第241話 油断大敵
イリアがハァレイのレベル戻しを試みるにあたり、四つ腕シャコを獲物に選んだ理由はいくつかあるが、狩り場が人里に極めて近いということもその一つだ。
少人数で森の奥地に入り込んで普通の魔物と戦うより、いつでも助けを求められる状況で強い魔物と戦う方がマシという計算は十分成り立つ。
やがてバンサカ郷のある南の方から武装した4人の男が走ってくるのが見えた。遅れて黄色い戦衣のリーナが続いている。
こちらの状況が分かる距離になって4人組はいきなり戦いに入るのではなく、イリアたちに並走して話しかけてきた。
「2匹釣りだしちまったのか。うかつだなぁ」
「2匹釣りだしたんじゃなく、郷の人に頼まれて、戦ってる途中でもう1匹釣りだしちゃったんです」
「まあどっちでもいいけど。実はこっちもまだ魔石が欲しい、取っていいなら一匹もらっていってやるよ」
「いいです。いいですからお願いします」
「……ふーん、どこぞの氏族長の子供だっていうから、よこせって揉めるんじゃないかと思ってたんだけど、意外にまともだ」
「俺は違って、氏族長の子なのは…… いや、どうでもいいですから、早くお願いします。あ、腕が4本揃ってる方をお願いします」
「はいよ」
4人組は全員まだ20代のようで、イリアと話した混血の男が主導しているらしい。しっかりした金属鎧と兜を身に着け、肩に鋸刃の大剣を担いでいる。
大盾と太い鉄棍の重装備戦士もいて、後ろにつづく二人は大きな金属容器を背負っていた。おそらく魔法媒介としての水や鉱油が入っている。
魔法を使うのだろう後衛二人のうち、背の高い方の一人は手回し式の中型弩弓も持っていた。足で踏んで固定し弦を引き上げる仕様と違い、移動しながらでも発射準備ができるので便利な品だ。
イリアたちを追ってくる2匹の、向かって右の方に弩弓が放たれた。空中で迎撃されたが、カナトの矢のように粉砕されることなくそのままの形ではね返る。
軸まで鉄製だと思われる黒い矢を防ぐのに停止した個体に対し、ゴウと音をたてる爆炎のような火魔法が噴出されている。
その光景を尻目に、改めて自分たちの作戦に集中することにした。イリアの余剰マナはあと半刻で回復する。
イリアはこの数日、主に料理屋の客に話を聞くことで、四つ腕シャコの仮想レベルには個体差がなさそうだという事を確かめている。
スダータタルには【賢者】がいないので成長素の蓄積を観測できないのだが、魔石摂取とレベル上昇の結果として仮想レベルが33より低い可能性が疑われたことはないそうだ。
形体から考えて脱皮する類の魔物だと思われるのだが、幼体や少し小型の個体などが見つかったことはないらしい。
脱皮で殻ごと寄生虫を脱ぎ捨てることが出来なくなった老齢個体だけが殻干しに来るのだろうかなどとイリアは想像もしたが、いずれにしろ深い海の底に生息する魔物の生態というのは謎めいていて、いくら考えても確かなところは分からない。
2本目の腕を
8日前に
ともかく、凶化を解かれた四つ腕シャコは、逃亡を図っては行く手を阻まれ、砂浜から草原の方まで追いやられてからもウロウロと逃走経路を探してさまよい歩いている。
そのあたりも、比較的じっとしていることが多かった一匹目の個体と違っていた。
「え、何やってんの? なんでまだ倒してないんだ?」
4人組の大剣持ちが話しかけてきた。兜を脱いでいるので短い髪が栗色なのが分かる。
大きな金属容器を背負っている、少し若く見える二人が四つ腕シャコの死骸を持ち運んでいた。右側の2本の腕が無くなっていて、さらに甲殻が少し赤っぽく変色している。火魔法で煮えたというか、焼けてしまっているのかもしれない。
後ろに続いてる重装備戦士の大盾が何か所も変形していて、一番深い凹みは真ん中の辺りが裂けてしまっていた。
「えーっと、俺たちはマナを回復させてから、魔法で腕を全部
「嘘だろ、それじゃあ何刻も時間かけて戦ってんのか? よくそんな面倒くさいことするね」
「その方が安全なので」
「……ところで、なんであのオスはこっち来ないでうろうろしてるんだ?」
オスらしい。そう言えば色合いが少し鮮やかではある。
どう答えればいいのか悩んでいると、リーナが大きな声で「秘密だ!」と言った。するとそれ以上は追及されなかった。
言いたくないことは嘘でごまかすのではなく、秘密だと言ってしまう手もあるのかと感心する。
「ま、狩りの秘訣は誰にでもあるか。それでどうする、何だったら手伝ってやってもいいけど? そっちの魔石はそっちがとっていいし、店でその子がお酌でもしてくれれば他に礼は要らないからさ」
大剣使いがその子と言ったのはハァレイのことだ。戦いの様子を見ていないので確かではないが、おそらくこの男が向こうの四つ腕シャコの腕二本を切り落としている。腕前が確かなのは疑いようがない。
どうしようか迷っていると、カナトが先に答えてしまった。
「必要ねえよ。時間が掛かろうがオレ達だって一匹倒したことがあるんだ。そっちの用事が済んだならもう帰れよ」
「おいおい、助けを求めてきたくせになんで噛みついてくるんだよ」
「見たとこだいぶやられてるじゃねえか。盾の修理費だけで儲けなんか飛ぶんじゃないか? そっちだって2匹同時には戦えないんだろ」
「なにぃ?」
急に険悪な雰囲気になった。四つ腕シャコが左に回り込んで海に逃げようとしている。変な争いをしている場合ではない。
「ちょっと、あの、確かに俺たちには強敵なので、気が立ってるんで。今日のことのお礼は落ち着いてから考えますから」
「もしいつか、あんたらが手におえない状況に困ることがあったらオレがタダで手を貸してやる。礼はそれで充分だろ」
「……過ぎた自信で身を滅ぼさなけりゃ、そんな日も来るかもな」
そう言い捨て、大剣使いは仲間を引き連れてバンサカに方に帰っていった。
少しカナトの言葉が過ぎる気がしたが、そもそも戦闘中だ。苦言を呈していられるほど暇ではない。
凶化解除中に3本目の腕を捥ぐのも前と同じ。ザファルが普通の『水鞭』で右の下の腕を狙ったのだが、やはり研削材の濃度も水量も半分では破壊力不足というか、1刻半前と同じ腕を狙っても十分効果を上げられていないように見える。寸分たがわず同じ位置を攻撃できなければ連続攻撃の効果は薄い。
もう少しでまた追いかけてくるとイリアが予言すると、何故そんなことが分かるのかとザファルたちは訝しがった。何となくだといい言い張って、追いかけっこの再開に備える。
海から50メルテほどから東に広がっている草原には、カモシカなどの野生の草食動物が生息しているはずなのだが、普通の草食獣にすぎないそれらは人間や魔物を見かけると大急ぎで逃げる。
逃亡を生存戦略の第一に
そんな草食獣が食べてくれるおかげで長い草も育たず、見通しも良く走りやすい草原は絶好の時間稼ぎの場のはずだった。
その油断がまずかったのだろう。
運悪くとは言えない。そもそも最初から分かっていたことだった。
逃げている途中、四つ腕シャコから30メルテの位置でガリムの足元の地面が盛り上がり、飛び出した花鼻畑モグリが脚に噛みつき、屈強なガリムがあっさり転ばされてしまった。
組になっていたザファルが唯一の配下の名を叫んだ。駆け寄って蹴りを放つも、体重50キーラムは下らない全身筋肉質の魔物は少し浮き上がっただけで離れようとしない。
「地魔法で対処しろ! 四つ腕の方! 先に!」
援護に駆けつけようにも難しい位置、イリアとカナトはちょうど四つ腕シャコを挟んで反対側にいた。
獣系魔物に対応するのはいたって簡単、ガリムが
姿勢を低くしたカナトが急加速。ガリムに迫る四つ腕シャコの背中を追う。
ザファルの『
「危ないって!」と思わず声に出し、イリアは右手の戦鎚を投げた。落下してすぐに跳ね起きた四つ腕シャコ。突き出されたカナトの槍と、同時に回転しつつ迫る戦鎚。迎撃されたのは後者。カナトの槍は四つ腕シャコの胸部正面に突き当たったが、急所の正中線を外してしまっている。
ガリムが花鼻畑モグリを蹴飛ばした。遠くに転がっていった黒い魔物はすぐに起き上がり、短い脚に生えそろった長い爪で地面を駆け、なにゆえかイリアに迫ってくる。
狡猾というのか、一度自分を攻撃した人間には反撃せずに他を狙う。
複数人で狩る場合、隊の全員が攻撃してしまうと損傷がなくても逃げ出してしまう。止めを刺す一人は最後まで手を出さないようにしなければならない。
筋肉の塊で半端な攻撃が効かないうえに、奇妙な生態のせいで獲物として狙うにはけっこう厄介な魔物だ。
仮想レベルでは「格が違う」のに、地上を走るのは四つ腕シャコよりずっと速い。
接触寸前、空中に跳びあがってきたところ、鉄手甲の手刀を打ち下ろして眉間に命中させた。イリアの太腿に衝突し動かなくなる。レベル差があるので成長素は摂れない。
振り向いてカナトを見る。槍は四つ腕シャコの腕の間合いよりも長いので、武器を持たせれば並外れた腕を持つ相棒なら何とかすると思ったのは楽観的過ぎた。
ようやく当たったらしい正中線の急所。カナトは槍を長く持っているので安全圏にいる。
鉄より硬い殻で覆われた一本の腕の打突、ほとんど目にも止まらないその攻撃が青鉄鋼の柄を斜め上から打った。
カナトの手から弾かれ、勢いで宙を舞う槍は真ん中からはっきり折れて筒状構造が潰れてしまっている。
一瞬呆然としたカナトは迫ってくる四つ腕シャコに気付き、後退ろうとしたところ、地魔法で乱れた地面の凹凸につまづき跪いてしまった。
ガリムの大斧が尾びれに叩きつけられるも効果なし。超中級魔物の打突が打ち下ろされる。
イリアが間に合い、カナトの背後に飛び込んで鎧の後ろ首を持って引き倒す。四つ腕シャコの前腕先端、丸く膨らんだ部分が
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