第247話 イサクの見識

 南砂漠の民タクティキラダム領、南西端の郷であるアクリアに到着したのは昼過ぎのことだった。ハァレイを送り届けなければいけない本郷ポニクスまではまだ50キーメルテ近くあり、無理をしても今日中にたどり着けるとは限らない。

 まともな宿が途中の郷にはないので、このアクリアで泊まるのが最善の選択と考えるべきだ。また、それ以外にもこの地を素通りできない理由がある。


 アクリアは中央連山の中心である中指峰クァーフラウの山頂から真北の位置にあり、東と西と北、3方向の道の分岐点に作られている。

 道沿いにさらに30キーメルテ北に進めばでヤスィル高原に出ることになる。


 縛鎖カフハーズ山脈と二つの海に囲まれ、陸の孤島のように存在する、現在のスダータタル族長国。この北カフハーズの地をトゥドメルテ大王とその子孫が支配していた時代を「サバラァ民族入植期」という。

 KJ紀元前300年から200年ごろと言われるその時期に作られた地下遺跡群が存在するのがヤスィル高原。遺跡の数は50近くもあるらしく、毎年二度、春と秋にそのどこかで氏族長会合が開かれている。


 12日の「月見の先夜宴」から始まったはずの会合が予定通りに終了していれば、昨日22日にはすべての結論が出ていることになる。

 十氏族の中で南側に支配領を持つ5氏族が帰還するとき、今日あたりにこのアクリア郷を通過するはずだった。



 イリアたちは4軒ある中で一番大きな、白い漆喰壁が特徴の3階建ての宿に入った。

 受付の男に話を聞くが、氏族長たちはまだ誰も帰ってきていないという。

 宿に到着するまで、住民数人に聞いた時も同じ答えが返ってきている。


「会合が長引いてるんですかね?」

「知らないよ。どうせ偉い人たちはここで飲み食いはしても壁外に野営するんだ。食材は値上がりするし、儲かるのは食い物屋ばっかりさ」


 ハァレイの問題について畑の民ザオラアダム南砂漠の民タクティキラダムの話し合いがどうなったのかを知りたかったのだが、理由はともかく実際に帰ってきていないなら仕方がなかった。

 この郷で滞在費を払って待ち続けるわけにもいかない。

 ヤスィル高原は広く、氏族長会合がどの遺跡で開かれているのかは基本的に秘密だ。そもそも無関係の者が立ち入るのは禁じられているので自分たちから向かうこともできない。

 仕方がないので結局は予定通り、明日一日移動して本郷ポニクスに向かうことになる。


「それよりどうするの。部屋とるの」

「じゃあ、3部屋お願いします」


 ハァレイは現金の持ち合わせがあまりなかったが、リーナにいくらか借りているようだ。それぞれが自分の財布から宿代を支払い、女子部屋と、ザファルガリムとイサクの三人部屋、それとイリアカナトの部屋に別れた。



 鎧を脱いで荷物を解き、日暮れまで間があるのでどうしようかと思っていたら部屋の扉を叩く音がする。出てみるとそこにいたのはリーナだ。


「ちょっと確かめたいことがある。ふたりとも顔を貸してくれ」

「えーっと……?」

「難しいことじゃない」


 リーナについて宿を出る。

 砂漠地域の中では中央連山麓に近いアクリアは木材の入手が比較的容易であり、鉱油の産出で有名な支配領だが薪が使われることも多い。

 狭い路地を通行人に道を聞きながら進み、たどり着いたのは材木屋だった。1メルテから2メルテまでの、歪んでいて成形もされていない安い材木を買い、リーナが代金を払った。


 3人で分担して持って防壁の外に出る。

 防壁の南側には亜麻を栽培している畑が広がっていたらしいが、収穫はすでに終わって広く空き地が出来ていた。リーナが材木を地面に並べ終わる。


「私は今レベル19で、カナトは20だったな。ステータスはどうなってる? 私は『マナ出力』と『マナ操作』がちょっと低いが、あとはだいたい100くらいある」

「オレは全部均等だ。たぶんだけどな」

「そうか」


 リーナは2メルテの材木をカナトに投げ渡した。自分はそれより少し短い、根元が太くなっている枝を逆さに持つ。


「ちょっと試合してみよう。本気で」

「……まあいいぜ」


 それぞれの得意武器に似た形状の材木を手に、リーナとカナトの試合が始まった。兜も鎧もなく布の服を着ているだけ。

 いちおう審判役と言われたイリアが「始め」の声をかけるとリーナが打ちかかり、確かめるように何合か武器をぶつけあってから、カナトが振り下ろした材木の先端がリーナの右肩を直撃。

 脆い材木は少女の鎖骨にぶつかってベキリと折れた。もともと玩具の材料にしかならないような品質だったが、もう薪屋に叩き売るしかないだろう。


「……」

「無事だよな?」

「ああ…… 私の負けだ」


 肩をさすったリーナは試合の結果に文句を言うでもなく、今度は1メルテ程度の太めの一本を拾い上げイリアに投げてきた。


「俺も?」

「たのむ。……いや、分かってる。レベルも違うし、勝てないんだろうとは思う」


 イリアとリーナの試合もだいたい一方的な展開だった。

 盾は持っていないが、左腕を使ってリーナの武器の手元近くを抑え込み、何度かさばいてからがら空きの頭頂部に戦鎚代わりの材木を振り下ろす。太いので本気ではなく、ほとんど当てただけだ。


 頭をさすりながら、いつになく大人しいリーナはしばらく考え込むようにしている。そして意を決したように顔を上げた。


「イリアはともかく、歳下でステータスも変わらないカナトに私はかなわない。どうすればいい? 私の何がまずい」



 イリアとカナトは顔を見合わせた。

 試合や喧嘩を含めても戦った人間の数など30人に満たない。他人の武術を論評できるほどの見識はないと自覚している。

 だがリーナの現状の問題の原因に、二人ともいくつか心当たりはある。


「お前…… いや、リーナはまず武器を見直すべきだろ。姉ちゃんの半分しか体重がないそのなりで、あんな大ナタを使うのは無理があるんだ」

「この枝はそこまでの重さはないが」

「軽い武器ならそれだけ素早く取りまわさないと。全然遅い」


 言われてリーナは枝を振り回している。おそらく5キーラムほどあるのだが、牛首刈りを振るのと体の使い方が変わらないので結局速度が出ていない。


 複数人で一体の魔物を狩るのなら重い武器で威力攻撃をする役はいてもいい。

 だが人相手だろうが魔物相手だろうが、1対1ならそういうわけにはいかないだろう。


「私は格闘術のほうが専門だが、それすらイリア相手には通じなかった」

「ガリムより才能があるって言ってたよな」

「それは本当だ。ガリムもザファルも一緒に、同じマガラに習っていたからな」

「……」


 自慢する風ではない。いつもは猛々しい態度のリーナなので、普通にしているだけで落ち込んでいるように見える。やはり仮想レベル13以下の痺れリスにやられかけたことが心に響いたのだろう。

 最近魔物狩りで失敗しかけたのはイリアも同じなので、偉そうにするつもりはない。あくまで対等な立場として経験から得た教訓を話す。


「リーナの格闘術は、巧みだし華麗だと思う。上手く当てることを評価される試合でなら認められるだろう」

「実践的じゃないってことか」

「技術自体というか、……言いにくいけど心構えに問題がある気がする。やり直しができる試合の感覚に慣れてしまっているんじゃないか、とか。……本当は俺が言うのはあれなんだけど、実戦は命の奪い合いだから、もっと冷徹になるべきというか」

「『冷徹』ってなんだっけ」

「オレが知る限り少なくとも二回、イリアは人間相手に命の取り合いをしてる。その時に怪我もして、痛い思いと一緒に身につけた『冷静さ』や『厳しさ』を真似しようとしても簡単じゃないだろうな。もし実戦で失敗したら普通は何も身に付かない。死ぬか大怪我で戦えなくなって、それで終わりだ」


 敵の攻撃は臆病なくらい徹底的に避け、自分の攻撃は「絶対に効く」ように当てる。戦闘状況に入れば当たり前にしていることで、イリアには特別な訓練をした覚えはなかった。

 危険な実戦を潜り抜けることで身に着けるべきなのかと思ったが、カナトのいう事ももっともだ。一歩間違えば死ぬようなことはしないほうがいいに決まっている。


 では具体的にどうすればいいのかと言われても、結局まずは武器を替えてみろというくらいしか案が思い浮かばなかった。

 リーナはまだ首を縦に振ることができないようだ。尊敬する長姉からもらった大事な武器なので簡単に手放せないのだろう。


 もっと他になにか言えることがある気がするのだが、うまく言葉にできない。

 材木が残っているのでイリアとカナトで試合をすることにした。見せることで何か伝わることを期待する。


 短期間で2レベル上昇したが、既にあるステータスからの相対的上昇幅は大きくないし、魔法系ステータスが多く上がっているはずなので体の動かし方に違和感は出ていない。

 『武技系』は異能でマナを使うために『マナ出力』が上がりやすく、カナトも結局は均等型ステータスにならざるを得ない。同じようなステータス割合のはずだが、レベル差が5つもあるとさすがに影響が出るようだ。

 地面を蹴って移動し武器を振るう瞬発力。自分と相手の状況を認識し次の動きを考える速度。重要な部分に無視できない差が生じてしまう。

 それでもカナトは善戦し、間合いの有利を生かしつつ激しい攻防を繰り広げる。

 1分間も打ちあって最後に、イリアが右足の膝に太い材木を直撃させると同時、側頭部にカナトの武器が迫る。左前腕でかばうのが間に合ったが、重い盾を持っていればすばやく防御できていたかは微妙だろう。



 パスパスと乾いた拍手の音が聞こえたのでそちらを見ると、いつの間にかイサクが来ていてリーナの隣で試合を見ていた。

 並べてある材木を眺め、一番細い一本を右手に取ると、同じ長さで太い材木をイリアに投げてきた。

 カナトの膝で砕けたものを手放し、投げられた新しい方を受け取る。


「若いのに上等な腕前じゃ。わしにも一手指南してもらおう」

「はぁ」

「まだ骨は丈夫じゃから本気で殴って構わんよ。……いや、異能で木を硬くするのは無しじゃぞ?」

「それは大丈夫です。俺は武技系じゃないので」



 レベル30台といっても幅があるわけだが、実際試合してみてもイサクのレベルはよくわからなかった。

 イリアの攻撃はことごとく避けられ、受けられて捌かれた。

 老化による身体能力の低下はあるらしく、動き自体はイリアより鈍い。だが皺だらけの右手に握られた細い棒きれが、まるで動きを誘導するかのように振るわれ、作られてしまった隙に左掌での打突が加えられる。

 手加減しているらしく痛くはないのだが、拍子を崩されてうまく動けなくなったところに、棒きれが喉を狙って突き出されてきた。


 手首のひねりだけで材木を振り上げ、横から払うとイサクの棒は半ばから折れた。飛び退いた老爺は顔の左右に両掌を広げている。


「まいった。本当に大したもんじゃ」

「いや、今のは…… ちゃんとした短剣だったら折れたりしないでしょうし」

「そうじゃな。だが試合は試合じゃ」

「掌打だって、本当は拳や貫手ぬきてを使うわけでしょう」

「謙遜の必要はないぞ。レベルが似たようなもんじゃったら、急所でもない部分に拳も指突もそこまで効きはせんしな。それよりも、イェリヤとカナトと言ったか、おぬしらの腕は実に良いな。相手がよく見えておる」


 座ってみていたリーナが立ち上がり、イサクの前に回り込んだ。

 右手にイサクの使っていたのと同じほどの棒きれを持っている。


「爺さん。……いやイサクじいちゃん。よく見えてるっていうのはどういう事なんだ? それが分かれば私にもイリアを倒せるか?」

「そりゃわからんよ。こやつらの腕は恵まれた天性と日々の鍛錬の末に出来上がったもんじゃろうし、これからも伸びていくじゃろう」

「でも!」

「相手の姿勢、体勢を見て次の挙動を予想するということを、この二人は当たり前にやっておるんじゃろうな。もちろん武術をたしなむ者は誰でもある程度できるし、お嬢ちゃんもそうじゃろう? 二人はその精度が高いんじゃ」



 言われてもよく分からないが、80歳の老人の言葉なのでなんとなく正しい気がしてしまう。


 リーナは細い棒を手にしてイサクと試合を繰り返した。短剣術は格闘術と共通する術理が多いようで、どんどん動きが向上しているようにイリアには見える。

 陽が沈むころになってリーナは老爺に向かって「師になってくれ」と頼んだ。

 イサクが断っていう事には、自分が武術の基本を理解したのは中年を過ぎてからであり、とても人に教えられるような立派な戦士ではないのだとか。


 ともかく、リーナは牛首刈りの他に刺突用の短剣を手に入れたいと言う。

 使える技術が増えるのはいいことだし、なにかが変わるきっかけになることもあるだろう。

 全員久しぶりに全力で体を動かすことができ、心地よい疲れを感じながら防壁内に戻った。宿には浴場があり、追加の料金なしで入浴することができる。

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