第240話 不測の事態

 その晩海から上がって来たエキヌスは2体だけのようだった。

 植物しか食べない魔物でも凶化すれば人間を襲ってくるわけだが、目も無いし耳もあるか分からないエキヌスは人の存在を認識しようがない。

 死んだ水竜を除けばという事になるが、刺まで含めれば近くで見た中で最大の魔物だった。ともかく2体目も誰か知らない郷の戦士にあっさりと殺されてしまったらしい。



「……お前が大騒ぎしたせいで無駄に濡れちまった。もう帰ろうぜ」

「ごめん。でもお前っていうな」


 リーナがとぼとぼと帰っていく。急いでいたから忘れたのか、その足元は鉄装靴ではなく薄い革のつっかけ靴だ。


「おいお嬢さん、気をつけてくれよ。エキヌスのとげは硬く鋭いし、毒がある」


 リーナは恐れたように立ち止まって振り返った。崩壊した死骸が地面に散らばっていてどこに刺があるか分からない。


「えっと、どれくらい危ない毒ですか?」

「麻痺毒だ。常人つねびとが刺されてもまあ死にはしないんだが」

「アビリティー保有者だと?」

「どれくらい深く刺さったかにもよるが、『耐久』が100あっても半日はひどい痺れが取れない」


 話を聞き、イリアはカナトの顔を見た。意図に気付いたのか、眉間にしわを寄せて首を振っている。


「……それはないだろ」

「でも」

「マナの感覚と毒は別なんじゃないのか」

「そうか? しびれるのは共通してるし、肉体的な感覚とそう区別できるものでもないだろ?」

「なんだ? 何の話をしてる?」


 リーナが怪訝そうな顔で近寄ってきたため話を中断する。

 マフタールの部下に灯壺を貸してもらい、足元を照らしながら宿まで帰った。



 4人部屋ではザファルとガリムが何事もなかったかのように寝ている。よくわからないが時刻は真夜中、夜の6刻あたりだと思われた。

 雨でぬれた鎧を拭き、革の中にまで染みこんでいないことを確かめ、まずそうな部分は分解しておいた。

 作業を照らすロウソクの火に照らされて拾ってきた3本のエキヌスの刺が光った。


「……本気でやるのか? さすがに問題あるだろ」

「けど考えてみたら、四つ腕シャコなんて危ない魔物と戦わせる方が非人道的な気がしないか、今更だけど。その回数を一回でも減らせるなら、そっちの方がいいとも思うんだが」

「痛々しいのは嫌だな……」

「肘の皮は痛覚がないって聞いたことがあるぞ」


 耳に挟んだだけの話なので実体験は無い。二人で自分の左ひじの先をつねってみる。


「痛みもそうだが、血が出るのがな。オレは出来ないと思うが、イリアが刺してもまずくないか。またやっちまったらもう取り返しつかないだろ」

「肘をちょっと刺して麻痺させただけで【不殺(仮)】が働くかな? まあそうなったらそうなったで、検証として大事な結果ともいえる」

「……まあ好きにすればいいけどな。もう1レベル下がったなんて事になったら隠し通すのは無理だとだけ言っておく」

「しかたない。どっちにしろ期限があと7日しかないんだ」


 3本ある刺のうち1本を、戦鎚の柄の凹んでいる部分にはめ込んで上から包帯用の布で巻き付けておいた。残りの2本もてきとうな布で包み、カナトの槍の中空の柄の中に隠しておく。


 これでまた四つ腕シャコが現れた場合、止めを刺す直前にハァレイを軽く刺して麻痺させれば、成長素が少しも抜けていない新鮮な魔石を摂取させられる。

 カナトの言うように人道的に問題がある気もする。

 結局やらないかもしれないが、泥酔作戦の他のもう一つの選択肢として取っておきたい。




 翌朝もあまり天気が良くなかったので、午前中は6人全員で、あまり本腰を入れないままダラダラと漁網修理の仕事をしていた。意外にもリーナの手際が悪くない。

 昼過ぎ、窓からみえる空はいつの間にか青く晴れ渡っていた。


 製塩作業を指揮している小柄な中年男が宿にやって来てすぐに来てくれという。

 全員で戦うための準備を整え、10分後。郷から出て西の海岸、製塩が行われていたはずの浜辺の施設に到着すると、大なべのかかったかまどの間に四つ腕シャコが陽光に殻をさらしてたたずんでいた。


 遠目にイリアたちを見つけると、ゆっくりと向かってきた。

 凶化範囲外のはずなのだが、3日前に倒したものより好戦的、もしくは好奇心旺盛な個体であるようだ。

 残念なことに、ハァレイではない3人が若干寝不足気味ではある。

 だが一度倒した魔物相手。そこまで緊張感もなく、まずはハァレイが全力で砂浜を駆け、複合精霊魔法を使うための距離を稼ぐ。


 運動能力に優れているとは言えないハァレイが全力で走った場合、平地で100メルテ進むのに15秒ほどかかってしまう。重い鎧を着ているイリアでももう少し早い。

 走る姿勢が悪く無駄に跳ね上がってしまっているのだが、普通に走ると足が埋まってしまいがちな砂地ではむしろその走法が合っていて、結果的にこの砂浜では100メルテを17秒ほどで走破しているように見える。

 他の5人は凶化を起こさないような距離を保ちつつ、迫ってくる四つ腕シャコを罠に誘導する。


 一匹目とは少し挙動が違う個体であったが、『凍沼ソナハーロ』の罠にかけることに無事成功。

 幕屋用に持ち運んでいた支柱の先端にカナトが『煌炎バアルギバー』を灯し、イリアが左側から、ザファルが右側から水魔法を放つ。

 ザファルが三つ持っている銀容器のうち、ひちばん容量の多い一つの中には雨水を浄化してから精霊力が完全回復するまで放置した清水が満たしてある。

 とび出した通常の『水鞭ニーロヴィーポ』は無色透明で、一見すると何も混じっていないようにも見えるが、実はガラス瓶を割ってすりつぶして混ぜてあり、それが砥石粉と同じように研削材の役目を果たす。


 イリアの『強化水鞭レジニーロヴィーポ』が左上の腕を捥ぎ取った。

 一方、ザファルの魔法は四つ腕シャコの右目に巻き付いて、効果がないまま霧散してしまった。どうやら拳大の眼球自体を胸部甲殻の中に潜り込ませるようにして、『水鞭』の魔法構造体を引きちぎったらしい。

 魔物が脚の拘束から脱出する前に距離をとり、東の草原に向かって走り出した。


「ザファル、なんで目を狙ったんだ?」

「腕より細そうに見えたもんだから…… 視覚を奪えたら戦いやすくなるかなと思って」

「そうか」


 それぞれ考えがあってのことなので別に文句を言う気はない。だが、たとえ目を二つとも捥ぎ取ったとしても、結局とどめを刺すにはカナトが槍で胸の正中線の急所を突き刺すしかない。

 たとえ何も見えていなかろうと、腕の残っている四つ腕シャコとカナトを接近戦させるつもりはないので、やはり3本残る厄介な腕の方をイリアは優先するつもりである。


 すでに確立された戦略通り、3組みに分かれて時間稼ぎをする。

 どうせまた砂浜に来なければいけないので、あまり海から離れないように徐々に北上。製塩作業をする場所から魔物を遠ざけたことでバンサカ郷に対する義務はもう果たしたと言える。

 イリアとザファルが休みの番。距離をとり息を整えていると、リーナとガリムが陣形を乱して東の方に全力疾走しているのが見える。

 不測の事態が起きたらしいので急いで向かい、二人に並走した。


「なんだどうした、何が起きた」

「後ろ見ろ後ろ! 磯に近づいたら、出てきた!」


 砂利をかき混ぜるようなジャラジャラとした音。イリアとザファルが後ろを向くと、戦っていた個体とは違うもう一匹の四つ腕シャコがこちらを追ってきている。目の横に生えているヒレを広げていることから見て既に凶化済み。

 カナト・ハァレイ組もそれに気づき、6人で一度合流。2匹の超中級魔物に追いかけられながらどうするか考える。

 結論はすぐに出る。どう考えても手に余るとしか言えない。


「リーナ、郷に戻って助けを呼んで来てくれ。アイラさんか、居たらマフタールさんに言って、戦士隊を出してもらうしかない」

「わかった! 私が戻るまで死ぬなよ!」

「死なねえよ。ただ逃げてればいいだけだ」


 リーナが全速で立ち去って、それから半刻間。

 常人つねびとが走る平均速度と同じくらい、一秒に5、6メルテ程度の速さで草原をぐるぐる逃げまどった。

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