第260話 本会合開始

 大地の穴は肌理きめの細かい暗灰色の石材で四方を固められている。幅2メルテの石段が深く続いて底の方まで陽の光が届いていない。

 先頭を氏族長ハークが進み、17人の精強な屋形周りアイナラシンダの戦士が続いて、その後をカナトとイリア、そしてイスキーがついて行った。

 後ろを振り返れば明るい青空が見える。

 まだアビリティー保有者がほとんどいなかった時代の遺跡だからだろう、平らとは言えない壁には土壌から染み出した水分が滴り、隅の方にコケが生えてなにやら森の中のようなにおいがしていた。


「イスキーさん、タウディンの様子はどうでしたか。スァスのティニカイス襲撃については伝わっているんですか」

「いや、3日前まで知りもしなかった。報せと同時にオレに氏族長会合への呼び出しがかかって、留守居役のカルクザーク・ユスフが慌てふためいていた」


 振り返ったカナトがイスキーに向けるまなざしに、尊敬と呆れが入り混じった感情が見える。


「ってことは、だいたい丸2日でここまで走って来たのか? それでどうしてあんたはアイナラシンダに選ばれないんだ」

「【赤肌】だからだ。使えば命の危険がある異能など『決闘評決』の場で使うバカはいない」

「なんだかな。じゃあアイナラシンダってのは喧嘩が強い奴がなるもんなのか。案外つまらないな」


 ザファル襲撃の際にイスキーは何のためらいもなく異能を使っている。

 カナトが言うのはつまり、命がけではない政治的な決闘など喧嘩に過ぎないという意味だろう。



 スァスによって連れ出された【魔蔵】保有者の水魔法使いは、イスキーの虜囚であり、捕虜権を畑の民ザオラアダムに売り渡してもいない。

 5人の犠牲者を出した襲撃の目的がその男の救出だったわけだから、ただの証言者よりもイスキーの立場は重い。

 いろいろな考えがまとまる前に前に、どうやら階段の底に着いたようだった。


 左右に延びている廊下は階段と同じで、幅も高さも2メルテ程度しかないようだ。どこからともなく水の流れる音が聞こえてくるが、水路や排水溝などが見えているわけでもない。

 鉄製の小さなかがり台が並んでいて、ロウソクとは違うなにか、細い松明のようなものが灯されている。

 左の奥は土で埋まっているようで、屋形周りアイナラシンダたちは右に向かって進んでいく。50メルテも歩いただろうか、地下とは思えないほど広い空間が現れた。


 四方に樽のような形の石のかめが据えられ、鉱油がたたえられているのか炎が燃えている。

 照明の明るさでまず目に入るのは、少し低くなった位置にあるむき出しの地面だ。

 直径10メルテ程度の円形の地面の周りに石段が階段状に取り巻いていて、全体を見ると深い皿のようだ。

 そして皿の縁にあたる部分からは半球状の天井が始まっていて、天井の一番高い位置から地面までは20と数メルテくらいあるだろうか。


 今いるところがどれくらい地下深くで、天井の上にどれくらい土が載っているのか感覚的に分かっていないが、石材の重さだけでも相当なものだろう。

 いちおう丸い地面の四方に石積みの柱は立っているのだが、戦闘に巻き込まれて折れたりすれば地下空間が崩落するのではないと不安になる。

 また閉鎖された空間で火などを焚けば、空気が汚れて息が出来なくなると聞く。入口の方から弱く風が吹いている気もするが、一見すると真っ黒で隙間もなく見える天井には通気の穴が開いているのだろうか。


 入口左から円を描くようにして各氏族が集まり並んでいる。

 6番目に入場した央山の民オルターワダムは入り口から奥の少し右寄りに位置取った。

 氏族長ハークが最前列に座り、その横とうしろを壮年の屋形周りアイナラシンダ幹部が囲んでいる。

 さらにその背後に少し年代の若い者約10名。初めて見る顔ばかりではあるが、タウディン在住のイスキーは何人かと面識があるようで言葉を交わしている。


 やがて十氏族中9氏族が集合すると、最後にやって来たのが深森の民アルライアダムだった。

 氏族長ウエデニイはスダータタル戦士としては平均的な身長、背中をかがめるようにして歩いてくる。頭に白い布を被り、それを額の辺りで金の輪で留め、目から下は白の面布で人相がまるで分らない。隣にニフリトが居なければ不審な侵入者と思ったところだ。


 そして、二人の後ろから入場してくる魔物。

 人間をひと噛みで真っ二つにしそうな巨大なアゴは鉄製の口輪によって開かないように抑えられている。オオカミのような頭部に光る金色の瞳。艶のある毛皮の色は黒。

 長い首の付け根、胸部から生えている前足が3対ある。後ろ脚を合わせると合計8本脚。

 2メルテ四方の入口からぬるりと出てきた魔物は胴も尾も長く、全長が6メルテはあったように見える。


 イスキーと話していた斧槍持ちの若い戦士が、「六つ足オオカミとヘビオオカミの雑種らしい」と教えてくれた。

 ヘビオオカミなら戦ったことがあるが、交雑種だという大オオカミは脚の本数がおかしいし体つきは貧弱に細長くなっていない。

 【魔物使い】なのだろう、性別も分からない面布の人物が鎖と鉤状の鉄棒を持って凶悪そうな魔物を操っている。続いて入ってくるのもほぼ同じ組み合わせで、白と黒のまだらや赤茶色い毛皮の雑種オオカミが5頭続いた。


 先に飼い主がやって来て、その後ろから鎖につながれた巨大なネズミが廊下の壁や天井に全身の刺で擦りつつ入って来る。

 その次はヘビだ。虫や爬虫類など子育てをしないたぐいの魔物は基本的に慣らせないとザナイルが言っていたが、ヘビの中には例外の種類もあるのだろうか。

 魔物化すれば元の生き物とは生態も変わるし、さらに交雑もさせているのなら一般的な知識では語れないのかもしれない。


 3種の魔物がそれぞれ複数続いて合計で12頭。それで終わりかと思ったら、最後に巨大なサルの魔物がやってきた。

 前足というか、人間でいえば手首に当たる部分が首と一緒に拘束具でまとめて留められている。隣のカナトが体を硬直させた。

 連れている魔物使いの7、8倍は体重があるだろう。

 全身を覆う金色の毛並みに、胴体と同じ程の長さがある尻尾。

 むっくり膨らんだような口のあたりが間抜けな表情。その顔は、まるで絵具でも塗りたくったように真っ青だ。

 仮想レベル50台後半の上級魔物、金毛アオザルだ。もう何度もこの場に引き連れられているためだろう。特に緊張や興奮する様子もなく、つまらなそうな顔で拘束具にぶら下がる巨大な錠前をいじっている。


「なんだぁ、あれで終わりか。草ネコグマは来なかったな」

「なんだお前…… なんでこっちにいる」

「お前っていうなよ。いいだろ、あっちはザファル兄もガリムもいるんだし」


 いつの間にかリーナが後ろに来ていた。振り返ったイスキーを見て会釈をしている。


「全員が【魔物使い】じゃないんだな」

「そりゃそうだろう。そもそも魔物なんていくら調教しようがバカなんだ。知恵を使う人間の方が強いに決まってる」

「でも魔物を使う飼い主の方は普通に魔法だって武器だって、卑怯な手だって使うわけだし。それに加えて魔物の相手もしなきゃいけないんじゃまず勝てないよな」

「……」


 深森の民アルライアダムの残りの6人は剣を持っている者と、魔法媒介の金属容器を抱えている者。

 体が完全に隠れるような、湾曲した長方形の大盾を担いでいる者がいる他、サマルの『狼断ち葬』のように革の容れ物に入った巨大な武具を持ち込んでいる者もいた。



 こうして氏族長10名、付き従う200名と魔物13頭が一堂に会した。

 名前が分かる氏族長は今のところ6人しかいない。

 昨日も会った4名に加え、深森の民アルライアダム氏族長ウエデニイ。

 そしてその本郷クホリに立ち寄った時に話題に出たのが、東砂漠の民サイギソーラダム領の支配者モクマー。

 氏族長会合に出発する前に、国境地帯の郷とも言えないような集落を一つ一つ回るという、民思いの一面を持った90歳越えの老人が立ち上がり、枯れ木のような体にしてはけっこうキビキビと歩いて円形の地面の中心に立った。



「それじゃぁ、まぁ、21日目の本会合を始めようかの。いいかげんに飽き飽きしておるから、そろそろ否定派に回っとる氏族長にも道理をわきまえてほしいもんじゃ」


 モクマーの言葉に対し、会場の北側半分に座っている氏族長から不平を表明する声が出た。

 イリアたちも微妙に北側に入っているわけだが、こちらが『国境完全閉鎖案』に対して否定派の氏族であるなら、異常に長く伸ばした手の爪を齧っている入れ墨だらけの小男は裏海岸の民アルツテンザダムの長だ。


「道理をわきまえんのはおめえらだろが! 皇帝国が攻めてくんならオレの領ってことになんだぞ、マヤリナの国境を塞いだって、裏海には水竜は住んでねんだかんな!」

「カラカシ殿、水竜がおらずとも、皇帝国が海を渡ってくるなどというのは心配のしすぎ。その話はこの10日の間、何度もなんどもしたでしょう?」

「海のことも船のことも分かってねえやつは黙ってろい!」

「裏海に支配領を接しているのは我々塩山の民ワスツージャダムも同じだ。これも3日前言いましたでしょう?」

「おめーんとこは南の端っこにちょろっとあるだけだろがい!」


 スダータタルに来てイリアは初めて眼鏡をかけた人間を見た。

 長剣を左手の届くところに置いている、痩せて背が小さい日焼けした壮年の男が塩山の民ワスツージャダムの長と思われる。

 これで残りの氏族長のうち、誰なのか分からないのはあと2人だけだ。


 最年長であろうモクマーが司会という事なのだろうか。右手を挙げると言い争いは止まって静かになる。


「あー、少し時機が今更という気もしないではないんじゃが。無関係ではない話だからいちおう聞こうかの。証人がこの場に来ておる。7人、いや8人じゃったな」


 イリアたち6人にイスキーが加わり、数は7人だけのはずだ。

 不思議に思っていると、奥山の民エンイスカダム氏族長オマイマの横から男が一人円形の地面におりてきた。

 革製に見える仕込み鎧姿の男はバウルジャだった。


 「ハァレイは敵にそそのかされただけ」という事実の確認のために来たはずのバウルジャは、スァスを近くで見たわけではない。今この場にいるのは変ではないのか。

 しかし偉大な戦士カルクザーク候補と言われるくらいなのだがら、そもそも下手な屋形周りアイナラシンダなどより強いはず。

 決闘評決のために名目をつけてオマイマが連れて来たのかもしれない。

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