第256話 小会合

 痩せ型で神経質そうな男の目の下にはクマが出来ている。ハァレイに気付くと、右目の下瞼をビクビクと痙攣させた。

 入り口の左側に座るその男に対しハァレイは跪き、挨拶の礼の姿勢をとろうとして止められた。「時間の無駄」と言われたようだ。

 南砂漠の民タクティキラダム氏族長アリィルなのだと思われる。

 若者に流行っている刈り上げる髪型はしていなかった。普通の長さの髪を後ろになでつけている


 リーナが自分の父親の左横に飛んでいき、毛皮の敷物の上に座ると急にその肩を拳で殴った。


「父上! レベル20に至りました!」


 イシュマルは答えず、娘の角飾り付きの兜をそっと外すと床に置き、その頭を平手でピシリと叩き、それからすぐに同じ場所を3回撫でた。

 叩いたのは無礼に対する叱責。撫でたのは成人を果たしたことを褒めたのだろう。



「ニフリトさんよぉ、かわいらしい連中をぞろぞろと連れてきやがって、何のつもりなんだい」


 上ずったようなかすれ声を出したのは銀髪の女。

 おそらくこの幕屋内で座っている4人は全員氏族長だ。唯一、奥山の民エンイスカダムだけが女性を氏族長に戴いていて、その名はオマイマだったはず。

 妹アイラが製塩の郷バンサカの郷長。よく見れば顔の造作がほとんど同じだ。


 オマイマの問いに対し、深森の民アルライアダム氏族長補佐を名乗る髪の薄い男はにこやかに笑って答える。


「この若者たちはみな、例のスァスという女と会っています」

「それはそれは。ティニカイスじゃ近くで見た者がいないらしくてね、ぜひ印象を聞かせてほしいねぇ」

「まあそれは後々、本会合の場でということに」



 4人の氏族長のうち比較的がない一人。よく言えば一番親しみを感じる若い男。

 央山の民オルターワダムの幕屋の中に央山の民オルターワダム氏族長が居ないという事もないだろうから、巻き毛の長髪を激しく伸ばしっぱなしにしている中肉中背の20代男性がハークなのだろう。


「えー、では。揃ったようなので話し合いを始めたらいいんじゃないですかね、と……」



 ハァレイはアリィルの背後に控えて立っていた。無表情で下を向いている。

 南砂漠の民タクティキラダム氏族長が金属的な声でまず発言した。


「話し合いというが、私はニフリト殿を説得する機会を得られると聞いて来ただけなのだが」

「あー、でも…… こうしてみなさん、集まってくれましたから……」

「では言うがハーク殿、我らは孤立派の氏族として志を同じくしていたはずだ。あなたにも『国境完全閉鎖案』に賛成していただきたい。いつまで棄権に回られるつもりか」


 急に政治的な話らしきものが始まってしまった。

 疲労している今のイリアの頭には何のことやらわからないが、国境完全閉鎖とはつまり、国境を完全に閉鎖するという事だろうか。

 ある意味では当たり前のことのような気もする。スダータタルの国境監視は不十分で、川を自然の境界線として利用できているわりにはお粗末すぎると思っていたのだ。


 オマイマがヤガラ語で2、3言呟いた。意味は分からないが声音はどこかふざけているようにも聞こえる。

 アリィルがキッとなって見返した。


「……発言は共通語でしていただきたいな」

どうしてジーナ?』

「我らの母語ではあるが、いささか卑近で感傷的であり論理性が損なわれる。本会合も共通語で話すことになっているでしょう」

「ははっ。アリィル殿は国境を閉鎖して自分たちだけでこの国を守ろうっていうんだろう? そうなれば異国人の傭兵共も居なくなるのに、スダータタル人たる我らが西側みたいに共通語を話し続けるっていうのは、なんだか可笑しく感じるねえ」


 神経質な表情を一層硬直させ、指で右瞼の痙攣を抑えてから、最小氏族の長はまた言葉を返した。


「ヤガラ語はラハーム教の言語だ」

「我らはみなラハーム教徒だろう」


 何やら緊張感が走っている。

 何となく察するところでは、アリィルはラハーム教自治領のことを特に敵視していて、信仰を共有すること自体を否定したい気持ちが垣間見える。

 そしてそれはスダータタルにおいて、宗教的に冒涜的な態度ということになるのだろう。

 この国に来てまだ9カ月と少し。異教徒というか明確に信仰を持ってすらいないイリアには感覚的にわからない話だ。

 ふと同じ異国出身のガーラの顔を見たが、片方の眉をピクリと持ち上げて見せられただけだった。



「いや、なんていうか。やっぱり発言は共通語にしてほしいかなって、思うんです。どうもヤガラ語だと、子供っぽい話し方になってしまうので」

「ハーク殿は共通語でも子供っぽいよ」

「え? そうですか? ……すいません」

「いや気にしないでいいさ。アタシはそういうことを気にするたちじゃない。山の三氏族同士、仲良くやろうじゃないか」

「取り込もうとするんじゃない! 央山の民オルターワダムは我らと同じ孤立派なのだ!」

「あんたの言ってる『閉鎖案』はこれまでの孤立派の主張じゃないだろうが? 孤立派はずっと現状維持を唱えてきたんだよ、そんな急激な変化なんか誰も望んじゃいない、だからこそウエデニイだって首を縦に振っていないんだろうが?」


 熱くなってきた話し合いは、幕屋内に鳴り響いた大きな音で中断された。

 大きな両掌を打ち合わせたのはイシュマルだ。全員が静かになった間を見計らい、ザファルとリーナの父親は初めて口を開いた。


「アリィル殿が国境の完全閉鎖を提唱したのは、我らザオラアダムの本郷ティニカイスまでが敵に侵され、そんな事態を看過できないと、そういう話でしたな?」

「……そうですが」

「正直に言おう、我らの目にはそれが欺瞞にうつる。我らの不幸を自分たちの主張に利用されては困る。ザターナ見習いのしでかした間違いをごまかし、無かったことにするためにあえて過激な主張を振りかざしているのではないのか」

南砂漠の民タクティキラダムがそんな卑怯者だと言いたいのか!」


 イシュマルはアリィルの怒りに応えることなく、カナトやザファルと一緒に入り口近くに立ち尽くしているイリアを見てきた。


「だいたいひと月ぶりになるか、イェリヤ」

「あ、はい」

「ザファルが襲われたことは、スァスによる二度目の襲撃という事態を受けて公にせざるを得なくなった。だが先月22日まで公表しないという約束は、まあ結果的に守られたと言える。ハァレイに対する捕虜権の行使はすでに終了したということで納得できような」

「……まあ、はい」


 イシュマルは再びアリィルに向き直った。


「こうして若者たちが、新たな真のザターナを貴殿のところまで還してくれた。そして、その罪も南砂漠の民タクティキラダムに帰って来たと言える。息子に対する罪の償いを要求する権利が今、この私にある」

「……」

「そいつはいいなぁ!」


 オマイマが大声で口をはさんだ。


「その一回目の襲撃に関しちゃ、うちのカルクザーク候補『指折のバウルジャ』も被害者の一人なんだ、奴にも賠償を求める権利がある。アタシが代理で要求するよ。国境完全閉鎖なんて危なっかしい話を引っ込めてくれりゃ、無かったことにしてもいい」

「いったい何が危ないというんだ! ハァレイをそそのかしたそのスァスのような者が紛れ込み、国を乱していること以上に危ないことなどあるか⁉ イシュマル殿も、なぜ氏族の者を害されてなお融和主義にこだわるのか!」

「何が危ないってわかり切ってるだろう。皇帝国だ! 我ら十氏族総勢40万。所詮は世界最弱国に過ぎないんだぞ?」

「弱いままでは潰される。だから強くなろうという話をしている!」

「弱いままだから生かされているんだ。完全に閉ざした国境の中で何も様子が分からず、いつ牙をむいてくるかわからない存在など、皇帝国2千万の本気の前に一瞬で消し飛ばされるぞ!」



 権力者同士の激しい言い争いはその後もずっと続いた。

 アリィルが言う事には、ラウ皇帝国は現在、皇都の南東の大山脈のむこうに生き残っていた別の人類国家との衝突により、スダータタルに関わっている余裕は無いはずなのだとか。

 融和派氏族の長二人は、そんな話はうわさに過ぎないと一蹴した。

 ラウ皇帝国の現状がどのようなものなのかは、彼ら氏族長の見識によっても明らかではないようだ。イリアなどには想像の及ぶ範疇ですらない。


 央山の民オルターワダム氏族長ハークは何も言えずにおろおろとしている。半刻経っても話し合いの結論は出ない。

 リーナが父親にもたれかかってウトウトとしはじめた。今日一日、生涯で最大の運動量を経験したのは皆同じだ。


 「子供たちを休ませよう」と提案したのはイシュマルだった。話し合いの場に居続けても何が出来るわけでもない。

 自分たちの幕屋は岩山宿泊所に置いてきてしまったが、ニフリトはあらかじめイリアたちが泊まるための場所をこの大幕屋の裏に用意しているらしかった。

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