第258話 不眠のアミン
4人の氏族長が夜中まで議論していた大幕屋。その裏に建てられた、言うなれば中幕屋。
用意された布団で7人寝ていたが、イリアが目を覚ました時にはガーラはすでに居なくなっていた。
スダータタルに来てから何度も調理をしたが、料理といえるものは作れていない。その点イリアはリーナと変わらない。
外で火を使えない雨の日に備え、幕屋の中には炭を使う小さな焜炉があった。
換気のために開け放たれた入り口のすぐそばでハァレイが何かを煮込んでいる。
今朝は晴れているようだが、人前に出たい気分ではないのだろう。
「イリア、この前使った香辛料は置いてきちゃった?」
「どうだったかな? ちょっと待って」
あちこちボロボロになり買い替えの時期がきている背負い袋の底を探ると、ガラス瓶に入ったバンショの実の種が出てきた。
「はい」
「ありがとう。ニフリトさんが持ってきてくれたお肉を炊いてるんだけど、少し臭みがあるみたいなのよ」
昨晩の魔物ヤギがさっそく朝食になるらしい。
ハァレイは起きているが、ザファルの方はまだ寝たままだった。魔法型ステータスのレベル21なのでリーナよりも身体能力は低いのに、それでも昨日はそれなりの距離を自力で走っていた。箱型の背負い鞄も自分で運んでいたし、誰より疲労していても当然だ。
一組だけ残しておいた下着に着替えて身支度を整え終わる。
今日これからどうすればいいのか、誰かに訊きに行くとしたら自分がするしかない。イリアがそう思っていると、幕屋の外から声がした。
意外にもそれは若い女の声だ。
「サマル姉だ!」
鍋を覗いていたリーナが立ち上がると外に出て行ってしまった。一度会っただけだが、サマルのことはイリアも覚えている。
長姉ルナァラを一回り小さくしたような体形のザファルの年子の姉。
リーナの後を追って出てみると、サマルは兜を被り短剣を佩いて武装している。
「えーっと、お久しぶりです。サマルさん」
「あら、おはようございますイリアさん」
「なんでサマル姉が居るんだ? それに『狼断ち葬』まで持ってきて」
サマルが着ているのは長いスカートの上にゆったりした外套といった見た目だが、その揺れ方を見ればただの革製ではなく、鉄板もしくは他の金属板が裏に仕込まれている特殊装備なのがわかる。
足元には大きな革製の容れ物が置かれていて、全長が2メルテほどもあった。
円盤状と棒状の部分がつながっているような形では、柄がやたら太い大きな杓子のようと言えるかもしれない。それが『狼断ち葬』とかいう武器なのだろうか。
「ティニカイスが襲われたことは知っているわね? 報せのためにここに来たのは私なの」
「そうだったのか…… 母上やみんなは大丈夫なのか?」
「家族は無事よ。犠牲になったのは北の4番の塔の守備兵をしていた2人。行き会った民が頭を殴られてケガをしたりもした。それと、あの【魔蔵】の男の尋問をしていた4人のうち3人が無残に殺されて、一人は行方不明」
19日に襲撃が起きて直後、動かせる人員をかき集め大急ぎでヤスィル高原まで来たので、向こうの今現在の状況まで詳しくは分かっていないという。
本来一氏族が連れてきていい人数は最大で100人と決められているため、サマルが戦力を連れてここに来たのはそれなりに重大な違反であり、緊急時でなければ処罰の対象だ。
意識がない相手でもアビリティー鑑定は可能だ。あの巨漢の水魔法使いのアビリティー種別が【魔蔵】なのだろう。
蓄積余剰マナ量がレベルと共に増大していくだけでなく、レベル40で生える≪マナ譲渡≫という第2異能は他人に余剰マナを分け与えることができる。
実際に誰が殺されたのか、個人名をサマルが告げる。
『ディラーラがっ!?』と、悲痛な叫びをリーナが上げた。
誰なのかを訊くと、イシュマルの側仕えをしていた女性の一人だという。
一瞬息が止まる。
犠牲者が5人と聞いたとき、心のどこかで「思ったよりは少ない」と考えてしまった。
イシュマルの側仕えといえば
「絶対に許さん! サマル姉、私がこの手でスァスを殺す‼」
「私がティニカイスを出た時、アセト兄さまも30人の討伐隊を募ってスァス一味の痕跡を追っていきました。今きっとあの女を追い詰めていると思います」
「私も参加する!」
「どこに居るかもわからないので無理でしょう? 落ち着きなさいリーナ、あなたはまだ修業中の身。何を成すにももっと強くならねば」
リーナの口から歯ぎしりと唸り声が聞こえる。
アセトは金銀色の鎖鎧を着ていた兄弟姉妹の3番目だ。ザファルの成人を祝う宴で笛を吹いていたのを覚えている。
「あの、ちょっといいでしょうか」
「なんでしょうイリアさん」
「
「……なるほど。イリアさんは氏族長会合がどういうものなのかをご存じないわけですね。説明して差し上げたいのですけど、先に我々の用事を済ませてしまってよろしいですか?」
「それはもちろん」
「じゃあサマル姉、一緒に朝食を食べよう!」
幕屋に戻るとザファルも目を覚ましていて、両膝が痛いと嘆いている。
リーナと違ってサマルは最初からザファルと仲がいいらしく、揉み療治のようなことをして
魔物ヤギ肉の煮込みをみんなで食べたが、辛い物が苦手らしいサマルはバンショの種風味の料理を残してしまった。
幕屋が建ち並ぶ直径1キーメルテほどの範囲。その中心にある地下遺跡の中で、正午になると本会合が再開されるのだという。
昨日のニフリトの話では、スァスの容貌についてイリアたちも証言しなければいけないようだったが、それまでは自由にできるらしい。
ガーラの代わりにサマルの加わった7人で、
氏族を問わず、主に30代から40代の男たちが幕屋の外で生活をしている。7人中3人が若い女性の集団を見ると、彼らはきゅうに姿勢を正したり物陰に隠れたりした。
5分もかからず目的地に着く。
広い草地の中で少しだけ地面が盛り上がり、下からの水気を防ぐために麦藁が、その上にさらに絨毯が敷かれている。絨毯の上には材木を組み合わせて作られた大きな卓あり、上には天幕が張られていた。
卓を挟んで反対側に立つ屈強な戦士数人に対し、こちらに背を向けて何か話し合っている人物はあまり背が高くない。紺色の外套を羽織りクセのある長髪を後ろに流している。
戦士の一人がこちらに気付き、その人物に報せたようだ。
「アミン兄さま、ザファルとリーナを連れてきました」
「おぉ! それは素晴らしい!」
アミンは振り返るとこちらに向かって駆け下りてきた。進み出たリーナとザファルの肩を両腕で交互に抱きかかえ、いかにも感に堪えないというような顔をしている。
「昨晩父上に聞いて無事だというのは分かっていたが、実際にこの目で確かめるまでは不安でたまらなかった! ティニカイスがあんなことになってしまって、他所にいるお前たちには関係ないとは分かっていたが、私は……!」
スダータタル人としては青白い顔を喜びで染め、弟妹の無事に心底安堵しているようだ。
初対面の時アミンは1年近い修業の旅から帰ったザファルに対し、冷淡に見える態度をとっていた。冷淡というよりも、イリアの感覚からすれば侮蔑的と言える目線さえ向けていた気がする。
あまりの態度の違いに顔が同じだけの他人だったりするのではないかと思いサマルを振り返った。
「アミン兄様とも面識がありました?」
「面識というほどではないんですが、その……」
「イリアさんは【不眠】という体質強化系アビリティーを知っています?」
「あ、つまり……」
「そうです。今のアミン兄様は『昼の顔』の状態なので感情的でお優しいのです。実務は『夜の顔』のほうがお得意らしいですが、ね」
昼と夜と言っているが、そのままの意味ではない。顔が入れ替わる時機は不規則であり、ある程度は本人の任意でも制御できるものらしい。
また人格が完全に分離しているわけでもない。
一説によれば脳の半分だけが起きていて、疲れれば起きている脳と寝ている脳が交代するのだという。
【不眠】保有者は睡眠をとらなくても昼夜問わず働き続けることが出来るというが、実際は体の方が壊れてしまうので少しは床に横たわる時間も必要らしい。
『昼の顔』のアミンは弟妹を連れてきてくれたと、イリアにも感謝の言葉を述べて、それから残念そうな顔をした。
「お前たちともう少し一緒に居たいのだが、今の状況をルナァラに報せる伝令隊を編成する作業があるのだ。本会合のための手練れも残しつつ、もしスァス一味と鉢合わせても戦えるだけの人員と組み合わせを選ぶのが大変でね」
「というと、『決闘評決』が開かれているわけですか」
ザファルが不穏なことを言った気がする。「決闘」と「評決」という、そぐわない二つの単語が熟語として組み合わされている。
「そうなんだよ。もう4回も繰り返されて、我らの
面倒そうな話になって来た。イリアには関係ないことの気もするが、やはりサマルに本会合の実態というものを解説してもらう必要がありそうだった。
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