第242話 乱戦の極み

 打ち出される速度に比べると、引き戻される腕の速度はずっと遅いようだった。直撃すればどこに当たろうと生命を奪う瑠璃色の甲殻がまた発射準備を整える。


生造きづくりにしてやる!」


 牛首刈りを振りかぶったリーナが接近していた。十分な間合いをとれるように柄を長く持っている。だがやはり、打ち下ろされた巨大な刃は超高速の腕に容易に迎撃された。凄い音を立て、弾かれてむこうのほうに飛んでいく。

 草を刈るような低い軌道で横なぎにされたガリムの大斧が、魔物の貧弱な脚を払った。右側5本すべてが地面から持ち上げられて、一瞬体勢を崩す。

 その隙にイリアとカナトは立ち上がることが出来たが、どちらもその手に武器がない。


 さきほどイリアが花鼻畑モグリの相手をしていた瞬間、見てはいなかったが、カナトは四つ腕シャコの打突が自分の槍を打とうとするのを避けたはずだった。音が聞こえていたし、避けてからでなければ突くことが出来ない。

 リーナは格闘術の構えで打突の間合いの中にいる。自分も避けて見せる気なのだ。

 一本だけの残った腕が折りたたまれ、また発射されようとしている。

 リーナの試みは無意味であり、やめろとイリアが叫びそうになった瞬間、魔物とのあいだの地面が破裂しお互いが後方にのけぞった。


 『速射爆地ガンパシートゥ』を撃ったのは最大射程で草地に手を突っ込んでいるハァレイだ。

 ちぎれた草と、草の根混じりの土が宙を舞う中、四つ腕シャコの腕は伸びて射出済みになっている。

 リーナは悔し気に「もうっ!」などと言っているがそんな場合ではない。もしかするといま死にかけたのではないか。


 ガリムが斧を投げ捨てて魔物に組みつき、上半身を引き倒そうとしている。

 抑え込む手があったと気付く。ふたたび発射準備されようとしている右腕にイリアは跳びついた。伸びきった状態のままで掴んでしまえば、あの恐ろしい打突が振るわれることはない。


 腹というか尾というか、魔物の下半身に力が溜められたのが分かった。一瞬後、衝撃的な加速がイリアを襲う。

 重装備のイリアと大柄なガリムをまとわりつかせたままで3メルテの高さに跳びあがり、魔物は二人を空中で振り払って横倒しに落ちた。


 急加速の衝撃が脳に効いてしまった。

 すぐ起き上がった四つ腕シャコが無事なのは、『耐久』にあたるマナの恩恵がイリアたちより強靭なのと、大きく重い脳が存在しないことが逆に有利に働いているのだろう。

 青地に黒の大きな輪模様が一つ。輪の中央が黄色く彩られている魔物の前腕が胸部正面に折りたたまれ、バチっと何か組み合わされるような音がした。

 またしても発射準備が整う。死の恐怖がイリアの脳裏を駆け抜けた。


 バウルジャに同格のヨロイ三角と戦わされ、はじめて見る魔物だったがそれほど苦労せずに倒すことが出来た。

 それに比べれば、どういう魔物で何に気をつけるべきか理解し、作戦を考えたうえで挑む四つ腕シャコとの戦いは「狩り」だと考えていた。

 人間が一方的に魔物を殺す、そういうものだとどこかで甘く見ていた。大きな間違いだったと言うしかない。


 距離さえ取れれば立て直せる。ふらつく足で地面を蹴って逃げ出すと、折れて半分になった槍でなんとか攻撃の隙を狙っていたカナトも諦めて、一時迫りくる危険から離れようとした。そこにさらなる不幸が起きる。

 そばでじっとしていた花鼻畑モグリが、急に起き上がってカナトに跳びかかった。イリアに殴られ気絶していたのなら戦意を喪失しているはずだ。死んだふりでもしていたというのか。

 ガリムと違って体重が軽いカナトは足元に組みつかれ、引き倒されてしまった。腕の力で真っ黒な獣系魔物を引きはがそうとする。そこに、必殺の攻撃準備を整えた四つ腕シャコが近づいてくる。


 発声詠唱の声が聞こえ、ザファルの『水鞭ニーロヴィーポ』が飛来し、花鼻畑モグリの右目に突き刺さった。痛みに悶えて離れたところをカナトが蹴り飛ばす。しかし、常人つねびとの走るのと同じ速度の四つ腕シャコはもうほんのわずかの距離。立ち上がって逃げる間は無い。

 絶体絶命の危機と思われたが、ハァレイの魔法がカナトの命を救った。


 水・地複合精霊魔法は本来水分を大量に含んだ土壌でなければ使えないはずだ。だからこそ波打ち際に近い砂浜だけで『凍沼ソナハーロ』を使っていたのだが、昨日の大雨が染みこんだ草原の土は条件を満たしていたらしい。

 草の根が張っていて砂浜ほど沈みこまないが、脚先のヒレが凍って貼り付いて移動が阻害され、もがくうちに完全に停止してしまった。


 これで立て直せる、そう思ったが、違和感に気付いてイリアはハァレイの方を見た。

 レベル低下によっておそらくは『マナ出力』も若干低下しているのだろうが、ともかく『凍沼』の使用にはハァレイの最大蓄積余剰マナの8割ほどを消費する。

 3本目の腕を捥ぐのに『凍沼』を使ってから、まだ一発放つ分も回復していないし、さきほど『速射爆地』も使っているはず。

 案の定、ハァレイは2種の精霊にマナを食われて失神し、倒れてしまっている。


 イリアの『強化水鞭』を使えるようになるのはまだまだかかる。

 だがもうここで決めるしかない。カナトが背負っていた『煌炎バアルギバー』用の支柱が落ちているのを拾い上げ、基礎程度にしか使えない槍術の構えで四つ腕シャコに近づき、半ば本気の突きを急所に放つ。

 蒼い閃光のような腕が支柱を粉砕。そのまま突進したイリアは腕を自分の左肩に抱え込み、両足の裏をその根元に踏ん張ると全身の力で引き延ばした。

 発射準備のために折りたたまれようとする腕の力はなおも強い。

 たとえ脚を凍らされていようが、放っておけばまた尾の跳躍によって振り払われてしまう。ガリムがかけつけ大斧で蛇腹状の甲殻を連続で叩いているが、効果はない気がする。


 ザファルが2度根元を削っているはずの腕。イリアの全力にピキリという音が聞こえた気がする。たとえ破壊できなくとも腕の射出を止めているだけで意味がある。

 ほんのわずかの勝機にカナトが大声を上げながら、一度刺した胸部正面の隙間の穴に短い槍を突き入れている。リーナが跳び蹴りを背部甲殻にいれたがそれは意味がなかった。


「誰か何とかしてー‼」


 声に目をやると、花鼻畑モグリが倒れているハァレイに向かって襲い掛かろうとしている。自分を攻撃していない人間をとりあえず一度ずつ襲うという、意味の分からない厄介な生態。

 ザファルはまだ完全なマナ切れではないのだろうが、呪文を唱える暇もなく、黒い魔物を蹴りまくって遠ざけようとしている。ずんぐりとした筋肉の塊はザファルの蹴りで転がされても繰り返し襲撃している。


 ハァレイに向かってカナトが駆け出した。

 その右手に握られているのは短剣だ。【槍士】の異能が強靭化できるのは棒状物体なので当然短剣も使えるのだが、では槍はどうなっているのか。


 バチンという音と共に、四つ腕シャコの最後の一本が捥げた。足を踏ん張っていた勢いで、イリアは射出されるようにすっ飛んでしまった。

 草にまみれて起き上がると、無腕のシャコがガリムを吹き飛ばしながら後方に跳ね跳んでいる。

 後を追って素早く走り寄ったリーナが水平に跳躍。カナトが半分刺したままで残した槍の折れた柄の後端に、跳び蹴りで靴底を叩きこんだ。



 混乱の草原にもたらされた一瞬の静寂。

 リーナが喜びの叫びを上げると同時に、四つ腕シャコは前のめりに地に伏せた。

 左の方を見る。立ち尽くすカナトの足元に、真っ黒な毛皮の獣系魔物の死骸が横たわっている。


 ハァレイがマナ切れで倒れていることに今更気付いたリーナが、「大丈夫か!?」と叫びながら走り寄っていった。

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