第246話 痺れリス
バンサカの水堀の水源でもある小川は領境の役割もかねている。朝食を摂ってから郷を出て、周囲に葦が繁る細い河岸道を内陸に向け遡っていく。
進行方向に見える中央連山は高さ3千メルテを超える山が東西方向に5つ並んでおり、小湖海岸から見える西端の一峰は『
5つの峰を人間の手指に見立てているわけだが、別に指のように険しく突き立っているわけでもない、鈍角の三角形の山だ。
1刻ほどで側面が苔むした小さな石橋が見えてくる。渡って北上すれば領境を越え
先頭を行くのは80歳を超えていそうな老人だった。若いころはスダータタル戦士として遜色がない体格をしていたのだろうが、膝や腰が曲がってしまって今はリーナよりも背が小さい。
最後尾のカナトがひとつ前のイリアに近寄って顔を寄せてきた。極めて小さな声で話しかけてくる。
「なあ、【耳利き】って言ってもよ、それは聞こえる耳がより良くなるって話だよな?」
「ちゃぁんと聞こえとるよ! 心配しなさんなぁっ!」
一列に並んで間に4人挟まっているというのに、老人は大きな声で叫んでカナトの疑問に答えた。二番手を歩いていたザファルが「え、なんです、イサクさん?」と驚いている。
イサクはバンサカの少し南にある小郷の住人で、休みの5日の間に製塩用の薪を売りに来ていたのをザファルが知り合いになったらしい。
レベルは30台だと本人が言っているので、いちおうこの中で一番高いことになるが、武器も持っていないので戦えるかは分からない。
【耳利き】という、最も危険察知に向いたアビリティーの保有者だから雇ったとのことだった。護衛というより索敵係というべきかもしれない。
ハァレイを故郷に還しに行くこの旅路はもはやイリアが主導しているわけではないのだが、そういう話になったのは昨晩の事。ザファルがイサクを雇う話を進めたのはそれ以前のことだ。勝手な判断といえるが、ザファル自身が雇用費を払っているので文句をいうことでもない。
ガリムと二人でレベル上げをしていたのだから、少人数で旅をするのにも抵抗がないものと思っていた。だが妹の身の安全もかかっているのだから、若年者6人での行動が兄として不安になったのだろう。
だいたいいつも先頭で警戒役を任されていたカナトも、
降水量が多く気温もあまり高くないこの辺りの植物の生え方、いわゆる「植生」はイリアにもなじみがあった。ナラ類の木々の実が少しずつ茶色く色づいて、秋の始まりを感じさせている。
羊毛で編まれた帽子を深く被り、顔の下半分から縮れた髭を伸ばしているイサクが立ち止まり、6人を振り返った。
「あー、お客さんがた。この先ぃ、50メルテくらいかな? 痺れリスがおるようじゃよ。鳴き声がしとる」
「本当か?」
反応したのはリーナだった。
ここまでもイサクの聴覚は低級魔物の生息音を捉えていたようだったが、石を投げたり、あるいはガリムに
だが痺れリスの仮想レベルは13前後なので、仮に14の個体が出たとすればレベル19のリーナはぎりぎり成長素を摂れる。
木々の枝を見上げながら先行するリーナの後ろをザファルとガリムがついて行く。
3人居ればまず危険はないと思っていたのだが、リーナの悲鳴が聞こえ、残った4人も駆けつけることになった。
「なんだ!? 襲われたのか!」
「違う! 蛇にかまれたっ!」
ガリムの手に黒と赤の鱗をもった小ヘビが握られている。魔物ではなく普通の毒蛇だ。妹の服の裾をまくってザファルが傷を確かめている。膝裏のすぐ上あたり、本人では確認できない位置を噛まれたらしい。
「……大丈夫、牙は通ってないみたい」
「なんだよもう! 爺さん、ちゃんと警戒してくれよな!」
「無茶いいなさんな。そんな小さいヘビじゃ呼吸音も心音も聞こえやせんよ」
「ということは小さい蟲系魔物なんかも無理ですか」
「そうじゃな。その程度警戒する必要もないじゃろうが。それより来たぞ? どうするんじゃね?」
イサクの指さす先、巨樹の幹。尻を下にして痺れリスがずり落ちてきている。
魔物ではないジリスなどは重くても半キーラム程度しかなく、木の上で暮らすリスはもっと小さく軽い。
それに比べると痺れリスの体重は平均で6キーラムもあるらしいが、問題はその大きさではない。
数メルテの高さから飛び降り、一度地面に転がった痺れリスは4足で地面を蹴って襲い掛かってくる。左脚を出したままでリーナが牛首刈りを構えた。真っ二つにするように振り下ろす。
橙色の魔物は太く長い尾を前方に突き出す反動で制動をかけた。地面に埋まってあった岩に巨大な刃がはね返る。
痺れリスは大ナタの背に跳び乗ると、バチンと奇妙な音を鳴らしてから離れた。
リーナが武器を取り落とし、両腕を震わせて立ち尽くしている。
「痺れリス」という名の由来はこれだ。カミナリと同じ性質を持った「電気」を使って敵を麻痺させる。
解剖してみると尾の中に半透明のプルプルした組織が何十枚も重なっているものが詰まっているらしく、それが電気を作り出す臓器なのだとか。
尾には毛が生えていない赤いふくらみがあり、巻き付かれるとそこから電気が流れて痺れてしまう。
また比率として大きな頭部はオオカミのように口元が長く突き出しているのだが、鼻腔の両脇にも尾と同じプルプルの組織があり、上唇の上か頬というべき部分にも赤いふくらみがふたつあって、触れるとやはり電気が放たれる。
はっきり言ってあまりかわいい外見とは言えず、なぜこれがリスの仲間だと言われているのかイリアにはよく分からない。
ともかく雷撃魔法のような威力があるわけでもない。十分なレベルがあれば『耐久』で耐えることもできるし、遠隔攻撃でもないので、痺れネズミの電撃は本来簡単に防ぐことが出来る。
「なんで手袋してないんだよ、ったく……」
カナトがぼやきながら前に出て、リーナに跳びかかってきた魔物を蹴飛ばした。
金属製の武器で攻撃する場合は、厚い革手袋をはめていればそれで十分防御になる。カナトも素手で武器を握っているが、手製の槍は柄が樫材なので電気は通さない。すばやく二度突いて、痺れリスを動けないようにした。
1分も経ってからリーナは回復し、魔石をとるため自分で
「やりづらそうだったなカナト。やっぱり突きしか使えないとまずいか」
「んー? まぁ慣れはしないけどな」
穂先として使っている投擲剣は先端が鋭利だが、斬るための武器ではないので横に刃は付いていない。
本来槍術は突きが主体であり、カナトだってそう習っていたはずだ。だがアビリティーを得るまでは【槍士】になるか分かっていなかったわけで、カナトは剣術や棍術も同じくらいガーラに仕込まれている。
最近までそれらすべての合成のような技術で戦ってきたカナトは、基本通りの槍の使い方に違和感を覚えているように見える。
会話を聞いていたらしきハァレイが、手製槍をじろじろとみている。
「……穂先の部分が小さくない? 腕力に見合ってないでしょう?」
「別に軽い分には困らない」
「でも斬れる形のほうが使いやすいのよね。よかったら家にあるのをあげましょうか?」
「なんでだ?」
「私はどうせ使わないし、兄弟も居ない。物置の奥で錆びさせておくのはもったいないと思ってたの」
「……親父さんの形見とかじゃないのか。そんなのは受け取れない」
「遺産ではあるんだろうけど、形見って感じじゃないかな。お父さんは刺のある棍棒みたいなものを使ってたから」
リーナが「あー……」と嘆くのが聞こえた。残念ながら痺れリスの魔石は砂化してしまったらしい。道の脇で口に残った残骸をペッペッと吐き出している。
レベル上げの足しにはならなかったようだが、木の実を主食とする痺れリスの肉は美味だ。イサクが革袋の中につめて持ち運び、宿泊した郷で夕食として食べた。
その後さらに東進し、もう一泊してからは少し北寄りに。引き続き山がちな道を歩き続ける。
そして
8月の末に
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