第250話 ジョキシィ郷
もう70年戦争をしていないチルカナジア王国人のイリアにはいまいち感覚が分からない。カナトに聞いてみると、敵から奪った武器を使うのは別に問題ないことらしい。
「じゃあなんでそんな複雑そうな顔をしてる?」
「自分で奪った武器なら名誉だが…… オレみたいなガキが使うのはなぁ。どう見ても譲ってもらった物ってわかるだろ?」
年頃の少年の見栄という事だろうか。
イリアにも分からないことではなかった。自分で手に入れた武器を振うのはなんとなく誇らしい気持ちになるもので、昨年末手に入れて以来ずっと使っている片手戦鎚のことはかなり気に入っている。活用した実績で言えばハンナにもらった短鉄棍の方が上ではあったのだが。
「まあ贅沢を言ってもしかたないだろ。もの自体はどうなんだ?」
「……上等な品だ」
「じゃあありがたくもらっておくしかない。新品をあつらえる金などない」
「……」
投擲剣を樫の長杖の切れ目に挟み込み、紐で巻いて固定しているだけの今の代用穂先では戦闘中いつ壊れてしまってもおかしくない。
ハァレイが「イリアも何かひとつ持っていっていい」というので、棚にある武具を一つ一つ見て回る。十数点並べられているのだが、どれも手入れが行き届かずそのまま使えそうなものはない。
面白そうなものを見つけたので手に取って見ていると、廊下の方から甲高い声がわめきたてるのが聞こえてきた。
ハァレイが物置部屋を出て行ったので後につづく。
母親らしき人物が娘の両の二の腕をつかんで叫ぶように話しかけていた。当然ヤガラ語だ。
母親はどことなくハァレイに似ているが、背は少し低く横幅は大きい。
ポニクスの郷中でよく見かける、髪の毛の前半分を飾り布で覆い隠す頭巾を着けているのだが、首から下は普通のスダータタル女性の格好をしていない。
まるでチルカナジア王都に住む金持ちの夫人のようだ。白い絹地の飾り着に、首飾りや腕飾り。腰帯を留める金具は金色に光っていた。
ハァレイはしおらしく謝るわけでもなく、母親にたいして低い声で何か答え、時に激しく言い返している。
やがて母親がイリアたち二人の方を見て、カナトの手にある赤錆びた槍の穂先を指さして何か言った。ヤガラ語が分かるカナトは一瞬体を硬直させた。
指さす母親の左手を抑え、ハァレイがはっきりと、低い声で何か宣言した。
次の瞬間、母親の右掌が娘の頬を打った。
母親は高い声でまたわめいた。そして心配する風情の使用人の女を押しのけ、応接間の向かいにある部屋に飛び込むと叩きつけるように扉を閉めてしまった。
「……いいのか。これ、勝手に持ち出すのは許さないって言ってただろ」
「いいのよ。失礼なことを言ってごめんなさい」
どういうことになったのかイリアには把握しかねるが、会話は短く事情を全て話し終えたはずはない。
失礼なこととは何かわからないが、雰囲気からすると「泥棒」などの意味合いの事を言われたのかもしれない。
「まともに手入れをする気もないのよ。放っておけば全部錆になって無くなってしまうのに、それも知らないで家の財産だって言い張ってるんだからバカバカしい。カナトに使ってもらう方がお父さんだって喜ぶに決まってる」
「えーっと、でも、俺は遠慮しようかな? 実際売ったらそれなりの値はつくものなわけだし……」
「いいえ、イリアも貰ってちょうだい。ああいうことをしでかした私を、こうして家まで帰してくれたあなたに何も報いないなんてできないわ」
「いや、それは別に…… こっちにも都合があったというか……」
「ともかく、私が良いと言ったらいいのよ。そもそもこの家で決定権があるのはアビリティーを持って成人してる私だけなんだから。さっきもそう言ったの。もっと早く言うべきだった」
ハァレイの左頬は当然だが赤くなってもいない。
怒りではなく、哀しみの表情をしたハァレイは大人のように見える。
「……私がザターナになってから、母さんは変わってしまったと思ってたのよね。質素でもつつましく伝統を大事に生活していたのに。ポニクスへ越してきて生活費の手当てをたくさんもらうようになったら、料理もしなくなってしまった」
「お父さんが亡くなったことで、心に傷を負ったとか、そういう……」
「違うわ。変わってしまったわけじゃなく、元からそうなのよ。女が質素に暮らすのはそうするしかないときだけ。贅沢に楽して暮らせるんだったらそうするだけよ」
「そんなことは……」
「イリアの国の女の人は違うんでしょうね。でも、私たちみたいに生まれ育った女はそうなのよ」
イリアが反論などすることではなかった。
故郷のノバリヤを出るときには、戦士としてではない暮らし方を探ろうと考えていた。それなのに今現在は、結局レベルを上げて強くなることを生きる指針にしてしまっている。
やむを得ない事情があってそうしている部分もあるが、そうすることでどこか、自分の価値を証明できているように感じるのも事実だ。
そういう、分かりやすい生き方を選べない人々。アビリティーを得ることを許されなかった女性や男性に向かって「それでも志高く勤勉に生きろ」と求める資格は、単純な自分にはないような気がしてしまう。
「今回のことがあって、リーナみたいに自分で強くなりたいっていう子とも出会って、私も少しだけ自分の中の悲しい部分を自覚できた気がするのよね。私が氏族長一家に嫁いで
「……」
「これから私の処分がどうなるのか分からないけど、とにかくその事に気付けたのは良かったと思ってる。それに、もしスァスの目論見通り私たちが勝ってしまっていたら、きっとザファルは無事では済まなかったはず。それはあってはならない結果だったと思う。あなたたちに負けてこうなったのも、悪いことばかりじゃなかったわね」
「オレは居てもいなくても一緒だった気がするけどな」
「カナトはこれからその槍を使ってどんどん活躍したらいいじゃない。一番若いんだしね」
ハァレイの亡父マクサットの遺品の眠る物置部屋に戻った。
ポニクスから南東に約18キーメルテ、ジョキシイ渓谷の中に水源管理のための基地がある。
周辺の沢3本の水を集めてきて貯水池を作り、地下水路に流し込む仕組みを維持するための施設で、駐在する管理責任者の主な業務は池に魔物が住みつかないようにすること。
基地とその周辺は魔物狩りの中継点として多くの青年戦士たちが利用し、そのために野営の設備や魔物を近づけないための仕組みが作られ、100人以上が一年中寝起きしている。
ジョキシイ郷とも呼ばれるが、
貯水池周りの土地に作られた野営場所には、イリアとカナトの幕屋が2張り並べてあった。
その隣に円柱を二つに割った形状の大きな幕屋があり、さらに向かい合うように少し離れてほとりに近い位置、やはり同じ
その中から、寝間着をだらしなく着崩したリーナが這い出してきた。
小麦粉を練った生地で燻製干し肉の細切れとムルヒヤ類の野草を巻き、鉄板で焼いた朝食がもうすぐ出来上がる。
「おはよー」
「おはようじゃねえよ。今朝はお前が作るって約束だっただろうが」
「悪い。でも、ハァレイが作った方がおいしいんだし、かえっていいだろ?」
「よくねえ。なんで毎日ハァレイに教わってるのに料理の腕が上達しねえんだ。なんとか言ってやれよザファル」
「ごめんねぇ。ルナァラ姉だって料理は得意なのに、なんでかそこだけは真似したがらないんだよ」
「強くなるのが先だからな。料理はできないが調理ならできるからいいのだ! それよりポニクスからの報せはまだこないのか?」
9月の6日に結成され、7日に
月がかわって10月1日になったにもかかわらず、いまだ解散していなかった。
ジョキシイ郷には毎朝食材やその他の補給品と共にポニクスの出来事の報せが届くはずなのだが、氏族長会合の終了予定日から既に9日、未だに氏族長も
本当のことを言うなら、イリアカナトも、
イリアとカナトは他に何かする予定も、狩りに行きたい魔物のあてもない。といって宿でぼんやり日々を過ごす金もないのでここに来ることを決めた。
すると、家に居ても心安らげないハァレイ本人も、
6人だけでなく、ハァレイの男友達でかつての求婚者だった
ザファルのことを知ると気色ばんで食って掛かって来たが、全員まだハァレイ以下のレベルの青年戦士。彼らの誰より体格に恵まれたガリムが前に出るとそれで頭は冷えたようだった。
このジョキシイ郷には特殊な決まりがあり、貯水池のほとりの幕屋広場でゆっくり休む権利を獲得するには、周辺の高台での夜番を一晩勤める義務がある。一昨晩その義務を遂行し、昨晩はゆっくり熟睡出来たイリアら6人、および5人の青年戦士。
今日は
浅層でも稀に中級魔物が見つかりはする。だが基本的に、イリアたちのレベル上げの足しになる魔物はもう日帰りで探れる場所には生息していないのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます