第24話

 何も返せなくなった私に対し、慎司も無言で歩みを進める。

 どうしよう。どうするべきか。

 考えているうちに、歩は進む。


「詩帆? どうする?」


 顔をあげれば、ラブホテルが並んでいる街道が目に見えた。

 慎司の言いたい事は分かったし、あえて私に選択肢をくれる優しさも理解できた。

 慎司なら。慎司であれば。


 ――好きになれるかもしれない。


 そんな淡い期待を胸に抱いて、小さく頷けば、慎司はネオンが明るく光る街道へと歩みを進めていった。




 ◇




「シャワー浴びてくるね」


 慎司と交代して浴室へ入る頃には、私の中で酔いは冷めていた。

 ドキドキと高鳴る鼓動は、緊張か、それとも不安か。自分でも説明しきれない、何とも言えない感情が溢れている。

 呼吸が詰まる。息が上手く吸えない。

 だけど、それでも僅かにある希望へと縋り付く。

 女は度胸だと自分に言い聞かせ、シャワーを浴び呼吸を整えてから浴室を出る。


「詩帆」


 バスローブを羽織り、ベッドへ腰かけている慎司が緊張の含む声で呼びかけてきた。

 私は慎司に、震えている事が気付かれないようにして近づけば、力強く腕を引かれ、ベッドへと倒された。

 ゆっくりと唇を重ねると、前で結んであるバスローブの紐は解かれ、慎司の手が滑りこんでくる。

 手と唇が、ゆっくり私の全身に這っていく。慎司の温もりが、刻み込まれるように。


「っ!」


 漏れる吐息から声が出そうになって唇を噛みしめれば、慎司の手が頬を這う。


「詩帆」


 甘い声で何度も呼ばれる名前。

 大事な物に触れるかのような、優しい手つき。

 愛おしそうに何度も触れられる唇。

 慎司の私への気持ちが十分すぎる程に伝わってくる愛撫に、呼吸が荒くなる。けれど、足に固く反り返った慎司のものが触れた瞬間、息を飲んだ。

 この温もりや、重さを、上書きされているようで。

 ロイさんではない体温。ロイさんとは違う重み。ロイさんとは違う息遣い。


「あ……」


 忘れたくない。

 塗り替えたくない。

 まだ覚えている、ロイさんの温もりや重み。ロイさんのもの。


「詩帆……もぅ……」


 言って、顔を上げた慎司は私を見るなり、大きく目を見開いて止まった。

 慎司が悲しそうな、それでいて呆れるような表情をし、目に手を添えてきた事で、私は自分が泣いている事に気が付いた。


「ご……めんなさ……」


 言葉を発したら、自覚できる程に涙が零れ始める。


「ごめんなさ……」

「良いから」


 溜息をつきながらも、涙を拭って、優しく頭を撫でてくれる慎司。私は何て事をしているのだろうと罪悪感に襲われた。

 結局、慎司を利用して、でも出来なくて。ただ苦しめているだけなのではないだろうか。最低な女だ。

 でも、はっきり分かってしまった。私はロイさんとの思い出を消したくないのだ。

 最後の人であれと願った通り、私はこのままロイさんの事を身体に刻んだまま、他の人で痕跡を消したくないのだと。


「ごめんな」

「なんで慎司が謝るの……私がっ」

「焦りすぎたというか……まだ忘れられないんだろ?」


 慎司だって今にも泣きそうな顔をしているのに、そんな事を言ってくれる。私は、これ以上慎司の悲しい顔を見たくないのに否定できず、無言でいる事により肯定の意を暗に示した。

 ズルい、とは思う。

 傷つけたくせに、傷つけたくないとか。結局全て中途半端で、無駄に振り回しているだけなのに。


「俺は、ただ詩帆の幸せを願ってるだけだから」

「なん……で」


 こんな私に、まだこんな言葉を投げかけてくれる。それだけで私は更に涙を零してしまう。


「好きだから。何より詩帆が大事だから、幸せになってほしい」


 こんな無償の愛のようなものがあるというのか。

 私だって最初はロイさんの幸せを願っていたけれど、結局は嫉妬に狂って攻撃的となり、相手の幸せより自分を選んだというのに。


「慎司……」


 嬉しさと申し訳なさが込み上げる。ただ涙を流して視界を潤ませているだけしか出来ないなんて、私は一体何なのだろうか。


「あーあ」


 いつもの口調で言葉を放つと、慎司は私の横へとうつ伏せで倒れ込む。


「本当、詩帆は気にしないで良いから。俺が勝手に今もまだ好きなだけだから」


 慎司は横になったまま、私の方へ顔だけ向けて言う。


「申し訳ないとか要らないし、恋人じゃなくても友達……仲間だろ? こんな事になったけど、それでも支えるから甘えて欲しい。これだけは俺の我儘だな」


 いつもの満面の笑みではなく、少し引きつった笑み。

 だけれど、これが慎司の精一杯で、言っている事も強がりではなく本音なのだろうと、長年の付き合いから思えた。

 だって、慎司はそういう人だ。

 慎司の事を好きになれたら、どれだけ幸せだったのだろうか。

 そんな考えさえ沸き起こってくるけれど、結局私はロイさんへの思いを捨てきれないのだ。

 幸せになれる未来が目の前にあるというのに、それでも感情が動いてくれず、掴み取れない。

 幸せって何だろう?

 理性的に考えたものだろうか、それとも感情のまま動く事だろうか。


「詩帆」


 思わず考えに浸って苦笑していたら、慎司から声がかけられた。


「……しばらく、整理する時間が欲しい」


 苦しそうな、辛そうな慎司の声色。

 私でさえも未だにロイさんの事を整理しきれていないのだ。いくら慎司だって、今日明日では整理がつかないだろう。

 私は静かに頷いた後、帰り支度を始めたが、慎司は何も言わずにそっぽ向いたままだ。

 流石に、このまま一緒には居られない。一晩過ごすとか、お互いに気まずすぎる。


「またな」


 ホテルから出る時にかけられた言葉。

 その、または何時になるのか分からないけれど。

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