第264話 転換点

 イリアは右腰の装具から戦鎚を抜き出すと、盾を本来の使い方のために体の前に構え近接先頭の準備をした。

 カナトも弓矢を放り出しすと同時に、地面に置かれた槍を足先で跳ね上げ空中で掴みとる。

 しかし、バウルジャは動かない。右頬を抑えたままで片膝をついた。

 エキヌスの刺の毒は、レベル20程度なら半日全身が麻痺するほどの強さと聞いていた。だがそれは、深く刺さればという話だった。

 『耐久』が上がれば毒に対する耐性も高くなるはずなのに、まさかひざまずかかせるほど効くとは思っていなかった。



「認めんぞ! こんなバカな話があるか! 立て、バウルジャッ‼」


 オマイマが憤怒の叫びを上げた。感情が顔にも表れていて隣にいた大鎌使いがおびえている。

 左手の奇態剣も取り落としたバウルジャは氏族長の言葉に反し、掌を見せて降参の合図をした。


 遺跡の地下空間にどよめきが広まる中、東砂漠の民サイギソーラダム氏族長モクマーが顔じゅうの皺を上に向かって曲げながら大笑いした。


「素晴らしいわい! これで11勝、央山の民オルターワダムの勝ちじゃ!」

「アタシは認めないと言っているだろうがッ!」

「やかましいぞオマイマ、そもそも全員参加などというのが公平な決闘の精神に反しとるんじゃ、屋形周りアイナラシンダだけの結果だけなら最初から負けておったじゃろうに!」

「今更それを言うのか!」

「おぬしこそ負けてから騒ぐな!」


 一触即発という雰囲気ではあるが、女氏族長は実力行使に出られない。

 20人いたオマイマの護衛は半数が怪我をして、うち半数はもう外に運び出されている。

 対してモクマー側は今回まだ決闘評決に参加していないから全員無傷の状態だ。



 ゆっくりと、しかし大きな音で誰かが手を叩いている。

 全員が静かになって音の出所に目を向けると、それは深森の民アルライアダム氏族長ウエデニイだった。

 イリアが初めて耳にするその声は滑らかに通って良く響いた。しゃがれもかすれもなく、大人の男である事しか分からない。


「そもそもが想定外の決闘法だった。また、氏族長会合がこれほど延びたことも異例で、その原因であるティニカイス襲撃はまだ根本的に解決していない。なにもかも普段とは違っている」


 言葉は完全な共通語の発音。

 オマイマが全員参加の決闘を提案した時、入れ知恵したのはウエデニイの補佐の男見姑ザターナニフリトだったはずだ。

 央山の民オルターワダムを負けさせようというのが深森の民アルライアダムの氏族としての意思だったはずなのに、逆の結果を受けてもやけに落ち着いて見える。


「決闘法の是非、および結果の判定について私は口を挟まないが、一つ宣言させてもらおう」


 ウエデニイはイリアとカナトの方を見た。頭巾と面布の間にある双眸が炎を反射して光っている。


「勇猛で、そして狡知にも長けた少年戦士を擁する央山の民オルターワダムまでが賛成したのならば、我ら深森の民アルライアダムも『国境完全閉鎖案』に乗ろうではないか」



 一瞬の静寂ののち、地下空間に歓声が沸き起こった。

 否定派3氏族も嘆きを上げたのはその長だけで、護衛はただ茫然としている。

 男どもの太い声の中、唯一の女性氏族長オマイマの言葉だけはよく聞こえた。


「認めないぞ、バウルジャが倒れたとはいえそれは1敗だ! ハーク・オルターワダム! アタシと戦え!」

奥山の民エンイスカダムの長よ、勝敗の判定に私は口を挟まないと言ったな」

「ああ!」

「だが、今これ以上揉めるならば、明日の決闘評決で私は君の氏族を相手に指定する」

「な、何……」


 ウエデニイは言うだけ言ってまた石段に座ってしまった。

 唯一残った否定派としてまだ否決権を主張するオマイマもだんだんと声が小さくなっていく。

 地下遺跡の空間は騒がしくまだ秩序が回復していないが、会合の方針はほぼ決まってしまったようだ。




 200人たらずの人間と13頭の魔物の集団は地下遺跡から出た。

 オマイマ・エンイスカダムは今になってまたモクマー・サイギソーラダムに食って掛かっている。

 地上で争ってもいいのならば最初からそうすればいい話であって、意見の異なる氏族同士の衝突を最小限にするために決闘評決があるのだ。

 地下遺跡以外の場所で論争を始めるのは本当は違反だ。オマイマは自分の屋形周りアイナラシンダに落ち着くよう窘められている。



 イリアたち10代の証言者6人とイスキーが遺跡の横に集まると、サマル・ザオラアダムも話を聞きにやって来た。


「どうしようサマル姉! イリアたちのせいで国境が完全に閉鎖になっちゃうぞ!」


 リーナが大ナタを振り回しながら、どういうことなのかを姉に説明している。あわてているのか話があちこちに飛んでしまっていた。

 全員参加でゆっくりサマルに説明したが、父イシュマルが反対していた国境閉鎖案の可決を聞いてもあまり動揺したり悲しんだりする様子はない。


「そういうことならアミン兄さまにもお伝えしなければ。ルナァラ姉さまへの伝令隊がそろそろ出るはずなのです」


 そういって東の方に向かって行ってしまった。リーナはまだ「どうなるんだ!?」と騒いでいる。


 ザファルが近寄って来た。ハァレイとガリムもこちらを見ている。


「えーっと、いちおうおめでとう」

「どうしよう」

「どうしようって何、イリアまで」

「勝てる見込みがあるからってやってみたんだけど、それで勝てたのはまあ嬉しかったといえば嬉しかったけど、こういう結果になるとまでは思ってなかった」

「オレもアルライアダムの氏族長があんなこと言い出すとは思ってなかった。本当にどうなるんだ?」


 閉鎖案の詳細について、昨晩ニフリトから聞いたことはザファルたちとも情報共有している。


 「国境完全閉鎖案」を通すため、先ほど決闘に挑まされたイスキーが実は一番内容をわかっていない。半日前にヤスィル高原に到着したばかりなのだ。

 あらためてイリアたちから説明を聞き、白いものの混じっている無精ひげを撫でながらしばし考えている。



「オレは妻も子もないから、年4カ月マヤリナ流域に派兵されても別に構わない。しかしそういう者はそれほど多くないはずだぞ、本当に可能なのか?」


 おそらくこの中では一番政治的な知識を持っているザファルが答えた。


「難しいから父も反対していたのでしょう。実現するにはもっと強固に戦士たちを縛る、新たな掟を作る必要が出てきます」

「どんなふうにだ?」

「派兵義務違反者を捕まえるための組織を作ったり、それを指揮する権利を誰かに与えなきゃいけない。半年に一度しか意思決定できない氏族長会合なんかでは対応できないでしょうから」



 そういう組織が運用出来るとすれば深森の民アルライアダムしかないような気がする。結局のところ今回のことは、最強氏族の権限をさらに拡大する結果につながるのかもしれない。


 イリアがふと隣を見ると、カナトが左手をさすっているのが気になった。


「なんだ?」

「射るときかすったんだ。先っぽが当たったわけじゃないが少し効いてる」


 顔を近づけてよく見れば、血が出てはいないが少し赤くなっている。


「動かせないくらいか?」

「いや、感覚がちょっと変ってくらいだし、もう治ってきてる」


 そう言って握って開いてを繰り返している。



 地下遺跡の反対側から数人の戦士を引き連れて誰かやってきた。アリィル・タクティキラダムだった。

 氏族の見姑ザターナ見習いであるハァレイではなく、イリアとカナトの方を見て、体が衝突するような勢いで目の前まで来た。

 鉄手甲のイリアの右手をとってから両手でつかんできた。


「君たちのおかげでついに念願の『国境完全閉鎖案』が可決した! 最初は無礼にもハァレイを連れまわしたクソガキと思っていたが、今は感謝してもしたりないほどだ!」

「はぁ、まあ、おめでとうございます……」

「念願の?」


 カナトは捕まらないように少し離れた位置にいたのだが、アリィルはその疑問に対して的確に回答した。


「そうだ、あの議案はもう2年半以上、元の賛成派5氏族の間で構想されていたものだ」

「それはまた、どうして?」

「何も証拠が無いから声高には言っていないことだ。だが我々は、オオアシネズミの年のあの油井ゆせい火災のことも、今回と同じなのではないかと考えている」


 ハァレイの父が亡くなった火竜発生事件のことだ。

 そういえば火災の原因については聞いていなかった気がする。


「敵の侵入者がやったという事ですか」

「そうだ。どの油井であれ、油が出るうちは常時消火魔法の得意な者が見張っているものだ。あの火災では最初にその見張りの者が殺されたと考えられるのだ。火竜に焼き殺されたにしては、遺体が焼け残りすぎていた」



 本当だとすれば恐ろしいことだ。

 火竜が南砂漠の民タクティキラダム本郷ポニクスを襲い、避難が間に合わなければ死者の数は最低でも4桁に上っただろう。

 さらに、それによって「極性火竜」が生じた場合、変異したその土地を縄張りのようにして居座ることになる。

 そうなれば、だいたい一つの氏族領ほどの範囲が人の住めない場所になるところだった。


「ではティニカイス襲撃が議案提出の理由ではなかったという事ですか」


 聞いたのはザファルだ。会合では終始意見の異なっていたイシュマルの息子に対し、向き直ったアリィルはまっすぐ見つめ返している。


「正確にいえば、きっかけではあった。本来ならもっと詳細を作り上げてから議案を提出するべきだったが、秘密裏に進めるのにも限界がきていたからね。今ならばお父上も賛成してくれるのではと、思っていたのだが」


 またイリアとカナトに目線を戻して話を続ける。


「賛成派をあつめて議案を提出するにあたって、油井火災と同様に犯人が確かではない事件を経験した4氏族を頼った。本当なら央山の民オルターワダムも候補ではあったのだが、氏族長の代替わりで混乱している時期のようだったし、提議さえすればきっと賛成してくれるだろうと思っていた。最後の最後に、その考えは間違っていなかったと証明された。本当に感謝する」



 カナトも捕まえて握手をしたアリィルは去っていった。


 スダータタルは豊かな国ではないが、魔物狩りは盛んで食料生産に関してはそこまでひどくはない。チルカナジア王都の壁外地域、『溜まり』に住む移民たちの方が若干状況が厳しいと言っていいくらいだ。

 国境地域での戦闘で亡くなる者も少なくないが、派兵されるほとんどは子をした後の壮年男性。生まれる子供の数が特に少ないという事もないようだし、世界的に見れば今は『マナ大氾濫』からの人類の復興期なのだ。

 それなのにこのスダータタル族長国では、70年も人口が増えていないというのは不思議ではあった。


 人がたくさん亡くなるような事件や事故の多くが、実は敵国からの秘密裏の干渉の結果だとすれば、やはり国境を閉鎖することは正しいのではないか。

 イリアとカナトに対し親切で2対1の決闘をしてくれたバウルジャを、毒を使ってまで倒したことに罪悪感はある。

 しかし結果としてスダータタルが発展できるのなら、そういう歴史の転換点に関われたことが、少しだけイリアには誇らしいような気もした。

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