第255話 ヤスィル高原

 夕刻にアクリア郷近郊に到着した。といっても、向こうからはこちらを視認できないほどの位置、東西に延びる経路からも見えない大きな岩の陰だ。


 【魔物使い】は氏族長会合には当たり前に姿を見せるらしく、各氏族の屋形周りアイナラシンダに所属するような一級のスダータタル戦士なら年に2回は目にしていることになる。

 発現すれば深森の民アルライアダムに所属を替えなければいけないのだから、ある程度忌避される存在ではあるのだ。おおっぴらにされてはいないが、いわば「公然の秘密」というべき事柄なのだろう。


 ここまでの道中、カナトは3回草ネコグマの背に乗っていたし、ザナイルの後ろについて何か会話もしていた。

 【魔物使い】保有者によって両親を殺され故郷も滅んでいるカナトだったが、アビリティー種別自体を恨みの対象にすることは無いようだった。


 アクリアからヤスィル高原遺跡群まではあと30キーメルテ程度。日暮れには間に合わないが、このまま行けば今晩中にはたどり着ける。しかしハァレイが限界を訴え、少し長めの休憩をとることになった。



「ごめんなさいね…… 自分では一歩も走っていないのに……」

「いや、つかまってるのも楽じゃないってのはわかる」


 イリアは合計で2刻間も乗っていないのだが、それでも振動に耐えて姿勢を保つのに背骨周りの普段使わない筋肉が異常をきたしている。

 延べ7刻間にわたって乗りっぱなし、髪の毛がぐちゃぐちゃになっているハァレイの疲弊は見ればわかる。


 ガーラはずっと走りっぱなしだったのだが、てんで平気そうな顔をしている。もちろんそれは演技でしかないはずだ。

 レベルは50を超えているはずだが年齢は55歳。『力』の恩恵で運動の負荷自体は大したことがなくとも、常人つねびとが平坦な道を7刻間歩き続けるのと同程度の疲れがあるはず。

 にもかかわらずガーラはアクリア郷の市場まで一人駆けていき、樽一杯の水と干し果物の詰まった大袋を担いで戻って来た。



 皆で水分と栄養の補給をして、残った分は草ネコグマに与える。

 常に4人の人間を背負ったままで一番働いたはずの魔物は、平気そうな顔をして樽の中身をおいしそうに飲んでいる。

 いったいどれほど格の高い魔物なのかザナイルに訊いてみた所、仮想レベルは40に届かないはずだという。


「確かですか? こんなに丈夫で力強いのに?」

「オレのレベルが33しかないんだからな。40になるまでは、自分のレベルに対して仮想レベルの数値が1.2倍の魔物までしか≪凶化抑制≫が効かない」

「じゃあ、40以降は」

「異能変異してもそこまで伸びない。1.3倍より少し多いくらいだったかな」

「……失礼ですけど、レベル33で屋形周りアイナラシンダに選ばれるものなんですかね?」

「オレはアイナラシンダじゃない。央山の民オルターワダムに縁があるからって今回急に呼び出されたんだ。うちの領はヤスィルのすぐ北だからな。近いんだ」

「え? じゃあ偶然ザナイルさんが貴重な草ネコグマの飼い主だったってことですか」

「別に一頭の魔物に一人の飼い主がついてるわけじゃないぞ。オレたち【魔物使い】はレベルが上がればどんどん扱える魔物の格も高くなるんだ。しょっちゅう乗り換えてるしだいたい共用してる」

「そうなんですか…… なんか、ちょっと残念な気が……」

「なにがだ。どういう意味だ」

「いや、いいんです。ちょっと変な期待をしていただけで」


 ハァレイを呼び出すのに央山の民オルターワダム関係者が出てきたのは、名目上まだハァレイの捕虜権を持っているイリアに対する配慮ということなのか。

 ともかく、半刻ほど休憩してなんとか立て直したイリアら8人と1頭は、沈みゆく夕日を左手にヤスィル高原に向かって岩石砂漠を北上していった。




 氏族領ひとつと同じ程の面積があるヤスィル高原は場所によっては標高が800メルテを超えるらしい。

 山と言えるような険しさはなく、砂利が敷き詰められた上り坂の道はずっとなだらかだった。


 高原は水豊の民ベイシーラダム領と岩石砂漠地域を隔てるような位置にあり、雨が豊富で植物が育ちやすいはずなのだが、大型樹木は一本も生えていない。

 毎年二度の氏族長会合のたび、合計で1千人あつまる屋形周りアイナラシンダの面々が若木を見つけるそばから伐採し、森に変わらないように広大な面積を維持し続けているのだ。

 畑にして作物を育てないのがもったいなく思えるが、おかげで見通しは良く、日が暮れてもガーラの操る『煌炎バアルギバー』の灯りさえあれば魔物からの奇襲を受ける心配はなかった。


 途中流れていた小さな沢で空の水筒を満たし、1刻の間歩き続けてだいたい夜の3刻頃。

 照明係を替わったカナトが照らす進行方向、その少し右側に炎の灯りが見えてきた。向こうもこちらに気が付いているようで、炎を大きくしたり小さくしたり合図している。

 ガーラの指示通り、道を外れて草地を進むことわずか。

 草原の真ん中に小さな幕屋を張り、その横で男が薪で火を焚いていた。

 預かっていた大斧と『牛首刈り』をガリムに押し付け、ガーラは男に向かって歩み寄っていった。


「やあ、お帰りなさい。ずいぶん大勢お連れになったようですが、大変ではなかったですか」

「ニフリト殿こそこんなところで何を。まさかおひとりですか?」

「ことは秘匿性を帯びていますのでね。そちらのお嬢さんが、見姑ザターナ見習いのハァレイさんか」


 ニフリトと呼ばれた男は草の根染めの茶色い法衣のような服を着ている。

 年代はガーラと同じ50代半ばに思えるが、頭髪がすっかり薄くなっているからそう見えるだけかもしれない。


「……そうです、私がハァレイです……」

「すっかりお疲れに見えますね。しかし、少しがんばって協力していただきたいと思います。お願いできますか」

「ええ、まあ……」

「おっと、私が誰か言うのを忘れていた。私は深森の民アルライアダム氏族長の補佐というか、手下をしている者です」

「そうですか……」

「では行きましょう。少し行けばあなたの、南砂漠の民タクティキラダムの長アリィル殿がいらっしゃいますから」


 リーナが名残惜し気に見送るのを背に、ザナイルがネコグマに騎乗したまま暗闇に去っていく。

 ニフリトを先頭に草原を四半半刻ほど進むと、上り坂の頂点のむこう側、煙や水蒸気が雲のように溜まって茜色の明りに照らされているのが見えた。

 ハァレイも疲れているが、ずっと口をきいていないザファルも同じくらいくたびれている。魔法型ステータスではない4人はまだマシだが限界は近い。

 頑張って坂を上りきると、そこには大小の幕屋が無数に建ち並ぶ光景が広がっていた。



「うちの氏族だ」


 カナトが言うのに目を向けると、こちらに向かって歩いてくる4人の大柄な男のうち二人が髪を後ろで結っている。三つ編み自体は見えないが、そういう髪型だ。

 ガーラが手を挙げて挨拶すると、向こうは事情を察したのか引き返して行った。

 スダータタルの最強戦力である屋形周りアイナラシンダの集まるこの空間に、イリアたちのような10代の人間がいること自体が異常な事であり、遠くからこちらを見つめる彼らの視線はいかにも不思議そうだ。


 幕屋の数はどう見ても100以上あるようで、この場に野営するのは央山の民オルターワダムだけではない。他氏族の野営地もあまり区分なくつながっているのだと思われる。

 夕食を調理するにおいに混じって、汗臭さや、排泄物的なにおいまで若干感じられる。

 出しっぱなしというわけではなく、こういう場合は穴を掘って埋めるわけだ。しかしその場所は限られるので、長くいるうちに埋めたものをまた掘り返してしまうという失態が起きたりする。

 予定では10日前に会合は終了していたはずであり、不潔な状態になってしまうのは致し方ないだろう。



「こちらですよ。皆さんお待ちになっているはずです」


 ニフリトが示した大幕屋はふた家族くらい住めそうな巨大なものだ。

 立派な鎧に大きな武器。それに多くが弓を携えた完全武装の戦士が10人、周囲に立ったままで番をしている。

 イリアがスダータタルにやってきて以来、最も規律正しく見える光景。戦士の顔に無精ひげが長く伸びていることを除けばだが。


 入り口に垂れ下がる紺色の布にはジリスを象徴にした紋章が刺繍されていて、この大幕屋が央山の民オルターワダムのものだと示している。

 先を歩くニフリトとガーラが二枚目の入り口幕をはぐると、広い空間の中心にガラス覆い付きの灯壺が置かれているのが目に入った。防火のためにその周りには何も置かれていないのだが、少し距離をとった所に毛皮の敷物か4枚敷かれていて、4人の人物が座っている。

 4人が重要人物で、その後ろに控えている者は護衛でしかない。

 こういう場の経験が少ないイリアにも一目見てそうわかるだけの雰囲気がある。


 一人は小柄な30代と見える女で珍しい銀髪をしている。薄い眉毛は黒い色をしているので、脱色しているかカツラの可能性がある。

 もう一人は痩せた中年の男。神経質そうな容貌だが、肩回りなどは服の上からでも鍛えられた筋肉が見てとれ、スダータタル戦士としての精悍さも十分感じさせた。

 一番奥に座る人物には見覚えがある。

 イリアのあとから入って来たリーナが、「あっ! 父上!」と声を出した。

 脂肪のついたアゴを自分の右手の甲でヒタヒタと叩いている壮年の巨漢は、畑の民ザオラアダム氏族長イシュマルその人だった。

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