした棍棒よりはマシだ。

 これが壊れたら、本来調理用のナイフと薪割り用のナタ、だが、これもたぶん、魔物を一体倒せばなまくらになるレベルだ。


「ふんぬっ!!」


 とにかく慎重に隠れながらゴブリンを倒したらアイテムに期待して機を伺っている。

 今の大型の位置関係だと階段へ進めない。


 「本当に、厄介だよな……」


 大型魔物に一度タゲられてしまうと、その階層から出られなくなる。

 階段に見えない壁のような物が出来て、弾かれてしまうのだ。

 だから、俺のミッションは、大型に見られること無く、上か下の階段広間の敵を突破して階段を使って別の階層に行く、ということになる。


「おお! ありがたいっ!!」


 倒したスライムが水を落とした。

 水筒に入れて開放する。

 ゴクリと飲み干すと程よい冷たさで乾いた喉を潤してくれる。

 随分前に水は飲みきっていたので、救いの水だ。


「スライム液が続いてたからな」


 スライムのドロップのスライム液は初心者御用達の換金アイテムだ。

 ポーションを始めとした様々な溶液の基材、防水剤、接着剤、コーティング剤、変わったところで貴族様の化粧品の原料にも用いられる。

 最上級のスライムが落とすスライム液は国に献上されるレベルで、スライム液は常に需要が高いので、低階層でのスライム金策は全冒険者が通る道と言ってもいい。

 ただ、そのまま飲むとひどい下痢を起こすので、水分補給をしたい時には水のほうが嬉しい。


「帰れれば一財産になるくらい集まってるから、意地でも帰ってやる」


 生き残る理由も、増えている。

 食いたいものはたくさんある。

 酒だって飲みたい。

 これだけ苦労した甲斐もあってようやくアイテムも銅貨も集められている。

 ダンジョンに大量に吸わせただろうけど、それでもずいぶんと回収出来るようになってきた。

 これで帰れば金貨くらいにはなるだろ。

 意地でも、かえってやる。


 早く帰りたいという思いと、慎重に進まなければいけないという現実が、俺の判断を濁らせた。


「あそこさえ抜けられれば、階段まで一気に近づける」


 大型魔物の咆哮が長らく聞こえなかったせいで、予想していた位置と、実際の位置に大きな乖離ができていた……

 焦って楽な道を、無造作に通ってしまったツケは、計り知れなかった……


「ギャーーーーーーーーー」


「しまっ!!」


 ドンドンドンドン! 地響きとともに足音が近づく。


 俺は、大型の視界に飛び出してしまった。

 走り出したが、背後から足音が迫る。

 そして同時に、この階層から出口が塞がれたことを意味した。

 すぐに、大型をまくことは出来たが、それでも、俺がこの階層から脱出できないことは変わらない。


 「馬鹿っ、バカッ、大ばか野郎だ、俺は……!」


 気がつけば、壁に背をもたれて、頬には涙が流れていた。

 今までの苦労が、全て無駄になった。

 階段広間まではあと少しだが、俺は階段には登れない。

 慎重に行動していた全てが、今の一度のミスで全て台無しになった、その悔しさ。

 それに、もう、助かるすべが無いという現実が襲いかかって、涙が出てきた。


「……あーあ、もう、おしまいだ」


 大型魔物はグレートボア。巨大な牙を持つブターの魔物。

 その巨体による体当たりや、牙によるかち上げなどでどんな防御も突破してくるパワー型の魔物。

 ダンジョン内の方が狩りやすいらしいけどね。

 ま、そんなのは高位階の方々の雲の上のお話。

 そもそも、俺はソロだ。

 パーティで対応するべき大型魔物とまともに戦う術もない……


「完全に、詰んだな」


 流石に、もう、諦めるしか無い……

 武器を持つ手から力が抜けていく、手放してしまえば、もう……


 その時、偶然曲がりかどからゴブリンが顔を出し。

 反射的に身体が動いて頭を潰した。


 「ははは、もう無駄なのにな」


 スライムが現れればコアを正確に叩く。


「身体は、正直だな」


 そう、思考では無理だと思っても、死にたくないという本能を身体が動かしている。


 ドロップアイテムは……


「また唐辛子とスライム液……ん?」


 その時、俺の頭に、ある作戦が浮かんだ……


「……駄目なら、死ぬ」


 ブルリと身体が震えた。


「でも、やらなければ、必ず死ぬ! やれば、出来る!!」


 俺は、心の最後の炎に火をつけた!

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