第249話 鹵獲品
寄り道をしたせいもありポニクスに到着したのは少し遅くなった。岩石砂漠の地平線に夕日がかがやき防壁を真っ赤に染め上げている。
同じ北東部砂漠地域にあるとはいえ、国境マヤリナ川を挟んで敵国と隣り合う
具体的にいうなら、改築されたのだろう色の違う部分の石材が表面の凹凸を削りきれておらず、頑張ればイリアでもよじ登れそうに見える。
とはいえ実際のところ、こういった防壁に敵勢力の侵入を防ぐという意味合いはあまりない。たとえ凹凸がすっかりなくなるように丁寧に作ったところで、アビリティー保有者なら突破する方法はいくつも考えつく。
大昔、
壁はあくまで遠くまで見通すための見張り台と、魔物対策の意味しかないという軍事上の価値観をイリアはスダータタルにきてから学んでいる。
はるか遠くに
基本的に何もないまっ平らな土地に建てられたポニクスは、西と南と北に通用門があり、やはり門衛はいない。
普段は
完全な無秩序ということはないのだが、氏族長直轄戦力がほぼいなくなってしまう毎年3月と9月の満月前後の期間、血縁上のつながりで結ばれたアビリティー保有者の集団が幅を利かせることになり、その中には腕とレベルを持っていても掟を理解するだけの頭が無いような者が含まれる。
咎める者がいないのをいいことに、他の一族の資産や財産、商売の利権を奪おうと画策したり、あるいはそれを防ぐために暴力的な手段が用いられる事件が頻繁に起きるようになる。
そしてその危機は氏族長会合が長引けば長引くほどに増大する。
ある種の息抜きの時期であって、活気があって良いという者もいるのだが、法というか制度というか、何もかもが粗雑すぎるのではないか。
こんなやり方はさっさと改めるべきだ。異国人であるイリアにはそう思えてならない。
西門はなんの理由なのか防壁の上の方が崩壊し、骨組みの構造が見えてしまっていた。中に入り密集する建物の間の暗い路地を進む。
2年半前に引っ越して以来住んでいる地元民のハァレイが先立って案内し、一度中央広場に出てから北に向かった。北の区域に専業の宿屋が数軒あるらしい。
ポニクスは水源地が遠い。地下水路で運ばれた水が、郷のあちこちに掘られた穴に溜められているのだそうだ。
ある種の井戸だが、清潔な水が十分に手に入る環境とは言えない。
どこの宿にも充実した入浴施設はなく、料理もあまり上等ではないので厳選する意味はないという。枕が描かれた絵看板のかかった宿屋に入った。
受付の奥で茶を飲んでいた目つきの悪い中年女に向かって、ハァレイが7人分の部屋を要求している。
「いやちょっと待てよ。なんで7人分の部屋をとる?」
「なによカナト。なんの問題があるの」
「ハァレイは家があるんだろ? なんでわざわざ金を払ってこんなちんけな宿に泊まるんだ」
宿の中年女が「あぁん?」と言って立ち上がりかけた。ザファルが宥めている。
当然の疑問に対しハァレイの答えは予想されたものだった。
スァスにそそのかされザファル襲撃に参加する前から、魔物狩りの名目で家出のようなことをしていたとはいうが、ひと月近くも帰らなかったのは今回が初めてらしい。
「4日歩き続けた上に、帰ってまた母さんと怒鳴りあうなんて嫌なのよ。今日一晩くらいゆっくり休んで、話すのは明日にしたいの」
帰宅が遅れたことについてはイリアにも責任の一端がある気がするので、できることはないか考えてみたが何も思いつかない。
「えーっと、
「そりゃあね。何度も検診を受けたし」
「会いに行かなくていいのかな? 今回のことの報告をするついでに、親子関係を取り持ってもらうとか」
「今この状況でどうにかポニクスを仕切るのに忙しい夫人に、そんな迷惑かけられないでしょう。出頭するのは氏族長が帰って来てからにするわ。むしろそっちの方が気が重いくらいだし」
「それもそうか……」
同室になるリーナも楽しそうにしているし、宿代が本人の財布から出るのなら誰が文句を言う事でもない。
ハァレイが言っていたように、宿の食事はあまり上等とは言えないものだった。塩干しの魔物肉を野草と一緒に煮た汁物に、棒状の発酵パンが一本。
本来スダータタル自体が豊かな国ではないのだから、実はこの程度が標準的な食事であり、ここ最近が変に豪勢すぎただけだ。
ハァレイ親子の住んでいる家は氏族長屋形と同じ区画にある。
ぐずぐずと宿に残っていた本人も陽が高くなるころには意を決し、いちど中央広場に戻ってから大通りを東に進んだ。
イサクとの雇用契約はポニクスに到着するまでだったので、今朝宿の玄関で見送った。すでに
先頭を行くハァレイの後ろに5人がついて歩く。
いったい何をしているのかとハァレイに聞いたところ、布を屋根として使っているのではなく、鉱油以外のもう一つの特産である麻布を天日に晒すことで漂白しているのだそうだ。
他の氏族領では見ない「晒し布」は、単なる業務というわけではなく氏族の伝統文化のような扱いらしく、氏族長
塀で囲まれている屋形の周辺にいくつも石造りの家屋が建ち並んでいる。そのうちの一棟、扉の無い入り口からハァレイが中に入っていった。どう見ても親子二人暮らしの大きさではない。
数世帯が一緒に暮らすいわゆる集合住宅らしく、二階へ上がった踊り場の南側に本当の玄関扉があった。
ハァレイが扉を叩くと、それほど間を置かず中年女性が出てきて驚嘆の声を上げる。
イリアの耳にも「ハァレイ
その後の会話もずっとヤガラ語で意味がほぼ分からなかった。カナトに説明してもらったところ、女はやはり使用人だったらしく、母親は今出かけているとのことだった。
氏族長屋形の隣のこの建物に住む他の3世帯は、
母娘の住居として割り当てられている二階の南半分。その一角にある大きな出窓に面した応接間は日当たりがいいだけでなく、床に白い化粧石が使われていて反射光でさらに明るい。
使用人が淹れた豆茶を飲みながらしばらく待っていても、まだ母親は帰ってこなかった。
やがてハァレイが立ち上がり、カナトに付いてくるように言う。
「あげるって言ったものを見に行きましょう。使える物だったらいいのだけれど」
槍のことだ。待っていても退屈なのでイリアもついて行くことにした。
使用人を合わせても3人しか住んでいないのに、立派な部屋がいくつもあって内装も美しかった。
だが物置として使われている北側の小部屋はそうでもなく、石壁がむき出しで窓が小さく、暗くてすこし湿って感じられる。
隅に長柄の武器が立てかけてあった。1メルテ半の鉄の柄の先に太くなっている部分があり、16本の刺が規則性を持って全方位に生えている。
おそらくは鋼鉄製なのだが、表面に赤さびが浮き出ていて材質はよく分からなかった。重さは10キーラムを超えるだろう。
「これって、お父さんの……?」
「そう。それはあげられないわ」
「そりゃまあわかってるけど……」
父親の形見の横には棚があり、武器がいくつも並べられていた。ハァレイは一番下の棚板に載っていたものを取り出してカナトに手渡した。
柄を差し込む部分を合わせれば半メルテある中型の穂先だ。いかにも鋭そうな形状をしているが、赤さびで表面を覆われているのはこれも同じだった。
カナトは爪で錆を擦ったり、叩いたりしながら何か確かめている。気になることがあったのか、明かりが採れる窓のほうに行ってしまった。
「あれって武技系用の薄刃作りの武器だろ? なんで成長系のお父さんが持ってたのか理由は分かる?」
「敵から取ったものじゃない? 年に一度国境地帯に派兵されてたから、その時捕まえた敵から剥ぎとったとか、そんなところでしょ」
「そうか。大変だよな実際。レベル30を超えたら義務があるんだったか」
「火竜と戦うことになったのも派兵せいよ。私たち家族は南西の小さな郷で暮らしてたのに、マヤリナ川から帰ってくる途中この本郷に立ち寄ったせいで、あんなことに巻き込まれることになっちゃった」
戻って来たカナトが眉の形をゆがめながら「これはこの国の武器じゃない」と言ってくる。敵からの
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