第257話 ヤギ

 氏族長たちが集まっている大幕屋の裏、建てられていた幕屋も結構大きい。中は一つの大きな空間になっていて部屋のように分けられてはいない。

 男女が混じって寝るのかと危うく思ったが、ガーラも一緒に休むと聞いて納得した。

 大麦を軟らかく煮て羊のチーズを混ぜた粥を夕食に食べると、眠そうにしていたリーナは一時的に復活した。

 カナトと二人で出かけるイリアに、「何か面白いことをするのだろう」と付いてきてしまった。面白い話にはならないのだが。


 ニフリトと最初に会った場所に行くと、深森の民アルライアダム氏族長補佐は自分の手で幕屋を片付けていた。焚火はもう消されているが、小さな灯壺が地面に置かれている。


「お手伝いしましょうか」

「ああ、イリア君でしたね。お心遣いありがとう、でももう終わりますから」


 暗いのでわかりづらいがニフリトはにこやかに笑っている。

 2本の支柱で支える三角形の幕屋は本体である防水加工獣革の幕が取り除かれ、丸められ紐で留められた。

 ニフリトが太い支柱を片手で引き抜いたとき、柔らかい草地の地面に片足が軽くめり込むのが見えた。


「ガーラさんがハァレイを連れに来たのは、ニフリトさんの指示だったという事でいいんですよね」

「私どころかウエデニイ様にも、他氏族の偉大な戦士カルクザークに命令する権限などありません。ガーラ殿はあくまで央山の民オルターワダムのハーク氏族長の指示下で動いたのです」

「……」


 武技系肉体強化型アビリティー【鉄骨】保有者として素手の格闘に優れるハークであるが、あくまで若く、数年前までは毎日魔物狩りばかりしていた素朴な若者だったらしい。代々氏族長を輩出した家系であっても政治的な能力は高くないだろう。

 今も続いている4氏族長の小会合でニフリトは何も話さなかったが、深森の民アルライアダムが氏族の意志としてハークを動かし、ハァレイを駆け引きの道具として連れ戻したのに違いない。



「怖い顔をしますね。君はハァレイさんに対し捕虜権によって戦力供給を要求し、その期限も切れて今は無関係の立場のはずだ」

「掟のうえではそうでも、私情というのがありますよ」

「ふむ、まあ若い人同士が友好的な関係をもつのは良いことです。ですが公式だろうと非公式だろうと、氏族長会合の場に呼び出されればスダータタル人なら従うのが当たり前でしょう? 誰の思惑でそうなったかなど、あまり関係ないのでは?」


 カナトが体を解すようにして首を回した。目がしょぼしょぼしていて疲労の色が強い。ため息をついてから口を開いた。


「悪いがオレ達みたいな未熟者には、あんたら大人の駆け引きやなんかはよくわからない。結局、ハァレイがふらふらになって駆け付けたことへの褒美はなしってことか?」


 ニフリトは少し考えてからリーナの方を見た。


「イシュマル殿のお嬢さんもハァレイさんとは仲がいいのですか?」

「初めての友達なんだ、ハァレイを罪に問うのには私も反対する。父に逆らってでも意見はするつもりだ、聞き入れられないだろうけど」

「そういう事なら言ってしまいますが、内緒にしてくださいよ?」

「なにを?」

「イシュマル殿はハァレイさんの問題をにして『国境完全閉鎖案』を何とかしようとしていますし、我々もそれに協力はしました。ですが現実問題として、この国の文化で女性見姑ザターナを厳罰に処すなどありえないでしょう」

「そうなのか?」


 10人居る氏族長よりも、現役では3人しかいない女性見姑のほうがずっと貴重であり、その分特権を持っているということだろうか。

 ハァレイはレベル40になるまではまだまだかかるだろうし、公的な認定はまだされていないとはいえ、そういう存在に対しよく捕虜権など適用できたものだと今にして思う。


「今、奥山の民エンイスカダムの『指折バウルジャ』と、君たちの同胞の戦士長ウザークイスキーにも呼び出しをかけています。彼らの話も合わせて聞けば、ハァレイさんが本当に、ただ愚かにもスァスの陰謀に乗せられただけだと確認できるでしょう」

「そうしたら、どうなるんでしょうか」

「恩赦を検討することになるでしょうね。閉鎖案の評決がどういう結果になろうとです」


 「恩赦ってなんだ」とリーナとカナトが訊いてくる。

 イリアにもよく分かっていないが、国に祝い事があった時など、軽い罪を犯したものを許し、放免する制度だったはずだ。

 チルカナジアでは王太子が【王位継承】を受け継ぎ、新しい王として即位したときなど行われていたはず。

 説明を聞いてもカナトは首をかしげたままだ。


「祝い事なんていつあるんだよ」

「スァスら一味を討伐すれば祝事ということになるでしょうね。南砂漠の民タクティキラダムの者が主導して討伐すれば、まあ一番丸く収まるのでしょうが、そうでなくとも何とか話をまとめられると思います」 


 自分たちの本郷が襲撃を受けてその犯人を倒されたからと祝い事にされ、ハァレイへの貸しが帳消しにされてしまうのは畑の民ザオラアダムにとってはいい迷惑のような気がするが、ともかく。

 いずれにしろニフリトにハァレイを重く処罰するつもりは無いらしかった。



「わかりました。そういう事なら今言う事はないです」

「それはよかった」

「話は変わりますけど、結局『国境完全閉鎖案』っていうのは何なんです? 俺たちも国境地帯近くで少しの間過ごしましたけど、そもそも物理的に塞げるようなものじゃないですよね。マヤリナ川の長さは220キーメルテもあるでしょう?  防壁なんかで塞ぐのは無理では?」

「皇帝国の魔境奥地の遺跡にそれくらいの防壁があったと聞きますが、まあマナ大氾濫以前の古代の話。現代では防壁などどんなに高く作っても、人間相手では建材の無駄でしょうね」

「じゃあどういう」

「アリィル殿や他4氏族の長が提案するところでは、マヤリナ川流域に1万の戦士を駐留させることで、数の力で北からの侵入を防ぐという事でした」

「あんな未開の土地にか?」

「マヤリナから運河を通して、河岸緑地も開拓して作物を育てれば可能と言っていますね。私が敵方ならそんな畑は焼くなり何か撒くなりしてしまいますが。ともかく、全氏族の派兵期間を今の4倍に増やせば可能なんだとか」

「一年に4カ月もですか。それは大変だ」


 スダータタル10万の戦士のうち、3割はまだ修業中のレベル30未満。

 2割は老年で1割は深森の民アルライアダムなので、現役で戦えるのは4万人に過ぎない。

 スダータタルの現役戦士はいま、一年に一カ月、移動にかかる数日を除けば25日間ほどを国の兵として働いている。北西・北東の国境と神聖都市サイギアの護衛軍にそれぞれ分かれ、合計3千人程度が常時派兵されていることになる。

 派兵の期間が4倍になれば、1万2千になるわけだから何とか成立はする。

 その分魔物狩りや農業の食料生産、鍛冶その他工業生産に回せる人員が減るし、一年の3分の1を家族と過ごせなくなる。魔物と戦わなければレベルも上げられないし、いかがなものか。


 今度はリーナがあくびをし、そのついでのように口を挟んできた。


奥山の民エンイスカダムの女氏族長が言ってたけど、もし私たちスダータタルだけで国境を守って、北の奴らが入ってこなくなったら傭兵は困るな。侵入者を捕虜にとって身代金を稼ぐのがあいつらの仕事だろ?」

「あんな連中が食うに困ろうがオレはいいけどな。だいたい身代金だってお互いさまで、受け取るのに近い額をこっちも払ってんだろ? 無駄金だ。オレは賛成だね、その閉鎖案ってやつに」


 疲労で頭が上手く回らないし、よく分からない話だ。結局はラウ皇帝国次第の問題な気がするが、かの国に対する知識をイリアはほとんど持っていない。


 そもそも氏族長会合は深森の民アルライアダムが支配しているのが実態と聞いていたのだが、だとすれば何故さっさと決定を下してしまわないのだろう。

 それを訊ねようとしたところ、ニフリトは3人に向かって指を立て、静かにするように合図した。

 目線の先を見ると、遠くのほうに白い影が見える。


「ヤギですね。これは逃すわけにいきません。肉が枯渇ぎみですから」


 茶色い法衣の懐から見たことのない武器が取り出される。

 蟲の翅を捻じ曲げたような形の金属片。掌大のそれが重なったものを一振りすると、4枚の翅が立体的に組み合わされた。

 カシャカシャいう音は鉄ではなく、もう少し軽い金属の音に聞こえる。

 ニフリトの周りに風が巻き起こり、やがてそれは渦巻くつむじ風となる。

 4枚翅の謎の武器の数は3つ取り出され、天に向かって泳ぐように揺れるつむじ風に巻かれ宙を舞い、高速で回転した。


 ヤギと呼ばれた白い影が接近し、頭部を激しく左右に振る。

 二本生えていた長大な角がガシャガシャと奇妙な音をたて、蛇腹のように伸びると先端が地面に落ちた。頭の動きとは無関係に、意志を持った鞭のように振り回されて空気を切り裂く音を立てる。

 よく見れば体高が人間の背を超えているし全然普通のヤギではない。魔物だ。


 凶化してこちらに突進してくる魔物ヤギに対し、武器と魔法の合成技が襲い掛かる。

 あっという間に全身を血だらけにされた魔物は足をもつれさせながらイリアの目の前で倒れた。

 戻って来た不思議な武器を空中で掴みとり、また小さく畳んだニフリト。

 魔物の腹側にしゃがみ込むと、素手の貫手を胸骨の下部に突き刺した。取り出された魔石は血で真っ赤に染まっている。


「仮想レベルは26くらいでしたか。誰が摂ります?」

「ずっと戦ってたのにイリアは最近魔石食ってないぞ!」

「あー、俺はいいです。今控えているので」

「それはまた何故?」

「この1カ月で25まで上げましたから。23になったのだってそんなに前じゃないですし」

「ふむ……」



 魔物ヤギの無色半透明の魔石をどちらが摂るのか、カナトとリーナがスダータタル式の手遊びで勝負を始めた。

 初めて見る遊びで規則が分からず見ていると、ニフリトがイリアに横から近づいて血で濡れてていない左手を差し出してくる。


「……なんです?」

「額に触れますからじっとしていてください」


 硬い手のひらが押し当てられると、すぐに覚えのある感覚が額から全身に広がっていく。ニフリトのマナがアビリティーに流れ込み、その構造にゆがみが無いのかを診断していく。


 数分後、マナの感覚が消えうせると、男見姑ザターナは足元の死体の角を掴んで担ぎあげた。


「特に歪みは無いようでしたよ。あと2レベルくらいなら問題ないと保証しましょう。ああ、料金はいりません」

「なんだニフリトさんは男ザターナだったのか。おいカナト、魔石はイリアに渡せよな」

「……いや、オレが勝ったんだからオレのものだ」

「お前な! 勝手だぞ!」


 カナトが魔石を齧った。その尻をリーナが後ろから蹴っている。


 ニフリトの診断はこれまで受けた2人の見姑のものより力強く感じたし、また実際に要した時間も短かったように思う。

 一般的に見姑は40になったらレベル上げをしないはずだったが、深森の民アルライアダムの氏族長補佐であるこの男は、どうもその原則に当てはまっていない気がした。

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