第263話 奇策

 央山の民オルターワダム奥山の民エンイスカダム。山の3氏族同士の決闘評決は19戦目にはいるところだった。

 闘手の発表は同時に行われるはずだったのだが、何故か先にバウルジャが丸い地面の闘場に降りてきた。

 おかしく思った者がざわついている。

 大きく息を吸い込むと、バウルジャが響く発音で話し始めた。


「えー皆さま、ここまで我々エンイスカダムはなかなか勇猛果敢に戦う様をお見せしたと思われます」


 それは本当にそうだった。勝ち数で並んでいるが、大きな怪我をした者は明らかに向こうの方が多い。


「しかし、あと3戦を残してこの状況はいかがなものか。オルターワダムには証言者として呼ばれただけのひよっ子が二人。失礼ながら長のハーク殿もまだお若く、レベルもそこまでではなさそうにお見受けする。比べると我らの長オマイマは女ながらに歴戦の大戦士であり、また年齢も——」

「バウルジャァッ!」


 オマイマの怒りの声に、バウルジャは一度話をやめてひょこひょこ頭を下げた。


「……えー、ともかくです。今回の決闘評決で死者は出ていないと聞きました。というより、最後に不幸が起きたのはもう4年も前のことだ。それも当然で、氏族長会合というのは本来、我らスダータタルの結束を高める場のはずだ」


 『その通りだバルドゥーラ!』という声があちこちから上がった。

 確かにイリアの目から見ても、ここまで出てきた闘手は誰一人として意図的に相手の命を奪おうとはしていなかったようだ。


「もしこのまま我々エンイスカダムが、ひよっ子二人をいたぶって議案を否決したとして、それは我々の結束に大きな禍根を残すことになりはしまいか。もしわれわれが憎しみあい、最後の一人になるまで決闘評決を繰り返せば喜ぶのは敵だけという事になる。そんな事をしている場合ではないのは明らかだ。危機はすでにこの国を蝕んでいる」

「何が言いたい、バウルジャ」


 オマイマの問い。バウルジャは振り返らずに言葉をつづけた。


「少しだけ、ほんの少しだけ不公平を正したい。本来屋形周りアイナラシンダではないこのオレと、ひよっ子二人を同時に戦わせてもらいたい」


 地下空間がざわついた。

 1対1を繰り返して勝ち数を争うというのが規則のはず。一度決められた決闘法を変えることなど許されるのだろうか。


「万一オレが負ければオルターワダムの2勝という事にしてもいい。まあ、あいつらひよっ子が魂起たまおこしを受けたのは去年や一昨年のこと。二人足してもオレのレベルに届かないくらいだ。2対1でも不公平に変わりはないのだが」


 ここでオマイマを振り返った。

 自身が偉大な戦士カルクザーク候補だと言っていた男に対し、女氏族長は何も言わずに睨みつけている。

 ざわつきは収まらず、あまり大きくはない声でいろいろな意見が不規則に発せられる。



 イリアは隣にいるカナトの肩を叩き、円形の地下空間の端の方によって相談することにした。


「なあ、俺はどうしたらいいと思う?」

「どうするも何もあるか?」

「バウルジャさんは、たぶん俺たちがひどい目に会わないようにしてくれてると思うんだ」


 イリアの目線の先には奥山の民エンイスカダムの残った戦士、大鎌の剃り上げ頭がいる。

 向こうもこちらを見ていて舌を出して笑っている。


「いや、うちの氏族長は降参するだろ。意地があるから自分が戦ってからにしたいみたいだが」

「それだと勝っても負けても決着にならないだろ? どっちもあと2勝しなきゃダメなんだから。ハークさんが気絶なんかした場合はどうなるんだ」

「うーん……」

「いや、そうじゃなく。悩んでるのはそこじゃないんだ。俺が言いたいのは、ああして好意でやってくれてるバウルジャさんをってことなんだ」

「……はぁ?」


 イリアは片手戦鎚の柄に巻かれている包帯用の布を解いた。中から黒い長大なとげが転げ出た。


「カナトも持ってきてるよな?」


 槍のほかに弓矢も持ってきているカナトは、矢筒の中を見せてきた。

 イリアの持っていたものより長い、9デーメルテ近くある刺はカナト手製の矢よりも長く、尖っていない根本のほうを上にして2本入っている。


 バウルジャ相手にどう戦えば勝ち目があるのか、今考えた作戦を伝えた。

 だいたいの流れをカナトが理解する。地下空間はまだざわついて、結論が出ていないらしい。

 イリアとカナトは一度央山の民オルターワダムの集まる場を避けてから、闘場の丸い地面に向かって並んで降りていった。




「おいっ! 二人とも!」


 ハークが焦ったような声を出すのに手を挙げて答える。

 カナトが精いっぱいの大声で宣言した。


「その決闘、受ける!」


 そんな仕組みは規則にないと騒ぐ氏族長たちに向かって、今度はイリアが大声を出した。


「別に仕組みとかはどうでもいいでしょう。決闘と言っても実はお互い降参する自由があるんだから、結局は氏族長同士が決める事では?」

「何を言ってるんだ、貴様は」


 オマイマが本当に分からないという感じの声を出しているので説明する。


「ですから、決闘法なんてのはお互い納得して負けを認められるかどうかの問題でしかないと言いたいんです。俺とカナトが倒れたらあとはハーク様だけなので、残り2戦中1戦はそちらの不戦勝ですからどのみち終わり。その代わりバウルジャさんが倒れたら、そっちが負けを認めてください」


 あちこちから噴き出すような笑いが聞こえてきたが気にしない。

 普通に考えて、バウルジャのレベルが50だとするとステータスは倍開いていることになる。

 イリアとバウルジャは体格が近い。なので、筋出力ではイリアが常人つねびと成人男性の2倍、バウルジャが3倍だとする。二人を比べれば1.5倍になるが、運動能力という点ではそれでは済まない。

 『耐久』の違いで骨の強度も変わるから力をより効率よく運動に換えられるし、『速さ』が高い方が力の伝え方が巧みになる。結果として運動速度は2倍を上回ってくる。

 防御に関してなら、武技系肉体強化型ではないバウルジャの体はカナトの槍で貫けるはずだ。だがそうでなくとも、エキヌスの刺の硬さと鋭さなら皮膚くらいは傷つけられる。かもしれない。


 オマイマが返事をする前に、闘場の反対の端まで下がったバウルジャが背中から2本の奇態剣を引き抜いた。

 前方に向かって傾斜する分厚く幅のある片刃。生身に喰らえば骨まで食い込むだろう。


「ではまあ、いいか。お互いがやる気になっているのを止める権利は無いものな。どうするかは終わってから決めればええ」


 諦めたような声でこの不規則決闘を肯定したのは、賛成派の東砂漠の民サイギソーラダムの長モクマー。

 同じく賛成派、塩山の民ワスツージャダムのジンが「そんないいかげんな……」とこぼす。


 これまでの全戦闘で開始の合図はモクマーが出していた。今日だけで22回繰り返された仕草、上に振り上げた枯れ木のような腕を振り下ろし、「始め」と発声した。



 バウルジャが「悪く思うな」とか言ったように聞こえたが、関係ない。勝負は素早く決める。

 実は風魔法が使われていて見えなかっただけかもしれないが、これまでの決闘で遠隔攻撃を使った者は一人もいないように思われた。

 だが近接戦では勝ち目がないのは分かり切っている。

 後ろにカナトを隠すように位置取り、腰の装具から取り出した鉄球を振りかぶって全力で投げた。


 バウルジャの背後には深森の民アルライアダムの面々が居る。彼らに当たっても怪我をさせることはないだろうが、魔物に当たるのは不安だろう。バウルジャは避けたりせずに丁寧に鉄球を弾き落した。

 投げ終わったイリアが軽くしゃがむと、その頭越しに、カナトが2本の矢を同時に発射した。これも斬りはらわれて闘場に落ちる。


 現象系アビリティー【幻影】の異能、≪曲光≫が発動した。

 バウルジャの周囲の空間に存在する空気が、不可知の力、マナの影響で屈折率を変化させる。そしてその範囲は大きく広がり、バウルジャの意のままに形を変えていく。

 暗い地下空間、炎の光りで見えていたバウルジャの姿が、縦横に拡大した歪んだ虚像になる。本人はその中心に実在するわけでもない。どこに居るのかまるでわからない。


 バウルジャは足音で位置を悟られないよう、比較的ゆっくりこちらに迫ってきていたと思われるが、鉄球から弓矢の連携で時間稼ぎしたおかげで『強化水鞭レジニーロヴィーポ』の発動が間に合った。

 先ほど中身を入れ替えたため盾の隙間から噴き出す水はいつものような泥水色ではなく白っぽく濁っている。

 およそ5メルテほどの射程で、可能な限り素早く。空間全体を切り裂くようにして暴れさせた魔法構造体。

 剣で斬りはらったり伏せたり跳んだりして避ければ、その瞬間の位置によってバウルジャの居る方向も分かる。


 しかしバウルジャは冷静に、後ろに下がることで『強化水鞭』を避けたようだ。

 射程距離ならまだ伸ばせる。持続可能の4秒間はまだ少し残っているので、最後に約9メルテの長さで左右に往復させた。バウルジャの虚像は動かず、どう避けたのかが分からないがとにかく当たりはしなかったようだ。

 魔法構造体は霧散し、媒介は闘場の空気に混じった。


 周囲で「今のは『水鞭ニーロヴィーポ』か?」と呟く声が聞こえる。静かにしてもらわねば困る。

 バウルジャの像が再び大きくなる。こちらに迫ってきている。


「……ッ! ゴホッ!」


 咳き込むバウルジャの声が右前方から聞こえた。

 矢の替わりに、カナトの弓から3本のエキヌスの刺が声の聞こえた方角に放たれる。奇態剣によって斬りはらわれる硬い音は2つ。

 虚像が消滅し、右頬に刺さった一本の刺をバウルジャが抜き取った


「グッ! なんだこりゃ! ゲホッ! ちくしょう、毒か⁉」


 エキヌスの刺には毒があるし、『強化水鞭』に仕込んだのも毒と言えなくもない。

 午前中、氏族長会合に向かう前。水筒の中に仕込んでおいた魔法媒介水にはありったけのバンショの種がすりつぶして入れてあった。

 辛い成分は油にしか溶けないようだったが、油は水魔法では操れない。石鹸を作る要領で焜炉の灰を混ぜてみた所、白く濁って全体に混ざった。


 霧になって消えた魔法構造体の残滓はまだ空気に漂っている。イリアとカナトは息を止めているが、最前列で決闘を見ていた氏族長の何人かも、バウルジャと同じように咳き込んでいた。

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