第248話 火竜のふざけた生態

 結局夜になっても会合を終えた氏族長たちがアクリアに帰ってくることはなかった。

 南に支配領のある5氏族の屋形周りアイナラシンダを合わせれば5百名にもなる。彼らは最低限の食料を自分たちで準備するらしいが、会合終了後、人里に降りての初めての食事は宴会のようなものになるのが通例だ。

 その宴の席を整えるだけの食料が余ってしまったためだろう、イリアたちの宿での食事は異常に豪華なものになった。腐りやすい生造きづくりの獣や魚や蟲の肉、葉野菜などが皿に山盛りで出てくる。

 イサク以外は全員十代の健康な胃を持っているので、残すことなくすべて平らげ、満腹のうちに眠りに就いた。



 翌朝、9月の24日は雨模様だった。砂漠地域とはいえ中央連山に近い南砂漠の民タクティキラダム領ではある程度降水がある。

 雨具を被っての道行きはあまり気分が盛り上がるものではない。

 雨音のせいでイサクの【耳利き】による索敵に支障が出ているらしいが、砂漠地域はおおむね平たんであり、少し高台に登れば遠くまで見通すこともできる。

 4日連続の移動の最終日も予定通りに進行した。なにも問題は起きない。


 少し大きな丘の向こう側が死角になっている。イサクに聴いてもらい、何も潜んでいないことを確認してからカナトが頂上に駆け上った。周囲を確認し、何かを見つけたらしく手招きをする。

 全員で登ってみると、北の方角、数百メルテむこうに小さな郷があり、その周囲に不思議な建造物が立っている。


 高さ30メルテにも及びそうな木造やぐらで、その上で人間が作業をしているのが見てとれる。

 「油井ゆせいよ」とハァレイが言った。話には聞いていたがイリアは初めて見る。

 大地の岩盤の底に溜まっている鉱油を汲み上げるための施設で、水を汲む井戸よりはるかに深く掘り、長い長い竿を作ってその先端に特殊な金属桶をとりつけ、穴の底に突っ込んでは引っ張り出す。その繰り返し。

 ある程度汲むと尽きてしまうらしく、そうしたらまた別の部分を掘るそうだ。

 ザファルの探査地魔法は他の魔法の射程距離と同じく20メルテしか探れないが、鉱油が出るのはもっと深い場所だそうで、鉱脈を探り当てる方法はもっぱら長年蓄積された知恵によるらしい。



 朝食も豪勢だったので昼は「爆ぜ麦」だけ食べた。

 イサクが作ったもので、密閉性の高い鉄の容器に入れた大麦を火にかけ、内圧が高まったところを見極めて一気に開放、爆発的に麦を膨らませるという料理。

 爆発的というか、実際爆発する。容器から飛び出して宙を舞う大麦を、広げた布を使って全員で回収した。

 容器の蓋は半回転で外れるネジ式になっていて、それを一瞬で回すのには慣れと技術だけでなくステータスが必要だ。それに場合によっては刺激で容器ごと爆発して危険なので『耐久』が低い者は真似するべきではない。

 麦に含有する水分が一気に蒸発し、無数に生じた微小な気泡によってサクサクと軽い口触りになる。塩をまぶして食べるとおいしいのだが、栄養としては貧弱なものだ。食事というよりは菓子に近い。



 食べ終わって空を眺めると雨雲は晴れている。

 ハァレイが皆に対して頼みごとをしてきた。経路を少し外れて父親の墓碑に参りたいのだという。イリアには権利がないのでザファルに判断してもらう。


「今日中にポニクスに着ければ寄り道するのは構わないんだけど、危険な場所ではないんだよね?」

「一人だと行くのをためらう程度には危険だけど。みんなと一緒なら大丈夫」

「じゃあ行こうか。せっかくだし」



 地理的感覚もあまり鋭いとは言えないハァレイだが、目的の場所への分かれ道には目印の石柱が立っていたので迷うことはなかった。

 南東に向かう道に入って約1刻半。駆け足でたどり着いた場所は一見すると何もない。


 油井の櫓の跡らしき残骸が見つかり、近寄って見ると真っ黒に焦げた直径2デーメルテほどの穴が見つかった。

 墓碑はそこからさらに東に行ったところ。岩の上部を平らに削り、中心に四角いでっぱりを残して成形されて表面に文字が刻まれている。

 ヤガラ語の文字らしく、読めるのは畑の民ザオラアダム氏族長子の兄妹だけだった。ハァレイに請われて、ザファルが全文を読んだ。


「『オオアシネズミの年12月。西35油井に生じた火災によって現れた火竜と勇敢に戦った戦士マクサットを称えこの墓碑を残す。マクサットの魂はカルクザークとして天に召され神の御許で永遠の栄光と共にある』だってさ」


 火竜と聞いてイリアは驚いた。カナトも同様のようだ。

 4大竜の一角であり、最も神秘に満ちているというか、生き物であるかどうかすら怪しい存在だ。


 人間の火の不始末によらなくても、落雷の影響などで森林に火災が起きることがある。そうした場所に突如として現れる巨大な黒いトカゲのようなものが火竜だ。

 直立で二足歩行し、頭部のある位置は高さ20メルテを超えるらしい。長い尾を引きずって歩き、近くに人間がいれば当然襲ってくるわけだが、動き自体は鈍く、脅威となるのは口から吐く火炎だ。

 人間の単火精霊魔法ではあり得ない高温の炎は射程距離も魔法の比ではなく、200メルテ離れた位置にいても焼き殺された例がある。


 森の奥地に出てきたときは、放っておけば一帯の樹木を燃やし尽くしていずれどこかへと消えてしまう。問題なのは人里近くに出現した時で、見つけた人間に次々火炎を吐きかけ、踏みつぶし焼き殺した相手が死ぬたび、捕食するわけでもないのに体を大きくしていく。

 そうならないよう、十分な戦力を整えたうえで一気に倒さなければ、やがて頭高30メルテを超えた火竜は「極性火竜」と呼ばれる存在となり、極性火竜が生じた地域一帯が人間の住む場所ではなくなると言われている。



 ザファルが墓碑文を読み終えても、ハァレイは跪いて祈るわけでもなく、岩の上に立ったまましばらくじっとしていた。

 やがて飛び降りて、「行きましょう」と先立って歩きだす。イサクが追い抜いて先頭に立ち、元の経路に戻れるように方角を見ながら歩き始めた。

 ハァレイに追いついたカナトが後ろから声をかける。


「親父さんは凄い戦士だったんだな。火竜が退治されたなんて噂は聞いてなかった。当時はオレもスダータタルに居たはずなんだが」

「不名誉なことだから言いふらさなかったんでしょうね。そもそも油井を火事で失うなんてあってはいけないことだし。それ以上に、氏族長が指揮をとったうえに総出で戦って、9人も死者を出したのは大失態だと思う」

「9人?」

「それくらいだと言われてるわ。本当だったら時間をかけて、他の氏族の協力も募って、なんだったかしら…… レベル60以上の」


 待っていても言葉が出てこないようなのでイリアが答えた。


「達人級?」

「そう。達人級の人をかき集めて挑むべきだったのよ。それなら火竜の炎でも少しは耐えられるんでしょ? なのに氏族長は焦って、屋形周りアイナラシンダだけじゃなくお父さんみたいな半端な戦士も一緒に連れてって、数の力で何とかしようとした」



 スダータタルにおいてアビリティー保有者とは、すなわち生涯かけて「戦士」として戦い続ける存在だ。そのため平均レベルは西部先進国より高くなる。

 しかし、戦士団のように一人の人間のレベル上げを意図的に進める仕組みがないためなのか、達人級戦士の人口比割合は結局同じ程度で、各氏族に数人居るだけだろう。多くは中年を過ぎていて、その半分は老年だ。


 南砂漠の民タクティキラダム氏族長が焦った理由は分からないでもない。

 火竜は殺すとその全身が燃え上がり、死体は崩れて消し炭の山のようなものが残るらしい。山の中には80レベル相当格の魔石が見つかるというが、それはともかく。

 死にざまも含めて生物というよりも半精霊のような存在の火竜はその挙動も人間の理解を超えていて、囮を使って進む方向を誘導することもできないと言われてる。


 約10キーメルテ先に支配領本郷ポニクスがあり、その人口は3千人を超えているはずだ。

 もし火竜がポニクスに向かい、住人をみな焼き殺せば確実に「極性火竜」になったことだろう。防ぐには住民すべてを避難させるしかない。

 人的被害を出さずに済んでも、達人級戦力を集めている間に本郷を破壊しつくされれば、そもそも人口の少ない南砂漠の民タクティキラダムは氏族として終わり、スダータタルは十氏族でなく九氏族の国になっていた可能性があるのではないか。


 氏族の存続と引き換えに失われた9人の命は高くついたのか、あるいは逆だったのか。イリアには分からないことだが気になることはある。

 聞きにくいことなので黙っていたが、ハァレイは自分から話し始めた。


「たぶんだけど、お父さんは別に一番活躍したから『死せる偉大な戦士モラリカルクザーク』に認定されたわけじゃなと思う。アビリティーも『成長系』だったし、死んだ人の中で一番レベルが高かったわけでもない」

「……じゃあ何で?」

「誰でもよかったんじゃない? 火竜が出てしまったから死ぬのを避けられなかった人もいれば、氏族長の指揮がまずくて死んだ人も居るだろうし、本当のところはそのときその場にいた人しかわからないのよね。けど、お父さん以外の8人は氏族長の指揮に従わなかったせいで死んだって話に、誰も違うとは言わない。これって信じていいことだと思う?」


 ハァレイの口調は淡々としていて、不誠実な現実に対する嘆きや恨みの感情は聞こえない。だがその内面はきっと違っているだろう。


 「孤立派」である自分の氏族に誇りを持っていて、それでザファルとの婚姻を嫌がって事件を起こしたと、今までそういうふうにイリアは理解していた。

 実際のハァレイの気持ちはもっと複雑なのかもしれない。

 曖昧模糊とした事情で魂起たまおこしをうけることになり、あろうことかこの国で4人目の女見姑ザターナという重要な存在となってしまう。

 望んだこともないのに魔物との戦いを強いられ、長い時間をかけて40までのレベル上げをしなければ許されない未来。そして氏族長会合で知らぬ間に決められる結婚話。


 すべてが意思とは無関係に運ばれている。自分の身に置き換えた時、自暴自棄にならないと言えるだろうか。

 数奇な運命という点ではイリアも負けていないが、もしハァレイと同じ立場になっていたら、合理的な行動だけをしていたとは思えなかった。

 掛ける言葉もないままで右目に見た横顔は、これから帰還するポニクスのある方角をただ無感情に眺めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る